14.死神皇帝の殺意
更新が遅くなりました!
今回の話は多少の流血と痛そうな話が出ますので、苦手な方はご注意ください。
火を消しに行くと、侍女長の言葉を聞かず飛び出した魔女を追いかけた護衛兵は、たどり着いた郊外の火がほとんど鎮火しているところを見て彼女が魔法で消したのだと安堵した。
しかしその後、護衛対象である少女の姿を探したのだが見つけることは出来なかった。
皇帝にどう報告すれば良いのか。恐ろしくて何度も探し回った。人から情報を聞き、森の中を、人の中を。
そうしてようやく見つけた証は二つ。
グリフォンと思わしき獣の羽毛と、僅かに残されたドレスの布切れ。それは、木々によって裂けたような形跡があった。予想するに空から落ちた時、枝に引っ掛かって切れたらしい。それ以外の痕跡は何一つ残されていなかった。
どのような処罰を受けるのか怯えながらその二つを報告と共に皇帝へと差し出した。
皇帝は、臣下から二つの証を受け取った。
直前まで傍に仕えていた侍女長が顔を青ざめながら、その布切れが確かにクリスティーヌの着ていたドレスの切れ端だと証言した。加えてグリフォンの毛色と羽毛の色が一致していることも。
ジルは黙り、全ての者を下がらせた。
一人になり手に持った布切れを眺めながら歪んだ笑みを浮かべた。
「ついに兄が動いたな」
あの幼き婚約者が囮として狙われる可能性が高いことは分かっていた。
もし、彼女に傷一つでも付いたのならば。
この身をかけて相手を八つ裂きにし、生きていることを後悔させてみせよう。
ジルは、自身が招いた種であることを承知でそのように思う。
皇帝自身、婚約者を囮にする事に対し何ら抵抗は無かった。元より、その可能性も含めて婚約者にしたのだ。
魔女という能力持ち、親族のしがらみも何一つ無い、約束のみにより身一つで死神に嫁ぎに来た哀れな魔女。
大切な大切なジルの魔女。皇帝のただ一つにして唯一の婚約者。
その彼女を傷つけようものならば、生きてきた事を悔いるぐらいの苦しみを与えるつもりでいる。
たとえそれが、ジル自身を意味していたとしても。
少し前に目覚めたばかりのクリスティーヌは、牢に閉じ込められている現実を冷静に受け止めていた。そして、口には猿轡。手は背中に回され指先一つ動かせない程に拘束されていた。
この拘束を指示したのは銀色の瞳を持った男だとクリスティーヌは理解していた。魔術を使える者が魔法を使う場合、口から発する言葉か、または魔法陣を描くために指を使う。そのどちらも丁寧に拘束されている。つまり魔術に詳しい者が介入しているということであり、更にはクリスティーヌが魔女である事を知る者だ。
クリスティーヌは気絶する直前に見た男性二人を思い浮かべる。
ジルの異母兄であるクローディの素性は知っている。九年前、ジルによる前皇帝殺害の際、あと一歩のところで逃亡されたと聞いている。その後姿を探していたが発見されていないとも。
もう一人の男については名も知らず、初めて見た顔だった。しかし見えた銀色の瞳が何を表すかは知っている。あれは、クリスティーヌと同じで魔力を持つ者の瞳だ。
最も強い魔力を持つ者の瞳は金色だったが、次に強い色が銀だった。瞳の色からして魔術師の塔にも数少なかった高魔力の持ち主だと窺える。恐らくグリフォンに向けて攻撃をしてきたのも、銀色の瞳を持つ男の仕業だったのだろう。
どうにか身体を起き上がらせれば、全身の痛みで思わず蹲った。グリフォンから落ちた時の痛みがまだ癒えていない。癒しの魔法を唱えたくても拘束されていては何も出来ない。
最も痛い場所は肩だ。落ちた時、真っ先に打ったからだからだろう。落ちている間は頭を守るだけで精一杯だった。生きているだけでもマシだと思うしかない。
しかし拘束されていては何も出来ない。どうにかして拘束を解けないか考える。
動かせる部分は限られている。
命が無事である間に、どうにかして逃げなければと。
何か拘束を解く物が無いか辺りを確かめるも、殺風景で何も無い。一体ここが何処なのかすら分からない。
ならば、と縛られている腕を何度も動かすが、落下した時の痛みがクリスティーヌを襲った。それでも、痛みを堪えて続ける。少しでも縄の拘束が緩められるのなら、痛みで挫けている場合ではない。
「うっ…………っ……!」
それでも痛いものは痛い。手首を何度となく動かし縄に隙間ができるように擦っていれば、縄によって手首が傷つけられている感覚がする。恐らく擦りすぎて皮膚が破けてしまっているのか、次第に手首の痛みに耐えられず手を止めた。
あまりの痛みに脂汗が滲み、苦しくて身体を壁に当てて休む。
天井近くにある窓からは夕暮れの西日が差している。火事の騒ぎから数刻が経過しているのだろう。
ジルはどう思うだろうか。
必死で拘束を解くために動いていた身体を休めていれば、思い出すのは皇帝の事だった。
身勝手な行動で消火に向かった。
皇妃になるのだからと気持ちが急いて、侍女長の言う事も聞かずに行動した。
火を消したことに後悔はない。ただ、もっと周囲の声を聞くべきだった。護衛と共に向かっても良かった。身一つで飛び出したから、自分の身は自分で守れるのだと過信したから。
ジルに失望されたかもしれない。
その考えは、逃げようと躍起になっていたクリスティーヌの心を萎ませた。
身体が自由にならず、痛みは絶えずクリスティーヌを襲ってくる。心が挫けそうになりそうだ。
それでも、これ以上ジルに迷惑をかけたくない。
クリスティーヌは大きく息を吸い込む。
次に行動することへの恐怖に身体が負けないよう、強く願う。
ジルの元へ戻りたい。
その願いのためだけに。
クリスティーヌは、上半身を大きく揺らし。
息を止め、壁に向かって思いきり頭を打ち付けた。
頭が真っ白になるほどの痛み。岩で出来た壁を見れば微かに出血の跡。
あと少し。
もう一度だけ打ち付ける。
痛みなど気にしていられない。
戻りたい。
役に立ちたい。
ジルに、会いたい。
クリスティーヌを動かすのは、ジルだけなのだから。
王城に届けられた脅迫状は、魔法で書かれたものだった。
ジルは、魔力により消えていく文章を頭に記憶し、最後には燃え尽きる手紙を静かに眺めていた。
ジル単身で約束された場所に向かうよう指示されていた。誰一人として護衛を付けるなとも。そして、その在り処すら誰にも告げてはならないと告げられた脅迫。そのどれか一つでも破れば即座にクリスティーヌの命はないと記されていた。
「ジル様」
ジルから少し離れた場所からオルセーが不安な声色で皇帝の名を呼んだ。手紙の魔力によりジル以外の者が近づけば衝撃を持って引き離されるため、近づきたくとも近寄れない状態に置かれていた。
「予想通りの内容だ。私の身一つで救いに来いと。なので行くとしよう」
「賢明な判断ではございません」
苦渋に満ちた顔をしたオルセーにジルは苦笑した。
「クリスティーヌを見捨てよと、そなたは言うか」
「はい。皇帝の御身に害が及ぶことはなりません。どうか居場所を教えて下さい。代わりの者を寄越します」
「手紙には私の身一つとあると、言った筈だが?」
「それだけはなりません! 相手の思惑通りではありませんか!」
オルセーとて薄情では無い。厳しい言葉を告げた相手ではあるが、あの幼い少女が救えるのであれば救いたい。しかし、その代償が皇帝であるというのならば話は別だ。皇帝こそ今のヴァルナにとって必要不可欠な存在。
たとえ死神と呼ばれようとも、国民の誰もがオルセーを皇帝に望もうとも、オルセーの意思は何一つ変わらない。
「クローディの狙いは皇帝の暗殺です。そして、混乱に乗じて自身が皇位継承者であると主張する筈です。魔術師を配下に持つということは、ザイド教国との繋がりがあるということでしょう。あの国は唯一魔術師を国内に戦力として抱えています。あのような国と繋がるような者の思い通りになど……」
ザイド教国。独自の宗教を国教とし、その教えの中に魔術師を兵として扱う事を聖典の教えと称して各国の反対を無視し魔術師を兵力とする国だった。
その国も皇帝となったジルにより兵力は落ち、協定を結んでいた。実際のところ水面下で協定を反故し何か画策しているのではと踏んでいたが、クローディと繋がっていたことが浮き彫りに出た。
魔術師の塔という中立機関が存在することにより、魔力を兵力として使ってはならない事を大陸の者全ての共通認識として持っていた。それは、ジルが生まれるよりも遥か昔から定められていた決まりであり、その歴史を辿れば随分の時間を要する。それほどにこの大陸において魔力とは平和の象徴であり畏怖すべき存在であった。
その魔力を兵力として扱うザイド強国には、魔術師の塔を治める歴代の長が常々忠告していた。しかし今回魔術師の塔が襲撃された事実に関しても、ザイド強国の仕業であるとされている。
いずれは真偽を確かめる予定であったが、相手が先に動いてきたということだった。
「せっかくの誘いだ。私一人で行くよ」
「ジル様!」
「何のためにそなたを次期皇帝にとしたと思う? ……こういう時のためさ」
ジルは、懐のポケットに閉まっていた小さな袋をオルセーに渡した。何が入っているのかと確かめたオルセーは驚きのあまり一瞬息が止まった。
「ぎょ……玉璽ではないですか。このような大切な物を」
「私が命尽きた時、その持ち主はそなたになる。その時は全勢力を持ってザイドを滅ぼせ。新皇帝として華々しい初陣となるだろう」
「冗談でもそのようなことを!」
「冗談ではないさ」
荒れるオルセーと対比してジルはひどく穏やかに笑う。
「私は、やり残した後始末をずっとしたかった。随分と時間がかかってしまったがようやく果たせる」
「後始末……とは……?」
「決まっているだろう? 兄を始末出来なかったことだ」
無邪気にも見える金色の瞳が半円を描く。背筋すら凍るような冷えた笑み。
オルセーは、震えるほどの気配が何かその時は分からなかったが、ジルの言葉を聞いてようやく理解した。
凍りつく気配の正体は。
ひたすら真っ直ぐなほどにジルから発せられる、実兄への殺意。
死神が密やかに微笑むのならば。
きっと今のような笑顔なのだろう。




