二十歳⑬
「―――そうか……兎耳の薬師はあれの宮廷薬師として残ることになったのか」
夕暮れ時の第三皇子の執務室内。臣下からそう報告を受けたフェルナンドは、手元の書類に目を落としながら静かに頷いた。
「第四皇子は当初彼女を手放す意思を示したようですが、彼女の強い要望を受けて、改めてその裁量により任命したという流れのようです」
「ふぅん……あれが私に示した言葉に嘘はなかったということか。まああれも内心では彼女を手放したくないと認めていたから、なるべくしてなったということなのだろうな。数少ない味方を失わずに済んで何よりだ。あれも今頃はホッとしていることだろう」
レムリアとバルトロをきっかけに発した種の保存にまつわる一連の騒動は、フェルナンドにとってさして重要なことではなかった。彼にとってはこの問題は些末なことで、どう転ぼうが痛くも痒くもなかったからだ。
そんな彼が兎耳族の保護の是非という根幹の問題をわざわざ提起したのは、このところ頭角を現してきたフラムアークに対する嫌がらせであった。
病弱で次期皇帝候補になることはないと見限られていた一族の爪弾き者のくせに、ここ数年、妙にその存在感を増し、フェルナンドに警戒感を抱かせるに至った不遜な弟をひとえに苦しめたかったのである。
幼い頃から心の拠りどころにしてきた母親代わりの相手を失いかねないカードを切られたら、あの泣き虫がどんな反応を見せるか? それが見てみたかった。
そこそこ頭は回るようだから、あれは小生意気にもフェルナンドがこういった動きに出ることを予測してくるだろう。その上で青ざめながら保護の継続を訴えるか、苦悩の末、保護の解除に追随するか―――いずれにしても、あれが精神的に苦しい思いをすることは間違いない。
皇太子辺りなら例え保護が撤廃される流れになったとしても、皇子の権限を振りかざして無理やりにでも相手を慰留するだろうが、あの弟の性格的にそれはないと踏んでいた。
近頃何かと目障りなあの弟は昔から生真面目で、まず相手の立場を慮る傾向にある。それが大切にしている相手となれば尚更だ。臣下など使い捨ての駒にすぎないというのに、上に立つ者にそぐわない、甘っちょろい精神論を抱えているのだ。
その甘っちょろさでせいぜい苦しむがいい、とフェルナンドはほくそ笑んでいた。そして出し得た苦渋の決断を見せてみろ、と。
彼としては様子見がてらの退屈しのぎ、ほんの余興のつもりだったのだ。
ところが、思うようにはいかなかった。
この問題の提起にフラムアークが苦しんだことは間違いないだろうが、彼はそれをおくびにも出さず、自ら事前に兎耳族に聞き取り調査まで行って、積極的にこの問題と向き合う姿勢を見せた。そしてあろうことか、フェルナンドの提言を自ら取りまとめるようなところにまで持っていったのだ。
それが、大いにフェルナンドの癇に障った。
兎耳族の保護を始めた張本人、皇帝グレゴリオにとってもこれは面白くない展開だったはずだ。父の不興をフラムアークは間違いなく買うことになった。その点は目論み通りだった。
だが、それに臆することなく振る舞ったフラムアークに対し、上座にいた要人達が向けた視線―――あれは気に入らなかった。フラムアークに対する彼らの暗黙の評価が窺えたからだ。
皇位継承順位を未だ鵜呑みにしている皇太子のお粗末極まりない下手のこき方も、忖度なく意見をつけてくる飄々とした第五皇子の物言いも、逐一神経に障った。
―――もう少し内面の動揺も葛藤も見せてくれるかと思ったのだが、な。
フラムアークはチラともそれを見せなかった。フェルナンド的には非常に不本意な結果に終わったのだ。
存外ふてぶてしい奴だ。あの虚弱な泣き虫が、まさかここまで変貌しようとは。
フェルナンドは自身の想定以上の立ち回りを見せたフラムアークに対し、苛立ちを覚えると同時に彼に対する認識を改めねばならなかった。
どうやら過小評価し過ぎていたようだ。ここ数年、あれの動きに感じていた変化や違和感は杞憂ではなかった。取るに足らない小物と断じ、しばらく自由にさせ過ぎてしまった感は否めない。
分不相応な成長を遂げたあれは、駆逐すべき害虫だ―――この自分が次期皇帝になる為に摘まねばならない、不穏の芽だ。
かつては歯牙にもかけなかった皇族の面汚しをこの自分が相手にすることになろうとは、何という時の悪戯か。
だが、何事にも手を抜かない主義のフェルナンドは万が一を考えて、密かに網を張っておいた。備えあれば憂いなし、だ。
「両翼がその背にあるということは―――それを引き千切る楽しみが残っているということだ。さて、どうしてくれようか―――? 引き千切られた翼を見ても、お前は果たして今回のように涼しい顔を保てるかな?」
秀麗な面差しに薄暗い笑みを湛えて、フェルナンドは三つ下の弟へ未来の闇を暗示した。




