10.死神皇帝と魔女の休息
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オルセーがクリスティーヌから離れ、城内に戻る姿を見守る姿があった。
常に護衛を付けているクリスティーヌが早朝に庭園に出掛けたという知らせを受けたため、ベティは護衛から経緯と共に誰と対峙していたのかも報告を受けた。
そしてその知らせは直ぐにジルの耳へと届く。
皇帝は、若き皇太子の行動に苦笑を漏らし「そうか」とだけ呟いた。
その日から暫く、幼き婚約者の様子が翳ることになった。
表情にはあまり見せないが、幼き魔女の表情が暗く何かに思い悩んでいる様子に気付いているのは侍女長ぐらいだろう。
ジルは執務の補佐を率先して行ってくれるオルセーに軽く問うた。
「私の婚約者が近頃憂いているのだが、身に覚えはあるか?」
するとオルセーは少しも悪びれることもなく「皇妃となるべき方に必要な事をお伝えしたまでです」とだけ返して作業を続けた。
ジルは、この青年が真っ直ぐで頑固であることを知っているが故に多くを述べず。
ただ一言。
「私の婚約者をあまりいじめないでくれよ」
とだけ、伝えておいた。
オルセーに忠告されてから五日ほど経った今もクリスティーヌは物思いに耽っていた。
人形……クリスティーヌにとっては言われ慣れた言葉だった。
魔術師の塔に居る時からクリスティーヌは人形と揶揄されてきた。魔術師の長となるほどの実力を生まれながらに持ち、長老より直々に魔術師としての知識を教わってきた。同世代の者と関わる機会を与えられることも滅多に無く、たとえ機会があったとしても年近い者達はクリスティーヌを畏れて話しかけることすらなかった。
幼い頃から、いずれは魔術師の塔の長になるのだと言われ続けてきた。魔力の多さは畏怖されると、己を律し魔力に飲み込まれるな、他者に惑わされることもならぬと長老は言う。
幼子に玩具ではなく魔道具を渡され、話し相手はぬいぐるみではなく妖精だった。将来は長になるという未来に何も疑問すら持たなかった。
クリスティーヌは、彼女を人形と呼ぶ者の事が理解出来なかった。
しかし今なら分かる。魔術師の塔が滅び、皇妃となる約束を告げられた今、オルセーに言われた言葉が胸に刺さった。
クリスティーヌは、自身が意思を持って行動したことなど無かったと思い知らされたのだ。
魔術師の塔の長も皇妃についても全て長老が取り決めたこと。そして、その言葉に何一つ疑問を抱くこともなく、その未来に向けて行動することが正しいのだと思っていたと、オルセーに指摘されるまで気付かなかったのだ。
何という愚か。これではオルセーに皇妃に相応しくないと言われても致し方ない。
けれども、だからといってクリスティーヌはどうすれば良いのか分からなかった。
彼女は、自らの意思を持って動くことに慣れていなかった。言われた事に対してどうすればよいかの目的や手段は手に取るように分かるというのに、だ。
クリスティーヌは答えの無い事を考えることを不得手としていた。その機会が尽く失われていたが故の障害ともいえる。
ただ、そんな彼女にも一つの夢はあった。そのために勉学の合間に、魔女としての仕事の合間に精霊に力を借りて研究してきた。
それは、魔力によって生まれてくる赤子が不幸を生み出さないための制御方法。クリスティーヌやジルなど魔力の高い子供が生まれる時、母胎に大きな負荷を与えるために母親の命を失う可能性が非常に高い。クリスティーヌの母もそれが原因で亡くなっている。
魔術師の塔に迎えられる子供たちのほとんどが母を失っている現実を目の当たりにし、いつからかその悲しみを防ぐことが出来ないのか考えるようになった。時には精霊の力を借りて調べることもあった。まだ解決には至っていないものの、それがクリスティーヌにとっては初めてともいえる自分の意思で動いていることだった。
だからこそ。オルセーの言葉が耳に痛い。意思の無い自身に皇妃が務まるのか。それはクリスティーヌの人生観すら揺るがす言葉であった。
自室の机で自習していたはずなのに、気づけば手が止まってしまう。
このままではいけないと改めて意識を戻して書物を読み始めたところで、扉を叩く音。
「クリスティーヌ様。今お時間よろしいでしょうか……」
侍女長の遠慮気味な声にクリスティーヌは入室の許可を伝えた。そして侍女長から聞かされた言葉に瞳を大きく開けた。
「来たか」
「はい」
皇帝に呼び出されていると侍女長から言われ、クリスティーヌがやってきたのは城内に唯一ある小さな庭園だった。ヴァルナ皇国の巨大さを誇るように大きくそびえる城ではあったが、緑は少なく殺風景である。その中で唯一とも言える小さな庭園には年中咲く国花が植えられている。花の名は国花らしくヴァルナーサという。ヴァルナ皇国で品種改良され、今では他国の花売りにもよく売られている花弁の大きい優雅な花だった。色は白が多いが、この庭園に咲くヴァルナーサは様々な色で咲いている。赤色、紫色、そして金に近い黄色。金の花など忌み嫌われているが死神皇帝の絵姿にはよく金色のヴァルナーサが描かれていることがある。
ジルは小さな庭園の端にクッションを置き、そこに座って茶を飲んでいた。普段の彼からは想像出来ない寛ぎ方にクリスティーヌは驚いた。彼の近くに寄れば隣に座るよう促され、クリスティーヌは置かれたクッションの上に座った。
「ようやく執務が落ち着いた。少しではあるがそなたと話したいと思ってな。問題なかったか?」
「はい。大丈夫、です」
真っ直ぐに見つめてくる皇帝の視線を受け止めるだけで気持ちが高揚する。これもまた、クリスティーヌが今まで経験したことの無い感情だった。
ヴァルナに来てからクリスティーヌは初めて体験することばかりだ。
「オルセーのやつがそなたに口煩いことを言ったらしいな」
「……オルセー様は当然の事を仰ったのです」
人形は皇妃に相応しくない。
自分の意思を持っていない。
「そうか……私の妃。せめて一人で思い悩むな。辛いと思う時には私がいることを忘れるなよ」
それは皇帝なりの優しさだった。言葉は少なく、人から見ればそれだけかと言うかもしれないがクリスティーヌにとっては十分だった。この悩みはクリスティーヌにしか解決できないとジルは知っている。だからこそオルセーを非難せず、クリスティーヌを擁護するでもなく、ただ傍にいるのだと伝えてくれる。
クリスティーヌは、それだけで不安に囚われていた心が軽やかになっていくのを感じた。そして、どうしてこれほどまでにオルセーの言葉に悩まされていたのかも。
簡単だ。クリスティーヌは誰からも皇帝の隣に在ることを認められたかったのだ。
クリスティーヌ自身がジルの傍に在ることを望んでいるからだ。
それは、数少ないクリスティーヌにとっての「意思」だった。
ふと、ジルの指先がクリスティーヌの頬に触れた。
「寝不足と顔に書いてあるぞ」
「これは……っ」
「睡眠は取れ。体に障る」
言うや否やジルはクリスティーヌの腕を引っ張り、自身の膝上に彼女を乗せた。
「ジル……!」
「寝不足なら私の膝を枕にすると良い」
「畏れ多いです!」
「気にするな」
気にするに決まっているというのに。
ジルはクリスティーヌの動揺や抵抗を無視して彼女の頭を膝に軽く押し付けた。
近づくと分かる。ヴァルナーサから取れる香水の匂いがした。顔をあげれば見下ろす形でクリスティーヌを覗く皇帝と目が合った。その表情は穏やかに微笑み、クリスティーヌは休めるどころか余計に緊張してしまう。
どれだけ抵抗しても離してくれないと分かり、クリスティーヌは視線を反らし大人しく膝を枕に横になった。大人しくなったクリスティーヌに気を良くしたジルは、クリスティーヌの灰色の髪に優しく触れた。
大きな手のひら。あたたかい温もり。
これだけ優しく触れられたことが今まであっただろうか。
「休めよ。気を張りすぎるな」
「……ありがとうございます」
「ん」
何度となく撫でられながら、次第に緊張が解れていくのを感じた。それから他愛のない会話を始める。勿論交わす内容は穏やかではないこともあったが、クリスティーヌには十分だった。
「あと少しすれば一日休みが取れる。そうしたら共に城下町に行かないか?」
「そのような……お姿がばれてしまうのでは」
「無論変装はする。ああ……魔術で瞳の色を変えることは出来るか?」
「はい……」
「ではそれを頼みたい。髪や服はどうにでもなるのだが、やはり目は目立つのでいつも困っていた。これからはそなたに頼もう」
これからも一緒にお出かけできる。
それは、クリスティーヌの心を満たした。
「それでしたら……いつか私も……ジルに膝枕をして差し上げたいです……」
眠気がクリスティーヌを襲う中、フワフワとした気持ちで彼女が告げた言葉に。
今度はジルが驚いた。
それから声を殺して笑い。
「楽しみにしているよ」
夢の世界へと旅立った幼き婚約者の耳元で、それはそれは静かに囁いた。




