2.死神皇帝の帰還
ヴァルナ皇国は険しい針葉樹と、絶壁に囲まれた自然の要塞に護られる形で建てられている。
しかし交通整備は何処の国よりも優れているため、流通が停滞することもない。
更には港までの定期便が国営により安価で行けるため、隣国だけではなく海の先にある国との外交も栄えており、国全体が豊かであった。
どの国よりも繁栄し、栄光を極めし皇国ヴァルナ。九年の年月により全大陸を治めた超大国こそ、死神皇帝の治める地であった。
中立の立場として機関していた魔術師の塔が某国の襲撃によりほぼ全滅し、唯一の生き残りにして長の立場となった魔女クリスティーヌがヴァルナ皇国に迎え入れられたのは、塔の襲撃が起きた翌日の事だった。
翼竜に騎乗した皇帝が城の広間に降り立つため、幾人の使用人や近衛兵が迎えに整列した。寸分乱れぬその姿勢。少しでも死神皇帝の意に沿わぬ行為をしてはならないと、仕える全ての者が恐れと敬う思いから、自然と彼を待つ時は何時も整列して待ち構えていた。
三頭の翼竜が次々と地に到着し、中でも最も大きな翼竜に乗っていた皇帝が降り立った。
自身で手綱を引き翼竜を操る技力は、国内の誰よりも高い。翼竜は自身の主と認めた者しか背に乗せぬ誇り高い種族だった。その種族を容易く手懐け乗りこなす者こそ、皇帝ジルであった。
ジルは軽々と降り立った後、未だ翼竜の背にしがみついていた少女を片手で持ち上げた。周囲に悲鳴が響く。
「皇帝。自分で降ります」
しかし聞こえてきた少女の声は淡々としていた。
まるで荷物のように掲げられたまま、少女はジルを見つめていた。彼と同じ金色の瞳で。
「脚が地に届かないではないか」
「魔法がございますから」
少女は言うや否や何かを唱えると宙に浮き出した。周囲の悲鳴が更に響く。が、皇帝が周囲に視線を投げると悲鳴は一瞬にして鎮まった。
普段、魔法を目にする事が無い。魔力を持つ人種は限られており、更には血縁で生まれるのではなく、特異体質として生まれてくる。よって、使用人達が魔法を目の当たりにするのはほぼ初めてに等しかった。
「魔法で浮くことも出来るのか」
さほど驚いているようには見えないが、皇帝が珍しそうに浮遊する少女を眺めていた。
「はい。でもちょっとだけです」
「ちょっとだけか」
少女はゆっくりと地面に降りた。見上げれば相変わらず長身の皇帝がクリスティーヌを見下ろしている。眼光の鋭さから、見れば泣いた赤児も恐怖で泣き止むと言われているらしい。
それが事実なら便利だなと、ぼんやりクリスティーヌは考えていた。
「問題ないか?」
「問題ないです」
「ならば行こう」
皇帝が歩き出す。後ろから少女が続く。
大股でゆっくりと歩く死神皇帝の後ろを、トタトタと足早についていく少女の姿を。
微動だにせず従者達は眺めていた。
皇城は広い。とにかく広い。そして天井が高かった。
クリスティーヌは身長が低いこともあり、まるで小人になった気分で城の中を歩き回った。そして頭の中で地図を描く。想像力豊かであることは魔女の素質を高めることに繋がるため、幼少の頃より想像力には富んでいた。故に頭の中で地図を描くことも容易かった。
「皇帝。こちらの部屋は何があるのでしょう」
物々しい建物の扉を見ては皇帝に確認した。
「そこは拷問部屋だ」
「では此処は?」
「確か武器庫だな」
物騒な建物を濁すことなく説明する皇帝に対し、側近は色々と言いたいこともあったが、その話を素直に聞く少女も十分おかしいと思っていた。
「魔女よ。先程から質問攻めだが、聞いてどうするのだ」
建物の説明をしてから五分ほど経過して漸く皇帝は少女に説明を求めた。
「覚えるのです。迷子にならないように」
「そうか。迷子になるか」
「はい。ここは広すぎます」
「ならば城を建て直すか?」
何を言い出すのか、突然の提案に少女は瞳を大きく開いた。
「この城も建って随分経つ。入り組んでいるのは侵入者を防ぐためだったが、外部には既に漏れていることも考えれば、そなたとの結婚を機に建て直すのも悪くない」
実行すれば何年計画となるのだろう、そんな提案を寄越してきた。
側近達の背中に冷や汗が伝う。彼が「やれ」と命じれば、直ぐにでも城の建立という大仕事が始まるのだから。一体どれほどの人間が不眠不休となるだろう。
しかし、彼等を救う少女が居た。
「皇帝。建てるのでは時間が掛かりすぎます。それにせっかくの古城、まだ利用価値は十分にあります」
どこの宰相だと言わんばかりの少女による助言に、皇帝は考える。
「それもそうだな」
「はい」
付近にいた側近一同は安堵した。
しかし次の発言によって止まっていた冷や汗が更に伝うこととなった。
「何も立て直さなくとも、部屋の配置を替えればいいのです。模様替えをしましょう」
「そうか。その手があったな。では早速今夜にでも考えるとする。宰相に伝えおくように」
側近は頭を下げた。否、項垂れているともいう。
「かしこまりました……」
「ここがそなたの部屋となる」
ジルにより案内された場所は、皇帝妃の間だった。
広く調度品も高級な素材で作られているが。
「少し身長に合わないです」
「そうか」
成人した女性を想定して作られているため、そのどれもがクリスティーヌの身長に一致していなかった。
「前皇帝妃の物をそのままにしていたからな。好きに捨て、新調して構わない」
「分かりました」
後宮や皇帝妃の部屋周りは九年前のまま放置されていた。
ジルが即位して数年が経ってから側近達に妃や側室を迎えるべきだと言われてはいたものの、ジル自身に興味も無く、更には魔術師の長との約束もあったため、迎え入れる機会は全くなかった。
クリスティーヌは部屋の奥に進むと、自身のサイズには大きすぎる寝台の向こうに、扉があることに気がついた。
「皇帝、この扉は何でしょうか」
「ああ。私の部屋に通じている」
夫婦となる間の入退室が行いやすいよう、部屋の間に扉が設けられていた。
「案ずるな。結婚式を執り行うまで入室はしない」
この時。
失礼ながらも近衛兵の一人は痴がましくも思った。結婚したら入室するというのか。相手は十二歳だぞ? と。勿論心の中でだ。もし言葉にしようものなら、その場で斬り捨てられるかもしれない。
しかし皇帝の言動に臆する事もなく、少女はコクリと頷いた。意味を理解しているのかは定かではない。
「皇帝。実はお伝えしたいことがございます」
淡々と語る少女にしては幾分か気まずそうな物言いだった。
「許可しよう。何だ」
そして、その少女の僅かな変化に気付くはずもない皇帝は、結婚相手どころか仕事相手に話すような口調で聞いてくる。
この二人に必要な事が、周囲の使用人達は気付いていた。早くこの時間が終わり、誰か宰相に提言してほしい。
そんな彼等の考えを、一瞬で少女は吹き飛ばした。
「実は、まだ初潮を迎えておりません。よって、初夜が出来ないのです」
そして、最期に彼等の皇帝がとどめを刺す。
「案ずるな。結婚式は当分先のこと。準備をする間に迎えるだろうさ」
仮に。万が一にも彼なりの慰めだとしても。
それは無いだろうと。
使用人一同は心の中で泣いた。そして提言したい。
皇帝と魔女に必要なものは、常識だ、と。
誤字報告、評価、ブクマありがとうございます!!特に誤字報告は本当にありがとうございます!