二十歳③
通称兎宮と呼ばれる兎耳族の保護宮へとやってきた私は、そこで暮らす人々にさっそく聞き取り調査を行い始めた。
三階建ての集合住宅群からなる保護宮には現在二百名程の兎耳族が生活しており、日中ここにいるのは主にお年寄りや幼い子どもがいる母親といった層だ。
レムリアの一件は既にここにも伝わり始めていて、知っている人達は心配と好奇の入り混じった目で私に彼女のことを尋ねてきた。
「ごめんなさい。私も詳しいことはまだ分からないの」
私は何十回と同じ言葉を繰り返しながら、その件についてどう思うか、また現在の保護生活についてどう考えているのか、一人一人に聞いて回った。中には回答することで自分に不利益が生じるんじゃないかと心配する人もいたから、丁寧に不安を取り除きながら話を進めるように努めた。
聞き取りをして分かったのは、レムリアの件に関しては特に女性から同情的な意見が多く、男性からも厳しい意見は少なめだということだった。
皆、個人の感情まで制限されている今の状況には少なからぬ不満を抱いているようだ。
保護生活についてはお年寄りが「現状で概ね満足」と答える割合が高かったのに対し、若い世代からは「保護生活の在り方に対する不満」や「保護そのものが不要で苦痛」という意見が多く、世代間による捉え方の格差が大きかった。
お年寄りは身体的な衰えといった理由から、今更保護を解除されて一から生活をしていけと言われても、自力での生活再建が困難という意見が最多で、若い世代は保護の恩恵を認めつつも仕事や私生活に関する不満を漏らす声が多く、幼い子どもを持つ親達からは保護宮の中の世界しか知らない子ども達に広い世界を見せてあげたいという切実な願いが聞かれた。
性別や年代、個人の価値観の違いもあって、兎耳族として一概にこういう道を望んでいる、という方向性を見出すのはなかなかに難しそうだ。
久々に帰ってきた自分の部屋はレムリアの私物で溢れていて、小さなテーブルには装飾用の石と作りかけのブレスレットが置いてあった。彼の誕生日プレゼントにと、彼女が心を込めて作っている最中だったのだろう。
切ない気分に囚われながら、私は聞き取った意見をざっとまとめ、日中働きに出ている人達が戻ってくる頃合いを見計らって、再び聞き取り調査に精を出した。
けれど聞き取りを渋る人やなかなか捕まらない人もいて、思うようには進まず、全員の回答を得るのに三日を要してしまった。
思ったより時間がかかっちゃった……みんなの意見を聞くって、大変ね。
二百人程度でこれだもの……国民の総意を見取りながら国の舵取りをしていくなんて、まさに至難の業……想像を絶する行いだわ……。
そこから報告書をまとめてようやくフラムアークに提出する頃には、審議まであと三日と迫っていた。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「いや、ありがとう。ご苦労様」
労いの言葉と共に受け取った報告書へ早速目を通すフラムアークに、私は様々な思いを込めて頭を下げた。
「どうか、レムリア達を宜しくお願いします」
「うん。彼女達に理不尽な処分が下らないよう、全力を尽くすよ」
鷹揚に頷いてデスクからこちらを見上げたフラムアークの様子はいつもと何ら変わりなく、私はそんな彼の有り様に大きな安心感を覚えた。
不思議……いつもどおりのフラムアークの姿を目にした、ただそれだけなのに、心に渦巻いていた不安が嘘のように凪いでゆく―――さっきまであんなに張り詰めていた気持ちが、貴方のその落ち着いた佇まいを見ただけでこんなにも和らいでいくなんて……。
理屈ではなく態度ひとつでこんなにも他者に安心感を与えられる彼という存在の特別さを、改めて感じた瞬間だった。
でも、だからと言って、フラムアークにばかり甘えてはいられない。
「他に何か、私にお手伝い出来ることはありますか?」
そう意気込んで尋ねた私に、フラムアークは当たり前のように頷いた。
「あるよ。オレの体調管理。大事でしょ?」
その微笑みに、残っていた気負いも自然と解けて、気が付けばきつく結んでいた私の口元にはほころびが広がっていた。
「……はい。私の本分です」
自分でも驚くほど穏やかな声が出た。
―――まるで呼吸をするようなさりげなさで、周囲の強張りを解いてしまう人。
穏やかな春の陽だまりのような空気感と、それに相反する機知と胆力を併せ持った、私の主上。
「この先はオレの領分だから。後は任せて」
「はい。宜しくお願い致します」
私は肩の力を抜いて、フラムアークに全てを託した。
―――この人が全力を尽くすと言ってくれているんだもの。きっと、大丈夫。
レムリア達は大丈夫……大丈夫だわ。
それから三日後。
皇帝の庇護下にあり同族間以外での婚姻が禁じられている兎耳族のレムリアと、彼女と同じ職場で責任者の補佐役を務めていた下級貴族の人間バルトロによる不義の関係について審議する場が、宮廷内の議場にて開かれていた。
重厚な楕円形の長テーブルの最奥に座した皇帝グレゴリオを筆頭に、宰相や宮内卿といった政務に関わる重鎮達が顔をそろえて上座に並び、六人の皇子達はその下座に皇位継承順位に則った席順で参席している。
第四皇子のフラムアークは右を第二皇子ベネディクト、左を第六皇子アルフォンソに挟まれ、その正面の席には第三皇子フェルナンドが座している。テーブルを挟み向かって右上に皇太子ゴットフリート、左上に第五皇子エドゥアルトを臨む位置だ。
進行役によって今回の概要が改めて説明なされ審議が始まると、予想通りレムリア達に厳しい処罰を科すべきだという意見が相次いだ。
「皇帝陛下の恩情をないがしろにする、あまりにも義務と自覚に欠けた行為だ」
「兎耳族の保護の為に莫大な国家予算を投じているというのに、これでは税金を納めている民に示しがつかぬ」
「この機会に規則を見直し、兎耳族達の統制を強化すべきだ」
「宮廷従事者にも改めて種の保存を周知徹底し、罰則を盛り込んだ規定を設けねばなるまい」
議論は始めからレムリア達に非ありきで、どの程度の処分を科すのが妥当か、今後このような事態を防ぐ為にはどうすべきかといった内容を協議する展開になった。
このままでは埒が明かない。
議論の流れを変えるべく、フラムアークが動きかけた時だった。一拍早く、落ち着いた涼やかな声音が白熱する議事の場に制止をかけたのだ。
「少し、宜しいですか」
発言者は第三皇子フェルナンドだった。
母親譲りのさらりとした薄茶の髪を後ろでひとつに結わえ、父親譲りのトパーズの瞳に理知的な光を湛えた秀麗な顔立ちの青年は、右手を上げて列席者をゆったりと見渡し、自らの発言を求めた。
「申してみよ、フェルナンド」
皇帝グレゴリオの口から威厳ある重々しい声音で許可が下りた。齢五十を超えた大帝国の皇帝は未だその剛健さにいささかも衰えを見せず、帝国の紋章をあしらった権威ある外衣を纏ったその姿は、実に威風堂々としている。
「はっ。僭越ながら、まずは兎耳族の保護という根本に立ち返って議論すべきではないかと思います。先に指摘のあったとおり、彼らの保護には莫大な予算が投じられています。彼らは宮廷内での職務に従事する形でこの救済措置に幾ばくか報いてはいますが、投入される予算に対しては比べるべくもありません。加えて、今回の件のように与えられた恩情を軽んじる輩も現れました。種の保存を重んじる陛下のお心掛けの尊さは重々承知しておりますが、この機会に兎耳族の保護について改めて考察し直すべきであると私は考えます」
第三皇子の見解に重鎮達の間から、ほう、と興味深げな息遣いが漏れた。
―――やはりそう仕掛けてきたか。
フラムアークは唇を結び、正面の席からフェルナンドの整った容貌を見つめた。
だが、その狙いはどこにある? 純粋に国の将来を考えている部分もあるのか……それとも単純にオレへの嫌がらせ……片翼をもぎ取ることにあると考えていいのか?
あるいは、別の着地点を見据えての行動なのか。
淡い笑みを湛えたその表情の奥を読み取ることは、まだ出来ない。
「―――僕もその意見に賛成だな」
フラムアークの視界の左上でエドゥアルトの手が上がった。
「父上の救済措置には一定の意義があったと思う。だが災害から十年以上が経過し、保護当時とは状況が変わってきた部分もあるだろう。長期に渡る保護生活においては、思い描いていたものと実際のそれに生じた齟齬を感じている者も少なくないはずだ。しかし保護という名目で生活を管理された彼らにはそれを訴え出る場所も手段もなく、募るフラストレーションは放置された。保護生活における彼らの意識の変容と現状とのずれ―――その結果が今回の騒動に繋がったと言えるんじゃないかな? 保護の甲斐あって彼らの数は少しずつ増加傾向にあるし、このまま宮廷内で増え続ける彼らの面倒を見続けるのは現実的ではないと思う。物理的にも内面的にもいつか必ず限界を迎えるし、僕が彼らだったら、こんな狭いエリアに長年押し込め続けていられるのは我慢ならないしね」
「エドゥアルト、口の利き方に気を付けろ」
歯に衣着せぬ第五皇子の物言いに第二皇子のベネディクトが苦言を呈した。エドゥアルトは悪びれるふうもなく、そんな兄に質問を返す。
「はいはい。そういう兄上はどうお考えで?」
「わ―――私は父上の、皇帝陛下のご意向に従う。陛下は長年彼らの措置にお心を砕いてこられたし、それに」
「ああ。ご自分の意見は特にないということですね」
みなまで聞かず話を打ち切る第五皇子に第二皇子はキリキリと歯噛みして細面の顔を真っ赤にした。
「エドゥアルト!」
それを見ていた皇太子ゴットフリートが肩を揺らしながら野太い声で五番目の弟をたしなめた。
「ベネディクトをあまりいじめてやるな、エドゥアルト」
「そんなつもりはないんだけどな」
「昔はもっと可愛げがあったというのに、近頃のお前の言動はどうも目に余るぞ。あまり兄を軽んじるんじゃない」
冗談交じりといった口調だったが、皇太子の目は笑っていない。近頃のフラムアークに対するエドゥアルトの姿勢諸々に向けた非難だと受け取れた。
「軽んじてなどいないよ。だがそう映ったのなら申し訳なかった。僕も男だからね、いつまでも可愛いままじゃいられないんだ」
皇太子の牽制を第五皇子は軽くいなした。それを腹立たし気に眺めやって、ゴットフリートは議題へと話を戻す。
「皇太子たる私の見解としては、フェルナンドの意見にも一理あると考える。そこはそこでこれから議論を尽くすとして、それとは別に、今回の罪人には重く厳しい処分を科すことが相当であろうと考える。陛下の恩情で保護された身分にありながら、それを仇で返すかのような今回の愚行、これは紛うことなき背信行為だ! これを咎めずに皆の得心は得られないことと強く思う!」
鼻息荒く訴える彼のベクトルはどうも審議云々ではなく、今回の当事者達に重い処罰を与えることへと傾いているようだ。
まあ、その理由は分かり切ってるけどね―――エドゥアルトは内心鼻白みながら、自分の正面の席に座る弟へと視線を向けた。今年十五歳になる末弟のアルフォンソは昨年領地視察を終えたばかりで、これが初めての議場参加になるのだが、どうやらこの独特の雰囲気に気後れしてしまっているようだ。
彼の隣で沈黙を守っているフラムアークがいったん口火を切れば、この先アルフォンソが発言する機会は訪れないだろうと、珍しく兄らしい見地から弟を慮ったエドゥアルトは、萎縮しているアルフォンソに話を振った。
「アルフォンソ、お前も意見があれば遠慮せずどんどん発言していいんだぞ」
議場で声を出した経験があるのとないのとでは次回に臨む心持ちも違ってくる。気まぐれな兄の心遣いに弟は恐縮した様子を見せながら、母親似のまだあどけなさの残る顔を向け、ぎこちなくもしっかりと自身の考えを述べた。
「は、はい、ありがとうございます。ですが私はこれが初めて臨む審議の場ですし、まだ勝手も分かりませんから、まずは皆の意見をよく聞いて余すところなく勉強させてもらってから、その上で発言出来ることがありましたらさせていただこうと思います」
「……うん。そうか」
すぐ上の兄が心配するまでもなかったか。末っ子で兄達のやり取りを幼い頃から見てきたアルフォンソは良くも悪くも要領がいいのだ。




