19.死神皇帝と魔術師の塔の長
ザイド教国による魔術師の塔の襲撃に関して世界裁判が行われ、教国の主導者は処刑され、ヴァルナ皇国監視下の元に新たな国として築かれることになった。民への混乱も激しいと思われたが、元々民の支持も下がっていたらしく、現状ジルが報告を受けている限り、大きな混乱は無いようだった。
合わせて魔術師の塔の復興もヴァルナ皇国主体に行われた。長としてはジル皇帝の婚約者であるクリスティーヌが務める話も瞬く間に広まった。彼女の名は魔術師の塔に居た頃から知れ渡っていたらしくこちらも大きな混乱は無かった。
ジルは渋々ながら皇帝の仕事を続けている。
ジル本人としては心から引退を望んでいたものの、それはオルセーにより全力で阻止された。もし皇位を譲るというなら、そのままクリスティーヌとの婚約もオルセーが引き継ぐという、ジルにとっては最も強い切り札を出され、結局婚儀を済ませるまでという条件の元、ジルは皇帝を続けた。
ジルは知らない。
たとえジルとクリスティーヌが結ばれた後でも、オルセーはジルに皇帝を続けさせようとしていることを。
ジルは皇帝をオルセーに譲りたいと再三言うが、オルセーにとって、ジルほど頂点に立つべき人はいないと思っている。自分はせいぜい彼の手助けをする立ち位置十分なのだ。
未だ世界は秩序が整いきれていない。為政者でありながら、変なところで我が儘な皇帝の手綱を引くには、彼の婚約者である可愛らしい魔女の名前を使うことだとオルセーは学んだのだった。
騒動から半年後。
正式にクリスティーヌが魔術師の長として業務を行うことになってからあっという間に月日が経っていた。
一二歳で嫁いだクリスティーヌも、今では一つ歳をとり、一三歳となった。
幼すぎるという理由で婚儀は一五歳になった時に行うという話となっている。
(あと二年)
クリスティーヌにとっては短いようで長い期間。早く妻という立場になりたいものの、色恋沙汰に関しては未だ子供扱いのまま。更には正妃の教育も漸く始まったところだ。
正妃として、魔術師の長としての仕事は多忙だから、という理由でジルは自身の皇位をオルセーに譲るため、気楽に教育を受ければよいと言われたが、クリスティーヌとしてはそうも言っていられない。
今から少しでもジルの役に立ちたい。
ジルに認められたい、助けたい、支えになりたい。
今、クリスティーヌの活力はジルただ一人であり、彼のためになることであれば少しも辛いと思わない。
そんな話を家庭教師や侍女長に話せば生温い笑顔を向けられることにクリスティーヌは気づいていない。まさに、恋は盲目であった。
一三歳になってからというもの、クリスティーヌはジルに抱く感情が、出会った頃よりもより濃度を増しているように思う。
彼に触れたいし彼の傍に居たいと思う。以前は家族への愛情にも似た感情が少しはあったけれど、最近は家族というには度が過ぎた態度だと自嘲している。
それでも勇気をふり絞り手を繋いでいいかと言えば繋いでくれる。
口付けを頂けないかと言えば頬に、額に寄せてくれる。唇は婚儀まで待とうかと言われ、じれったい想いを宿すぐらいには、今のクリスティーヌは不純なのかもしれない。
そんな話まで赤裸々に話すため、かつて緊迫していた死神の皇国の姿は今は全くない。
勿論、相変わらず皇帝は容赦なかった。
他国の刺客が現れれば容赦なく殺害し、重き罪ある者がいれば一切の情けを見せずに処罰する。
しかし戦乱多い頃に比べ、騒動も落ち着いた今、中々冷血な場面に出くわす機会も減り。
民衆からは死神は婚約者を迎え、人の心を理解した、などと推測する声が広まっている。
クリスティーヌに至っては、魔女と恐れられていたが、以前の大火事を未然に防いだ功績から民に親しまれるようになっていた。
そんなわけで……今こそ最も皇国が平穏に満ちている今、死神皇帝と魔女の婚約者がどのように愛情を育んでいくのか、またの名を「いつ皇帝は手を出すのだろう」という下世話な賭けが広まっていることは、少なくとも城内で知る者は一握りしか居ない。
花開くように美しく変貌していく魔女、クリスティーヌ。まだ小さい少女にしか見えなかった体型は、皇国の食事が良いのか肉付きが増した。骨ばっていたような細身な体が、女性へと変わる前の蕾のような体つきに。
声色も小さく高かったが、多少の声変わりがあり、奏でる旋律のように綺麗な声へと変わった。
ますます美しくなるであろうクリスティーヌを一目見たくて護衛兵士や侍女に志願する者もいるが、大体がクリスティーヌによる最終面接……つまりは召喚術を目の当たりにして気を失ってしまう。今は魔術師の塔で女中のような仕事をしていた者が侍女代わりを務めていたりもする。
そして今日もクリスティーヌは自身に与えられた仕事に精を出す。
その姿を皇帝が見ていることも気づかないまま。
「クリスティーヌ」
魔術で遠方の魔術師と打ち合わせを終えたばかりのクリスティーヌは、呼ばれた先に目を向けた。
「ジル」
皇帝が立っている姿を見つけて、クリスティーヌは急いで彼の元に向かった。
「どうしたのですか? お仕事は……」
「オルセーに任せた。私の婚約者に会いに行きたいというのに理由が必要かな?」
「そんなことは……」
長い髪を撫でるジルの指つきが優雅で、目が離せない。
「そなたに相談した大浴場の着工が始まった」
「本当ですか!」
「ああ。来年には完成するだろう」
「楽しみですね」
ジルがこよなく入浴を好むという話を知り、更には民衆に対して大浴場を作りたい、といった話を聞いたクリスティーヌは喜んで話に参加した。
ジルが入浴を好きだというのなら、それに貢献したい。忙しい合間をぬって手伝った甲斐があった。
「もし完成した際には共に入ろうか」
「はい! …………はい?」
嬉しさによく考えず返答していたクリスティーヌだったけれど、今何と言われたのか理解がすぐにはできなかった。
しかしそれを都合良く解釈したままのジルは、にやりと微笑みながらクリスティーヌの顔を両手で挟む。
「約束したぞ。共に入れる日を楽しみにしているよ」
「ジ……ジル……?」
一緒に入る姿をつい想像してしまったクリスティーヌの顔は真っ赤に染まっていた。そんな
ことできるはずがない。ああでも、ジルなら
不可能なことすら可能にしてしまう。
それに、本当に嫌なことなのか。
そんな考えにまで達してしまい、クリスティーヌはジルから顔を隠したくなった。けれど今だに顔はジルに掴まれていて動けない。
「ふふ…………愉快だな」
「…………! ジルっ……!」
「ははっ……許せ」
最近、ジルはこうしてクリスティーヌをからかうことが増えた。クリスティーヌが答えづらいような、過剰に反応してしまうような事を言っては、今のように笑い出す。
クリスティーヌは恥ずかしさに身悶える状態だけれども、怒りながらも結局ジルを許してしまう。
こんな風に笑うジルが見れるなら、と。
彼の兄を制裁して、クリスティーヌと想いを確認してからというもの、ジルは時々こうして笑うようになった。
けれど執務の間、彼が笑う姿を見るものはいない。
いつも微笑むのはクリスティーヌの前だけ。
それがクリスティーヌには嬉しかった。
自分だけがジルの笑顔を独占できている。
そんな自己中心的な考えを抱いてしまう。
そんな想いを抱えるクリスティーヌを横目に見つめながら。
ジルはいつ、蕾となり花開くであろう彼女の成長を見守っている。
「なあ、クリスティーヌ」
「はい」
見上げたクリスティーヌの唇を、かすめ取るようにジルが彼女の口付けを奪った。
「早く家族になれる日を、指折り数えている事を忘れないでおくれよ」
「………………っ!」
半年の間に何度目か分からない、クリスティーヌの失神する姿を。
遠目から侍女長と皇帝の従者は見守っていた。
「……ああして免疫を高めているんでしょうかね……」
呆れた様子で乳兄弟のベティはぼやくが。
「……私達はいつものようにお守りするだけです」
鋼鉄の心を持つようになった侍女長は、皇帝達に背中を向けて、いつもの業務に戻った。
ベティは溜息を吐きながら、それでも以前より表情が穏やかになった主の様子に、小さく微笑んだ。
更新が遅れてすみません!
ひたすらいちゃついてるだけです…
次回で最後ですが、多分いちゃついて終わりです。




