19.転性聖女の引越し挨拶1
「んー、快適快適」
「んー」
頑張って新築した家の住み心地は思っていた以上に快適だ。
今日はぐっすりと眠れたので気持ちの良い伸びをする。
横では私につられたのか、アキも伸びをしている。かわいい。
「アキ、今日はお引越しの挨拶にでもいきましょうか」
「はーい」
ここへ引っ越してきて早数日。そろそろご近所に挨拶をしておこう。
生前の日本の様に文明が発達していれば、近隣住民と協力なんてせずとも容易に生きる事が可能だったが、この世界の文明レベルを見る限りでは、そうもいかなさそうだ。
先日のエクリプスの様に人間一人ではどうしようもない現象も起こるのだ、周囲との協力関係を構築することは必須だろう。
それに、アルフのクランに加入もしている事だし、周囲に住んでいるクランメンバーを把握しておく必要もある。
「引越し祝いに何をプレゼントすれば喜ばれるかなぁ」
「これ?」
アキは自分の服のポケットをガサゴソと漁ると、中からマイテタケと石を取り出した。アキ、ポケットに何入れてるの。
いや、確かに私が集めてって頼んでいたものではあるし、実際に嬉しかったのだが、これで喜ぶ人はあまり居なさそうだ。
ベルに聞いても良いのだけれど、渡す相手の一人に直接聞くのも何か変な感じがする。
自分が用意できる手土産として、何が良いだろうか。
形に残るものだと、趣味が合わないものだったりしたら持て余す事間違いないだろう。
生前も結婚式の引き出物で、新郎新婦の写真入のお皿なんて貰ってしまい、捨てるのも憚られるし、完全に倉庫の肥やしになる困った贈り物だったなぁ。
ここは定番の食べ物が良いだろう。食べればそれまでで後腐れがない。
クランメンバーは最年長がアルフの13歳だから、お菓子とかの方が喜んでくれるかな。
町で色々と調達したお陰で料理の幅が広がった事だし、簡易的なパンケーキでも作って配る事に決めた。
「アキ、贈り物としてお菓子を作りましょうか」
「かーさまと言えば、やっぱり食べ物」
生前私が作ったパンケーキと言えば、市販のホットケーキミックスを使った本当に簡単なものだったが、砂糖が市井の人々に出回っていない事を思えば、十分なご馳走として喜ばれるだろう。
まずはホットケーキミックスモドキを作るところからだ。
ホットケーキミックスは薄力粉、ベーキングパウダー、砂糖と塩を混ぜれば市販品とまでは行かないが、そこそこのレベルのものを作る事が出来る。
「アキ、先日買った小麦粉を臼で挽いてください」
「ん」
買ってきた小麦粉を、作っておいたセラミック製の臼で粉末状にしてもらう。
何回か挽けば、薄力粉になるだろう。
アキが黙々と臼を回しているので、その間に他の準備をしてしまおう。
ベーキングパウダーは膨張剤、それと反応する酸性剤、それらを反応させずに保存するための遮断剤の大きく3つからなる。
膨張剤としては一般的に重曹が用いられる。
重曹の別名は炭酸水素ナトリウムといって何時もの炭素、酸素、水素に加えてナトリウムで作る事が出来る。
岩石の分解や塩の分解でナトリウムを確保できたので合成が出来るようになったものの一つだ。
コンクリートもそうだが、金属がある程度確保できると作れるものの幅が広がって嬉しい。
酸化剤としては、構造の簡単なクエン酸を入れることにする。
これは金属を使わずにいつもの元素で合成する事ができる簡単な分子構造をしている。
重曹だけでもしっかりと膨らむのだが、酸化剤がないと苦味が出るというか、味に影響するらしいので、しっかりと入れることにする。
遮断剤は適当な粉で良かったはずなので、アキが挽いてくれているものに混ぜてしまえば良いだろう。
後は合成した砂糖と買っておいた塩を混ぜればホットケーキミックスモドキの完成だ。
パンケーキが食べられると思うとやはり嬉しい。
この世界にはパソコンやインターネットも無いし、食事が数少ない楽しみだ。
もう少し料理を練習しようっと。
「かーさま、できた」
「ありがとう御座います」
アキの方を見てみると、粉がこぼれない様に容器の中に置いてあった臼の周りには、大量の薄力粉が積もっていた。これだけあれば、パンケーキが何枚焼けることやら。
いつも思うのだが、私が見ていない時のアキの仕事は異様に速い気がする。できる娘だ。
薄力粉を貰い、材料全てを適度な量を混ぜ合わせて完成させる。
味が悪かったら今後調整していこう。
「じゃあ、次は卵を割って入れたら、ミルクを追加して混ぜましょう」
「おー」
アキが任せてと言う感じで手を上げる。
お手本として用意したボールの角に卵をぶつけて殻にひびを入れ割ってみせる。
アキも真似して卵をぶつけるが、勢い余って卵の殻が完全に砕けて飛び散ってしまった。
まぁ、こういうこともあろう。追々出来るようになってくれればいいかな。
ふと、とても親子らしいことをしている気がした。
アキの情操教育のためにも色々と経験させてあげれるように気をつけよう。
そうして十分に混ぜてパンケーキのタネが出来たら後は焼くだけだ。
台所あるコンロの上にフライパンを置き、油を馴染ませてからパンケーキのタネを流し込んで弱火でじっくり。
重曹が反応してタネの中からガスが出てきてポツポツと穴が空いてきたらひっくり返して再度焼けば完成だ。
「思ったより上手くいきましたね」
「美味しそう」
湯気と共に立ち上る少し甘い香りに私とアキは目を輝かせた。
もう、既に見ためだけで美味しい。
黄色地の表面に少し黒く焦げ目がついた焼き加減が食欲を誘う。
口内に涎が溜まってくる感じだ。
そそくさとお皿に移し変え、フライ返しで半分に切れ目を入れる。
試作品は仲良く半分こにして食べるのだ。
「わ、美味しい!これなら幾らでも食べれそう」
「ぐれいと」
口に入れた途端に、非常に懐かしく感じるフワフワの触感と口内に広がる甘みが非常に心地よい。
今生では、甘味といえば稀に食べられる果物の甘味しかなかったので、この甘みは心に染み入るものがある。
少し砂糖を多く入れすぎて甘みが強いが、重曹とクエン酸の混合比の悪さからくる苦味を上手覆い隠してくれている。
アキもグッと親指を立て、賞賛してくれている。
しかし、こんなに美味しいとなると、到底これだけで我慢できる私では無い。
まだまだ材料はあるし、もう少し自分達で食べても良いだろう。
「アキ、パンケーキを焼く練習のために、もう少し作って食べましょうか」
「ナイスなアイデア」
アキは同意してくれているが、此方を見る目がヤレヤレといった感じなのは気のせいだろうか。
まあいい。折角なので楽しみながら焼きましょうか。
「ほら、こうやって焼くと、どう?犬の顔に見えませんか?」
「確か……に?」
フライパンにパンケーキのタネを使って犬の顔を描いてみたのだが、どうやらご理解頂けなかった様だ。残念。
「なら、これならどうですか?猫の顔ですよ」
「これは分かる。次は私に貸して」
自分の美的感覚について少し自信を取り戻すと、今度はアキがタネで絵を描くらしい。
見る限り、象形文字の様な奇妙な形だけどこれは何の形だろうか。
「アキ、これは何の形かな?」
「寝ている時のかーさま」
……これはどうするべきなのだろうか。世のお母様、ご教示ください。
褒めるべきなのか、喜ぶべきなのか、止めてと言うべきか、反応に困る。
それに私ってこんなに寝相が悪いですか?
「へ、へー。上手なものですね」
「任せて」
そんなやり取りをしながら何度もパンケーキを焼くのを楽しんだ。
ふと気が付くと、其処に残されているのは奇妙なパンケーキの山のみで、あんなにあった材料は忽然と消えてしまっていた。
「流石にこのパンケーキを人には渡せませんよねぇ……」
引越し挨拶の準備は振り出しに戻ったのだった。




