二十一歳㉑
ユーファを見る度に湧き起こる甘い気持ちとは裏腹に、スレンツェの心には絶えず苦い自問が渦巻いている。
宿の寝間着姿になった、いつもと違う雰囲気の彼女に目を奪われる一方で、頭の片隅にいるどこか冷静な自分がカルロらのことを思い、そんなことにうつつを抜かしている場合なのか、そんなことが許されると思うのかと反問しているのだ。
こんなオレに、彼女を想う資格などあるのか。
人を愛し愛されたいと願う資格など、あるのか。
人としての幸せを望む資格など、このオレに―――。
数え切れない人々の骸の上に立ち、彼らの犠牲をもって生き永らえているこの自分に、そんな資格など―――……。
その思いはカルロ達と対峙後、急速に膨れ上がって、密かにスレンツェの精神を圧迫し続けていた。
そしてそれは夢という形を取って、毎晩のように彼を深い闇の底へと誘うようになっていたのだ。
そして、今夜もまた―――……。
底冷えするような闇がまとわりつく気配を感じ、深層意識の底で瞼を開いたスレンツェの目に映ったのは、赤と黒と白の三色で構成された世界―――またか―――という諦念にも似た思いを精神世界でなぞらえながら、独りその地に降り立ったスレンツェは、覚えのある風景を眺めやった。
崩れた城壁から折れて垂れさがる国旗と吹き上がる炎、それに煽られて舞う戦塵―――累々と横たわる戦士達の亡骸が生々しい、荒涼とした戦場跡に一人佇む自身の足元を覗けば、踏みしめたおびただしい数の髑髏の山が見えた。
その髑髏達の眼窩から無数の白い腕が伸びてきて、髑髏の山の上に立つスレンツェの足に腰に、腕に肩に絡みつく。まるで植物の蔓のように、逃すまいと言うように彼の身体を絡め取ったその節々からぼこぼこと、不気味に浮き出て膨らんだつぼみのようなものが人の顔をかたどると、やがてそれは見知った人物のものへと変貌して次々に咲き狂い、歪んだ口から悲鳴にも似た呪詛を吐いた。
『苦シイ、痛イ……血ガ、血ガァ―――!』
『何故、オ前ダケガ生キテイル―――』
『殺セ、帝国ノ皇子達ヲ殺セ!』
『ドウカ、我ラノ仇ヲ……アズール王国ノ再興ヲ―――』
『帝国人ヲ皆殺シニセヨ!』
精神に直接響くような亡者達の怨嗟の声が無念を纏う狂焔となって、がんじがらめにされ身動きの取れないスレンツェの魂を灼いていく。
「―――……!」
表現しようのない苦痛に、天を仰いで声にならない声を迸らせながら、逃れることも膝を折ることも許されないスレンツェは、ただひたすらに永劫にも思える時を耐えるしかなかった。
祖国を失い帝国へと下った後、繰り返し繰り返し、毎夜のようにこの夢を見た。
毎晩うなされて起きては嘔吐し、眠れぬ夜を長いこと過ごした。あの頃は生きながらにして死んでいた。
その悪夢を今、また見ている。
フラムアークと出会い、ユーファと出会って、少しずつ悪夢を見る頻度が減り、ここ最近はめっきり見ることも少なくなっていたのだが、カルロ達の一件が契機となり、再びそれが繰り返されるようになってしまった。
これは自分の心象風景だ。分かっている。だが、彼らがこのような無念の下で死んでいったことも知っている。
絶えることのない亡者の合唱―――拘束され耳を塞ぎたくても塞げないスレンツェの前に忽然と現れたカルロが、血の涙を流しながら叫んだ。
『何故、我々を裏切ったのだ! 貴方のせいでまた死んだ、アズール王国を守ろうとする同胞達がまた死んだ! 我らをどれほど落胆させ失望させたら気が済むのだ、貴方は!?』
これは現実のカルロではない。分かっている。だが、自分は確かに彼の期待を手酷く裏切り、多くの同胞らを落胆させた。これに間違いはない。死者が出たこともまた事実だ。
その事実が、スレンツェを苦しめる。
重い。重い。身も、心も。
尽きることのない悔恨の海へと沈んでいく。
苦しい。息が継げない。何度も何度も、心折れそうになる。いっそ、折れてしまえたら楽なのだろう。
だが、折れることは許されない。ただ独り生き残った王族として、どれほど苦しくとも立ち続けねばならない。
それが唯一、無念の中で死んでいった彼らに報いる道だからだ。
そしてそれが、他者の屍の上に立って生き永らえている、自分という人間に課された贖罪なのだから―――……。
深夜、苦し気な息遣いにふと目を覚ましたフラムアークは、隣のベッドで眠るスレンツェの異変に気が付いた。
悪い夢でも見ているのだろうか、上掛けを握りしめたスレンツェの精悍な顔には大粒の汗が滲み、その眉は苦悶にひそめられている。
「……っ」
時折身じろぎして辛そうにしているその様子に、フラムアークは彼の肩を掴んでゆすり起こした。
「スレンツェ……スレンツェ!」
何度目かの呼びかけで、ハッ、と身体を震わせて覚醒したスレンツェは、こちらを心配そうに覗き込むフラムアークの顔を視界に捉えてから、状況を把握するまでにしばしの時間を要したようだった。やがて緩慢な動作で上体を起こした彼は、じっとりと汗の滲む自身の額に手をあてがって、深い吐息をついた。
「……悪い。うなされていたか」
その様子から、フラムアークはこれがスレンツェにとって珍しくない出来事なのだと悟った。これまでは寝室を共にする機会がなかったから気が付かなかったが、彼はこんなふうに人知れず度々うなされていたのだろうか。
「悪夢か? ……よく見るのか?」
心配するフラムアークにスレンツェはおざなりにかぶりを振った。
「それほどじゃあない」
窓から差し込む月明りでは判別しづらかったが、スレンツェの顔色は悪く、その表情はひどく辛そうに見えた。
「……カルロ達に関する夢か?」
フラムアークは少し踏み込んで尋ねてみた。スレンツェが悪夢を見るきっかけになりそうな心当たりといえば、目下のところ思い浮かぶのは彼らのことだった。
「……。それもある。だが、それだけじゃない」
スレンツェは言葉を濁した。これ以上は詮索されたくなさそうだと察したフラムアークは、それ以上踏み込むことを避けた。
「……そうか。だいぶ辛そうだったけど、大丈夫か? ユーファから安定剤か何かもらってこようか」
「今はいい。心配するな、大丈夫だ……」
傍目にはとても大丈夫そうには見えなかったが、フラムアークはスレンツェを慮って頷いた。
「そうか。でも、こんな状態が続くようだと身体に障るから、明日になったらユーファにキチンと相談して、何かしらの対処をした方がいい」
「……。そうだな」
スレンツェ自身、この状況が続くことでこの先の仕事に支障が出てはまずいという自覚はあった。だから素直に頷いたのだが、その返答を聞いたフラムアークは不服そうに眉根を寄せた。
「スレンツェさ、今、仕事に差し障りがあったら困るからって思っただろ。違うからね。オレは第一にスレンツェの身体を心配して言っているんだよ」
「フラムアーク」
「ユーファに薬を処方してもらっても状況が改善しないようなら、少し休みを取った方がいい。今までが働き過ぎだったんだから、そうするべきだ」
「バカな……状況はそれどころじゃないだろう」
「スレンツェに倒れられた方が目も当てられないよ。仕事なんていざとなれば調整して他の皇子達に回せばいいし、大抵のことはどうにか出来るけれど、スレンツェの方はそうはいかないんだからね。スレンツェの代わりはいないんだから」
「それはそうだが……」
「よし、この話はこれで終わり。まだ真夜中だし、少しでも寝て身体を休めよう。また悪夢を見ないように、今夜のところはオレが添い寝してやるから」
フラムアークのこの発言にスレンツェは耳を疑った。
「な、ん?」
「人肌には安眠効果があるって言うから。せっかく寝てもまた悪夢を見てうなされちゃったら元も子もないし、ものは試し、それで安眠出来たらラッキーだろう?」
「何をバカな……デカい男が二人で寝れるような広さじゃないだろうが。大体にしてそんな気色悪い真似はごめんだ」
正気を疑う様子のスレンツェに対し、フラムアークはいたって大まじめに回答する。
「スレンツェ、偏った見方はしちゃいけない。男の肌だってれっきとした人肌だ、温もりもあるし鼓動だって聞こえる、いわゆる安眠用件は満たすはずだぞ」
「いや、そういう問題じゃなくてだな」
「確かに二人で寝るとなるとこのベッドじゃ狭いかもしれないけど、悪夢を見るよりはマシじゃないか?」
「オレが今問題にしているのはそこじゃない」
冷静に否定するスレンツェにフラムアークは軽く小首を傾げてみせた。
「ちゃんと入浴は済ませたし、臭くはないぞ?」
「だからそういう問題じゃない、もっと根本的な問題だ! 純粋な厚意からと分かってはいても、柔らかさの欠片もないデカい男とひとつのベッドで同衾すること自体が、オレには生理的に無理だと言っているんだ!」
「そう言われても、オレに柔らかさを求めるのは無理だよ」
天然なフラムアークに頭痛を覚えつつ、スレンツェはキッパリと断った。
「論点がずれている! 気持ちだけで充分だとさっきから断っているんだ」
ハッキリと断られてしまったフラムアークは、少なからぬダメージを受けたようだった。
「ええ……そんなにオレと添い寝するのが嫌なのか? スゴくショックなんだけど」
「お前と、というわけじゃなく、男と添い寝すること自体が無理だという話だ」
「うーん……気持ちは分からなくもないけど、オレはスレンツェが相手ならあまり抵抗感がないから、そうやって拒絶されてしまうとかなり悲しいな。オレと寝るくらいなら悪夢を見た方がマシっていうことが……」
見るからにしょんぼりと気落ちしてしまったフラムアークに、スレンツェはばつが悪そうな顔になった。
「そんな言い方をするな。別にお前が嫌いなわけじゃないし、厚意を無下にしたことは悪いと思っている……だが、無理なものは無理なんだ」
「うん……。役に立てなくてゴメン……」
ますますしゅん、とうなだれてしまったフラムアークはまるで耳を伏せた大型犬のような佇まいだ。
その様子にいたたまれなくなったスレンツェは、普段言わない本音を口にした。
「お前が役に立たないなんてことは断じてない。断りはしたが、今のこのやり取りだって充分オレの気持ちを救ってくれているんだ。お前がオレを心から案じてくれているのは分かっているし、伝わっている。そうやってお前が無償の親愛を示してくれるから、オレも偽りのない自分の気持ちをありのままに返せているんだ。
お前がいるから、オレはオレでいられている。何だかんだ、頼りにさせてもらっているんだよ」
「スレンツェ……」
落ち込んでいたフラムアークの表情がみるみる輝きを取り戻した。
「そうなのか? だとしたら、スゴく嬉しい。オレがスレンツェのことを大切に思っているように、スレンツェもオレのことをそう思ってくれているんだな。多分そうだろうと感じてはいても、きちんと言葉にして言われると全然違うものだね。何ていうか……心に力が漲ってくる気がする。改めて、思いを言葉にするのって大事なんだなって分かったよ。ありがとう、スレンツェ。オレはスレンツェが大好きだ」
直視するのが眩しいような笑顔で、何の照れもなく真っ直ぐな思いを伝えてくるフラムアークに、そういう性質ではないスレンツェはかなりの気力を振り絞って応えた。
「あ、ああ。オレもだ。人としてな」
「うん! オレも人として、スレンツェのことが大好きだ。もしまたうなされていたら起こしてあげるし、気が変わって添い寝を望むようなら協力するから、いつでも言ってくれ」
「……分かった」
添い寝を望むことは絶対にないが、とこれは心の中で呟いて、スレンツェは頷いた。
思いがけぬ照れ臭いやり取りを交わすことになってしまったが、そのおかげか、この夜、彼は再び悪夢を見ることなく朝まで眠りにつくことが出来たのである―――。




