二十一歳⑪
戦場では、突然の乱入者に殺気立ったカルロの配下らが複雑な視線をよこしていた。
「エレオラ……!」
カルロの周辺を守っていた組織の兵は、古参の者が多かった。長く苦楽を共にしてきた彼女の敵としての出現に、彼らは一瞬の躊躇を見せたのだ。
その一瞬が勝敗を決した。
馬の背から跳んだスレンツェが全体重を乗せた激烈な一撃をカルロに見舞い、カルロはかろうじてそれを剣で受けたものの、衝撃を殺し切れず騎馬ごと横倒しになり、勢いよく地面へと投げ出された。
「カルロ様ッ―――!」
側近や周囲の兵が急いでカルロを救出に向かおうとするが、その時は既にエレオラと共になだれ込んできた帝国兵と乱戦状態になっており、思うような身動きが取れない。
地面へと投げ出されたカルロは即座に起き上がろうと試みたが、野太い首を挟むようにして大地に鋭く突き立てられた双剣がそれを阻んだ。
抜けるような青空を背景に、カルロが主上と定めてきた男が、厳しい表情でこちらを見下ろしている。
「―――とどめを」
己の敗北を悟ったカルロの口から、かすれた声が漏れた。
「帝国へ身柄を渡されるのも、帝国兵の手で殺されるのも、我慢がなりません。貴方の手で、とどめを」
「―――阿呆!」
辞世を告げようとするカルロを、スレンツェは一喝した。
「ふざけるな……! お前はそんなに無責任な男だったか!? お前を慕い集まった者達を途中で放り出すような恥知らずだったか!? 自分で始めたことだろう、最後まで責任を持て! お前が死んだら組織の者達はこの後どうなる!? お前の勝手な自己都合でお前を慕い集まった者達を見捨てるなど、オレは絶対に許さない! どんなに苦しくとも、生きて生きて生き抜いて、己の目で結末まで見届けろ! それが上に立つ者の責務だ!!」
全身全霊で叩きつけられたその言霊は、雷光のようにカルロの胸を穿ち、骨の髄まで震撼させた。
カルロは復讐で濁った己の目に、その時初めてスレンツェの真実が見えたような気がした。
だから、スレンツェは自ら皇帝の下へと下ったのか。血族を皆殺しにされ、身分を剥奪され、国を失い、全てのものから引き離され、王家の者としての矜持を踏みにじられてもなお、その責務を全うする為、自害という道は選ばなかった―――。
カルロはこれまでそれを、来るべき復讐に備えての雌伏の時なのだと捉えてきた。激情に震え辛酸をなめながらも、いつか帝国に牙を剥くその時の為にスレンツェはじっと耐え忍び、虎視眈々とその機会を狙っているのだと―――スレンツェの胸には自分と同じように帝国を焼き尽くさんとする業火が宿っており、それを支えとして彼は生きているのだと。
だが、違った。スレンツェはそれが帝国との戦争を始めたアズール王家の責任だと捉え、独り全てを背負ったのだ。生き長らえたのは復讐の牙を研ぎ澄ます為ではなく、カルロ達国民をこれ以上死なせない為、自分に課せられた役目を果たす為の選択だった。
当時わずか十五歳だった若者の、何と悲壮な決意と覚悟か―――それに比べて、自分は。
「生きろ、カルロ! お前は血にまみれても生き長らえなければならないんだ! お前には、その責任がある!」
声を振り絞るようにして、スレンツェは剣を突きつけた男に向かいこう叫んだ。
「生きるんだ、カルロ!!」
カルロの両眼から熱い涙が溢れ出た。とうに枯れ果てたと思っていた涙が、積年の頑なな思いをゆっくりと溶かしていく。
「……貴方に恥知らずとそしられては、死んでも死に切れません」
ひび割れた唇をゆっくりと動かして、カルロは自身の胸に芽吹いた新たな決意を口にした。
「私も……最後まで己の務めを果たしましょう」
「……! カルロ!」
自分の言葉がカルロに届いたと悟り、スレンツェが感極まった表情を見せる。その時だった。
スレンツェの背後から、カルロを助けようと側近の一人が斬りかかった。気付いたカルロが止める間もなかった。
「!」
振り返ったスレンツェの眼前で、飛び出したエレオラが自身の剣でその一撃を受け止める。勢いを殺しきれず肩口を血で染める彼女に、相手は顔を歪めながら絶叫した。
「エレオラぁッ! どけぇぇッ!」
「……どきません!」
「―――やめよ!」
立ち上がったカルロが側近を制し、双方から剣を引かせた。
「―――!?」
「カルロ様……!?」
事態が飲み込めない二人に対しカルロは黙して頷くと、スレンツェに向けて言った。
「……彼女は、良い臣になりますな」
「……。今のオレの身には余る」
睫毛を伏せたスレンツェへ、カルロはいかつい口元をほころばせた。
「貴方がそうさせたのだ。責任を取られよ」
一陣の風が吹き抜けた。
それに導かれるようにして、カルロとスレンツェは丘の上を仰ぎ見た。こちらを見据えるフラムアークの姿を視界に捉えたカルロはわずかに瞳を細め、ポツリと呟いた。
「―――潮時か」
戦いの音に入り混じって近付いてくる馬蹄音に、カルロもスレンツェも気が付いていた。
「この音は―――!?」
「―――おい、あれを見ろ!」
誰かが叫んだのを皮切りに多くの者が地鳴りのような響きに気が付き、次々と丘の上を見上げた。そこに出現した新たな軍勢の姿を確認した次の瞬間、レジスタンス側からは喘ぎのような落胆の響きが湧きおこり、連合軍からは大きな歓声が上がった。
連合軍にとっては待ちわびた、イズーリ周辺の有力者達からの援軍の到着だったのだ。
この援軍の登場は、スレンツェの単騎駆けで気勢を削がれ、カルロの安否にも不穏な空気が漂い始めていた“比類なき双剣”の兵士達の心を挫く決定打となった。数で優位に立っているという見立ての下戦いに臨んでいた彼らは、その根底が覆されかねない状況を前に、戦意を喪失したのである。
それはレジスタンスの兵と正規の訓練を受けた兵の差でもあった。
「撤退の合図だ」
カルロの命を受けた伝令が走り、戦場に撤退を報せる笛の音が響き渡る。
倍以上の敵を凌ぎ切った連合軍からは勝ち鬨が上がり、“比類なき双剣”の兵達は無念の表情のまま足早に撤退を開始した。
「―――……一から出直してまいります」
「……。ああ」
短い言葉と、言葉にならない思いを込めた視線を交わし合い、最後に短くスレンツェに目礼をして、側近達に囲まれたカルロは戦場から離脱していった。
「スレンツェ様、ご無事ですか!」
息を切らせて駆け寄ってきたエレオラにスレンツェは血止め用の端切れを呈すると、有無を言わせず彼女の肩口に巻いてきつく縛った。
「オレよりお前だ。無茶をする……」
険しい光を帯びていた切れ長の双眸がふと和らいで、エレオラの青味を帯びた黒い瞳を捉えた。
「だが、助かった。礼を言う。……戻ったらユーファに診てもらえ」
「いえ……ありがとうございます。それほど深く切れてはいませんから、大丈夫です」
心なし頬を染めながら、エレオラはカルロ達が引き揚げていった方角に視線をやった。
「ギリギリのところでしたが、カルロ様が分かって下さって良かったです」
「ああ……大した男だ。オレはあいつの期待を手酷く裏切ることになったのに―――あいつの要望を何ひとつ叶えてなどやれなかったのに、そのオレの言葉を、あいつは受け入れてくれた」
遠のいていく敗軍の列を眺めやりながら、スレンツェは誰に言うとでもなく呟いた。
「オレはあいつを、どれほど傷付けたのだろうな。どれほど多くの者を失望させ、落胆させたのだろうな……。……。“比類なき双剣”―――オレが真実その名にふさわしい存在であったなら、あいつらをレジスタンスという存在にすることもなかったんだろうか―――」
「スレンツェ様……」
答えを求めるわけでない、やるせなさからこぼれ出た痛ましい彼の独白に、エレオラは言葉を詰まらせた。
こんな時フラムアークなら、きつくスレンツェの肩を抱いて、持って行き場のない辛さを分かち合うのだろうか。ユーファならば、そっと彼に寄り添ってその悲しみを癒すのだろうか。
一介のアズールの民にすぎないエレオラには、そのような術はない。傍にいて声をかけること以外、傷付いた彼にしてやれることはないのだ。
「どうかご自分を責めないで下さい。傷付いているのは貴方だって同じです。カルロ様も組織の者も傷付いたでしょうが、でも、皆生きています。みんな、生きているんです! それは他の誰でもない、貴方のおかげです。
胸を張って下さい、スレンツェ様。私は貴方がご無事で、こうして生きていてくれることが、心の底から嬉しい。例え深く傷付いていたとしても、カルロ様が、皆が生きていることがとても嬉しくて、幸福です」
エレオラは込み上げてくる感情を堪えながら、スレンツェの目を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。微笑んだ拍子に涙がひと筋こぼれ落ちて、降り注ぐ陽光に煌めいた。
「エレオラ……」
その健気な微笑みに、穢れのない涙に、スレンツェは自身の心が救われるのを感じた。
「ありがとう……」
彼女の言葉にこうして救われるのは、これで二度目だ。
目頭が熱くなるのを覚えながら、スレンツェはそれを押し隠して、かつての同胞達が去りゆく光景を戦場跡から見送った。




