18. 死神皇帝から魔女への求婚
ヴァルナ皇国に突如起きた事件は瞬く間に民衆の耳に伝わった。
ザイド教国による謀反、皇妃候補である魔女を誘拐し、死神皇帝を亡き者にするべく動いた話は皇国だけではなく、諸国にまで渡った。
事件後、ヴァルナ皇国の元皇太子は拘束され裁判にかけられる。
ザイド教国は無実を訴えるも証人や証拠も見つかったために教国内の権力者であったほとんどの者が国外追放、財を没収され、新体制となってすぐさまヴァルナ皇国の属国にくだった。
全ての事柄を取り仕切っていたのはジル皇帝ではなく、オルセーであった。
次代の皇帝として民に信頼強いオルセーに民衆の歓声は響く。
そして死神皇帝は。
「襲撃で受けた傷が重傷となり、二度と執務に立つこともなく、そのまま後継オルセーに皇帝の名を譲り、二度とその姿を見かけたものはいなかった……という筋書きでどうだろうか」
「却下です。却下」
寝台で横になっているジルの提案に対し、重苦しい声色でオルセーが唸る。
「何が重傷ですか。医師はもう歩けると仰っていますよ」
「そうか。だが私はまだ傷が痛むようだ」
「貴方いくつですか。子供じゃあるまいし仮病なんて使わないでください!」
沢山の溜まった書類を半分脅すように、半分は本心から切羽詰まった様子でオルセーはジルの手元へ乱暴に置いた。
「ふむ……良い案だと思うがな。民に人望厚いオルセーをどうやって皇帝にするか考えていたところだ。今のタイミングなら丁度よかろう?」
「ちっとも良くありませんし私は皇帝になるつもりもありません。さあ、仕事をなさって下さい」
「やれやれ。病人を労って欲しいものだ」
「病人なら大人しくしててください。くれぐれも、婚約者の顔を覗いたりしないように。せっかく休まれているのに騒々しいと起きてしまいますから」
オルセーが指差す先は皇帝の隣室だった。今、そこにはクリスティーヌが仮眠を取っている。
「そうだな。だが、一番騒々しいのはそなただぞ」
「…………」
睨んでくるオルセーの視線に気づかない様子でジルは隣室の壁を眺めていた。
ジルが怪我をしてから今に至るまで毎日、ジルの婚約者は怪我を癒す魔法をかけてきてくれる。しかし傷を治す魔法は特殊にしてだいぶ体力や魔力を消耗するらしい。治癒魔法が終わると、こうしてクリスティーヌが隣室で仮眠を取るのも何日経っただろう。
ジルが魔獣からクリスティーヌを庇い怪我を負った後、クリスティーヌはすぐに魔法を使い魔術師と魔獣を捕らえた。その後、遅れてから来るよう指示していた護衛により砦を制圧させた。
その間クリスティーヌは、ただひたすらにジルへの治癒を施していた。その甲斐もあり、ジルは早々に怪我から目を覚ますことが出来た。
涙をはたはたと溢しながら魔法をかけるクリスティーヌの涙を拭い。
痛むだろう肩を気にもせず頭を撫でた。
意識を取り戻したジルの姿を目に映したクリスティーヌが、さらに大粒の涙を溢した。
「怖がらせてしまった……すまない」
皇帝という立場は簡単に謝罪を述べてはならないと教わった。それがどうした。
この幼い少女の憂いが少しでも晴れるのであれば、ジルは何度だって頭を下げたいと思った。
けれどクリスティーヌは頭を横に振った。
「本当に怖いのは、貴方を失うことです」
目を真っ赤に腫らしながら、クリスティーヌが告げた言葉は、あまりにも真っ直ぐで。
ジルは思わず笑った。
「すごい殺し文句だ」
これでは敵うはずもない。
誰よりも強いのは、きっとこの幼い魔女だろうと、ジルは改めて思った。
穏やかな気候が続く日々。
相変わらず身体が思うように動かないと我が儘を言ってはオルセーを怒らせるジルは未だに寝台から起きようとしなかった。
彼が心残りとしていた事象は終えた。兄であるクローディは秘密裏に処刑した。これは、臣下でも僅かな者しか知らない事だった。
不本意ながらも皇族として生まれたジルは、悪政ばかり行う父と兄を弑逆することこそ自身の役目だと思っていた。だから父を殺し皇国を最短の方法で治めた。
そして取り逃していた兄の対処も終わり。
いよいよオルセーに跡を譲りたいと考えていた。元より皇帝の座に長く務まろうなどと思っていない。所詮は出来損ないである父の子。長期に王位に就いても良いことは無い。
しかしオルセーから猛反対を受ける上、他の臣下からも未だ平定を取り戻していない状況ではジルが皇帝でいる方が事が進むと諭されてしまい、どうすべきか考えあぐねていた。
何より悩ませたのはクリスティーヌのことだった。彼女との婚約を一度破棄し、彼女は皇帝の妻ではなく、再建した魔術師の塔の長となるべきだとも思った。しかし未だ再建の目処が立たない状況の中に彼女を返すわけにもいかない。建前はそうだ。
本音はただ、長く側にいられる時間があれば良いと思っている。
どこまでも溺れている自身に対し苦笑する。
九年前には考えもしなかった状況だ。
ただ一人、皇族と生まれたから、義務だから自身の感情など全て切り捨てて国を統べてきた。それが自身の務めだと分かっていた。否、それ以外に生きる目的を見出せなかった。
ジルの周りには全てがあるようで何も無かった。家族も、感情を揺さぶるような物事も何一つ存在しなかった。大人から幼い頃に言われた皇族としての有り様を他人事のように聞き、その意に反している父と兄を排除しようと考えた動機すら、取ってつけたような生きる目標だった。
その全てが終わった時、命が尽きようと構わないとさえ考えていた。
けれど今は違う。
生きる目的を見出したような気がするからだ。
ジルは寝台から起き上がると、隣室まで足を運んだ。
そっと扉を開けばソファでうたた寝をしているクリスティーヌの姿があった。
寝台で横になれば良いというのに、彼女は少し休むだけだからと、いつもソファで小さく蹲っている。
愛らしい様子に皇帝は微笑んだ。
ソファの前に跪き、眠るクリスティーヌの顔を覗いた。整った顔立ち。静かな寝息。普段の凛とした表情とは違い、眠る姿はあどけない。
長い髪に指をかけて撫でる。さらさらとした髪質。ジルは穏やかに髪を掬い、一房つまむと口付けた。
「ん……」
ほのかな気配に感づいたのか、クリスティーヌの目蓋が揺れる。
うっすらと瞳が開き、金色の瞳がジルを見つめる。
「すまない。起こしたな」
「……いえ……もう起きる頃合いでした。ジルは何をなさっているのです?」
クリスティーヌの視線は、ジルが未だに離さず持っている自身の髪を見つめていた。
「そなたを愛でていたのだ」
正直に語れば、幼い魔女の頬が徐々に赤く染まっていった。
「リンゴのように赤く染まったな。美味そうだぞ」
「ご冗談はほどほどになさってください……心臓に悪いです」
「冗談ではなかったが……あまり揶揄うのもよくないな」
頭を優しく撫でるジルの表情は、以前に比べて何処か穏やかになったと、クリスティーヌは思った。以前からクリスティーヌに対しては優しく接していたジルではあったが、彼の兄との物事が落ち着いて以来、張り詰めていたような何かが抜け落ちたような、そんな印象を抱いていた。
「オルセーとも話をしていたのだが、ザイド教国の事を機に改めて魔術師の塔の再建について全面的に協力することになった。そなたには魔術師の塔の長となってもらうことになるだろう」
「はい」
クリスティーヌもオルセーからそのような話が進むかもしれないと、ジルの治療の間に話は聞いていた。ザイド教国こそ魔術師の塔を襲撃した犯行者であった。彼らのように魔術を戦力として扱う国が他にも存在するのであれば、中立機関として魔術師の塔は必要不可欠であると。生き残った魔術師達を呼び戻すと共に、クリスティーヌが研究していた魔力の高い赤児の出産において、母胎から守れるような術が無いかや、魔力によって忌避される子供を魔術師の塔が養うよう積極的に動けないか等、いくつか話し合いをしていた。
以前は冷たい印象を持っていたオルセーだったが、少しばかり雰囲気が柔らかくなったようにも思う。
治療を施していたクリスティーヌに対し、小声で、聞こえるか聞こえないか分からないほどに小さい声で「先日は冷たい物言いですまなかった」と言っていた。
聞こえない方が良かったのかもしれないので、クリスティーヌは特に返答しなかった。
けれども、オルセーが誰よりも真面目に国のことを考えていることは知っている。以前の苦言とて国を考えての事。そして何よりジルを考えての発言だと分かっていた。
「……クリスティーヌ。これからいくつか質問する。正直に答えてくれるか?」
「? はい……」
クリスティーヌの手に触れたジルが、目線を合わせ顔を近づけてきた。
クリスティーヌの胸がドキドキと早鐘を打つ。
「一つ目だ。そなたは魔術師の塔の長になりたいか? それとも、なりたくないだろうか」
「ええと、それは……」
「正直に言ってくれるか?」
ジルの瞳は真っ直ぐにクリスティーヌを見つめてくる。クリスティーヌは暫く考え、唇を開いた。
「なりたい、です。私は……私のように魔力を持つことで親と別れることになる子を救いたい……です」
「そうか。……良かった」
ジルが微かに微笑んだ。
彼は彼なりにクリスティーヌが長となることを心配してくれていた。そのことだけで、クリスティーヌの胸は暖かくなる。
「では二つ目。もし私が皇帝の任を解かれ、オルセーが皇帝となった際、そなたは皇妃としてオルセーの元に残りたいだろうか?」
「……何故そのようなことを」
クリスティーヌの表情が僅かに曇った。彼女からしてみればあり得ない問いだった。好意を抱く相手に言われて快い問いでは無い。その感情が僅かに表情に現れていた。
そんなクリスティーヌの反応が嬉しくて、それでも確かめずにはいられない皇帝は、自身が思う以上に臆病な性格だったのだなと。初めて自身の性格を知った。
確かめたい。彼女もまた、ジルを求めてくれているのかを。
「貴方の……ジルの傍に残りたいです」
少し拗ねた物言いにジルは笑った。
嬉しさが込み上げて、顔が笑顔で綻んでしまう。
これならば最後に告げる問いに自信を持つことが出来る。それこそが、ジルがずっと彼女に伝えたかった想い。
「では最後に……クリスティーヌ。改めて私の妻に……家族になってくれないか?」
「…………」
クリスティーヌは、握りしめられていた手に力を込め、ジルを見つめた。
「そなたと私は先代の長との契約の末に結ばれた間柄だった。けれど私は契約とは関係なくそなたと家族でありたい」
身体を近づけ、ジルは繋いだ幼い掌の上に額を乗せた。
甘える仕草で額を擦り付ける。幼い少女に許しを乞うように、愛を囁くように。
「そなたの気持ちを聞かせて欲しい」
「わ……わた、しは……」
普段見せない死神皇帝からの接触と言葉に、一瞬理解することが出来ず。みるみると顔全体を真っ赤に染めたクリスティーヌは口をはくはくと開いては閉じていた。
一二歳の少女でも分かる。
今、かの皇帝は自身に求婚をしているのだ、と。
嬉しい。
嬉しいのに。
あまりの出来事に声が出ない。
「クリスティーヌ?」
少し不安そうな表情を近付けるジルに、クリスティーヌは余計に声が出せない。
突然の情報の多さは、多大な知識を持った魔女でさえも処理しきれず。
「わ……わ……わたしもで、す……!」
それだけ言うと、全身の暑さにのぼせ。
その場に崩れ落ちたのだった。
あと2話ほどで終わる予定です




