第2章
――――ガラガラガラ…
軽快に走る馬車の音に鬱陶しさを感じながらわたしは飛び去る風景をぼんやりと眺めていた。
問題の手紙が届いた翌日、王宮から無駄に贅沢な装飾を施した馬車が姫巫女候補であるアヴィスを迎えに来た。
準備もそこそこにお父様はアヴィスと嫌がるわたしを王宮に行くべく馬車に詰め込んだ。
「ルイーゼ、もし試練期間の1ヶ月内に帰って来た時はこの屋敷にお前の居場所はないと思いなさい」
別れ間際のお父様の言葉を思い出してわたしはムスっとした顔になった。
別れ間際に励ますでも別れを惜しむでもなく、実の娘を脅すなんて何て親なの!
「ルイーゼ姉様…大丈夫?」
馬車の中、ムスっとした顔のわたしにアヴィスが気遣う様に尋ねてくれる。
「ええ、大丈夫、1ヶ月くらい…必ず耐えてみせるから」
ふてくされつつも気遣ってくれるアヴィスへ無理に笑みを作り答える。
そんなわたしとアヴィスを乗せ馬車は昼夜休む事なくどんどん王宮に近づいて行く。
そしてもう少しで城下町に着こうかと言う時、鬱蒼と茂った森の中で馬車が急に停まった。
「…?」
急に停まった事を不思議に思いわたしとアヴィスは顔を見合わせる。
「あの…どうかしたんですか?」
馬車の従者に窓越しに尋ねてみたけど全く返事ない。
「…?あのっ!?」
おかしいと感じ、馬車の扉を開けてもう1度従者に声をかけようとしたその時、馬車から降りるわたしの眼の前に体格の良い男が立ちふさがった。
「あなた…誰?」
辺りが薄暗い為、男の顔はよくわからない。
「……お前が姫巫女候補か?」
男は質問を無視してそう言うとわたしの腕を掴もうとした。
「汚い手で触らないで!」
近づく手を叩き払い、わたしは男をきつく睨み付ける。
「気の強ぇー姫巫女候補だな」
何とも下品に笑いながら男は今度はわたしの胸ぐらを掴んできた。
「……汚い手で触らないでって言ったでしょ!!」
胸ぐらを掴んで来た事に怒りを覚え、わたしは男の足の脛を思いっきり蹴飛ばしてやった。
「ぐぅっっ!!」
貧乏と言えども一応、貴族のご令嬢。
ご令嬢に反撃されるなど全く考えていなかった男は脛の痛みで掴んでいた胸ぐらの手を離し、その場にうずくまる。
「ふん!」
乱れたドレスを整え、辺りを見回すと馬車の影に怯えた様子で隠れている従者が目に入る。
「……ねぇ従者さん、あなた剣は持ってるかしら?」
助ける事もしない従者に怒りを覚えつつ、わたしは尋ねた。
「は…はいっっ!一応…ございますが…?」
「そう、ではその剣わたしに貸していただけるかしら?」
震える声の従者にニッコリ微笑みながらわたしは手を差し出した。
「は…はぁ…?」理解出来ないと言う風な表情をしながらも従者はわたしに自分の剣を貸してくれる。
「ありがとう…これからわたしがあの男の注意を引き付けてます。あなたはその隙に馬車に乗って逃げてください」
剣を受け取りながらわたしはうずくまっている男に聞こえないようにそっと従者に告げる。
「えぇっ!?しかし…」
「こんのぉ…ふざけた事しがって!!」
かなり困惑気味の従者の言葉を遮って、痛みにうずくまっていた男が突然立ち上がり腰にぶら下げてた剣を抜いた。
「あら?わたしと剣で戦うつもり?」
あまり手入れの行き届いていない従者の剣を構え、男を振り返るとクスリと笑う。
「……ナメやがって……!」
顔はよく見えないけど声から男がかなり怒っている事がわかる。
「あなたこそ、わたしが女だと思ってナメないで欲しいわね」
最初に言った通りわたしは容姿も月詠みの力も人並み。
そんなわたしにも1つ得意なモノがある。
それは――――剣術。
子供の頃から他の男の子たちに混じってずっと習ってきたから、そこら辺の男には負けない自信がある。
だけど……今、ドレスに身を包んでいるわたしには体格の良い男に勝てる見込みはない。
幸いにも男はまだわたしを姫巫女候補だと思い込んでて馬車の中のアヴィスの存在には気付いてはない様子。
せめてアヴィスだけでも…。
わたしはそう思いながら剣の柄を強く握った。
途端、わたしの背後にいた従者が素早く馬車に乗り込み、振り返る事なく走り出した。
「…くくくっ!見捨てられたな、お前!!」
見えなくなった馬車を見送り男は下品に笑い出した。
「ふふ、見捨てられたんじゃなくて無事逃げ出せたのよ。あの馬車には大切な、大切な姫巫女候補様が乗っていたからね!」
「なんだとっっ!?この女ぁ…!」
わたしの言葉に男は更に怒り心頭でわたしに襲いかかってきた。
男の怒り任せに振り回す剣をわたしは辛うじてよける。
わたしの方が体格も力も弱い分まともに戦うのはかなり不利。
だから持ち前の身軽さを生かし振り回す剣を避け、男の体力を削いで隙を見て逃げようと考えてた。
でも…ドレスに身を包んでいるわたしは何時もより動きが鈍くなるし、履き慣れないヒールの高い靴が邪魔をする。
…ヤバイわね…
わたしは剣をよけつつも焦りの色が隠せない。
「はははっ!さっきの勢いはどうした!?」
逃げるばかりのわたしを男は下品に笑う。
「うるさ…あっ!」
男の下品な笑いが癇に触って怒鳴ろうとした時、鬱蒼とした草に足元をとられてしまいその場に倒れてしまった。
「くくくっ!そろそろ終わりの様だな」
倒れているわたしに男は下品な笑いを浮かべながらゆっくりと近づいて来る。
「……くっ!」
倒れた体勢でもわたしは眼の前に近づいて来た男を睨み付ける。
「手間かけさせやがって…さぁ、覚悟してもらおうか!!」
睨み付けるわたしを見下しながら男はその手に持っていた剣を力一杯振り下ろした。
―――もう……ダメ!!
ガギィィーー…ンッッ!!
襲い来るであろう痛みにきつく眼をつぶるわたしの耳に鈍い金属音が響いた。
「………?あれ?痛くな…い…?」
鈍い金属音と襲って来ない痛みを不思議に思い、眼を開けてみると、わたしの眼の前では男の振り下ろした剣を見馴れない男の人が剣で受け止めていた。
「女性に乱暴するなんて感心しませんね」
剣を受け止めていた男の人が静かに言った。
その男の人はルビーの様な深紅の眼に艶やかな漆黒の長髪、そして…とても整った顔立ち。
どこをとってもため息が出る程、美しい男の人だった。
「お前…誰だ!?」
「わたしは宮中騎士ヴューイ、何故姫巫女候補の馬車を襲ったのです?」
「宮中…騎士!?…チッ!」
ヴューイと名乗る男の人が問うと男は舌打ちをし、慌てた様にその身を翻して鬱蒼とした森の中に消えて行った。
「――――はぁ…」
男の姿が見えなくなってわたしは大きく息をついた。
緊張のし過ぎのせいか頭がクラクラする…。
「大丈夫ですか?」
剣を納めたヴューイ様は座り込んでいたわたしに手を差出してくれた。
「はい、ありがとうござ……うっ……!!」
差出されたヴューイ様の手を掴み立ち上がろうとした途端、わたしの身体の全力が抜け、眼の前が夜の帳が落ちる様に徐々に暗くなって行った。
クラクラする頭の隅でヴューイ様がわたしに何か言った様な気がするけどわたしは答える事が出来ずに暗い闇の中に落ちて行った…。
∵