二十二歳⑰
再び駆け出した私の後ろで、馬上の騎士が確認の口上を取る声が聞こえた。
「貴様がここの責任者フランコだな」
「……! そのいで立ち……お前がこの襲撃の主犯か。どこの回し者だ? こんな真似をして、生きて帰れると思うなよ!」
「笑止! それはこちらの台詞だ、外道め!」
背後で騎士とフランコ達の戦闘が始まった。
私は闇夜を駆けながら、気力だけで持たせている肉体の限界を感じて、荒い呼吸を繰り返しながら、どこか身を隠せるところはないか辺りに視線を走らせた。
さすがにもう身体が持たない。一度、どこかに潜んで休まないと……!
その時だった。
「―――!」
横合いから突然強烈な体当たりを受けて、不意を突かれた私は勢いよく弾き飛ばされ、横滑りするようにして派手に地面を転がってしまったのだ。
「……っ!」
痛みに顔をしかめながら首をもたげると、そこに見覚えのある一人の男が立っていて、その顔を見た私は、頭から血の気が引いていくのを覚えた。
……あ。
そこにいたのは、私を牢に運んだ男―――あの男が肩で大きく息をつきながら、獣のようにギラついた目で私を見下ろしていたのだ。
忌まわしい記憶が脳裏に甦り、自然と身体が強張る。そのおぞましい予感を肯定するように、目の前で黄色い歯並びの悪い口が笑みの形に裂けた。
「……っ!」
言い知れない悪寒が全身を駆け抜ける。反射的に後退った私に大股で歩み寄ったその男は、私の兎耳を無造作に掴むと、そのまま乱暴に引きずるようにして歩き出した。
耳の付け根に鋭い痛みが走り、ビキッ、と筋線維が千切れてしまいそうな音を立てて、私は痛みと恐怖に声を引きつらせながら抵抗した。
「痛ッ……! やめっ……、離して!!」
「へへ……隠れるトコ、探してたんだろぉ? 連れてってやるよ……」
男は私の意思を無視して、樹木の生い茂る手近な木陰へと引きずっていく。
そこに連れ込まれたら何が始まるのか―――容易に想像出来て、言葉にならない屈辱感と絶望感に襲われる。私は必死にもがいたけれど、男の力は強く、為す術もなく樹木の陰へと引きずり込まれてしまった。
「いやぁ! やめて……離して!」
「ひひっ、暴れんじゃねぇよ……お互いにちょっと愉しむだけさ、なぁ……?」
「いやぁッ!」
生温い息が首筋にかかり、野太い腕がやすやすと私を羽交い絞めにして、乱暴に草むらの上に抑えつけた。体重をかけてのし掛かられ、痛みと息苦しさで視界がくらむ。
「っ、あ……!」
息が、出来なっ……!
「へへ……へへ……柔らけぇなぁ……!」
男は興奮して舌なめずりしながら、無遠慮に私の身体をまさぐった。
太腿までめくれ上がった簡素なワンピースタイプの寝間着はまるで男の手を阻む役目をなさず、汗ばんだいかがわしい手がベタベタと太腿を這いまわり、欲望のまま乱暴に下着を引き下ろそうとする。
―――イヤ!!
無我夢中で暴れた拍子に、膝で男の股間を蹴り上げる格好になった。
「ぅぐッ!」
たまらず動きの止まった男の下から必死で脱け出そうとするも、髪を乱暴に掴まれて引き戻され、地面にめり込みそうな勢いで押し付けられる。
「あぅッ!」
「ってぇな……! 使い物にならなくなったらどうしてくれんだ、コラ……!」
男は血走った目を向けながら力任せに私の胸を掴み、服の上から乱暴に揉みしだいた。
「痛っ……ぁ……!」
苦痛に顔を歪める私を見て興奮したらしく、男は鼻息荒く寝間着の胸元に手を掛けると、強引に布地を引き裂いた。
「……!」
肌が夜の空気に触れ、涙で滲む視界に、歪んだ欲望に満ちた男の顔と、その上で夜空に向かって伸びる木々の梢とが無情に映った。
―――フラムアーク!
力づくで蹂躙しようとする暴力を前に抗い切れない、悔しいくらい無力な自分を痛感しながら、私は絶望の中、愛しい男を想いながら絶叫した。
「いやあぁぁぁ―――ッ!」
その、刹那!
ズシュッ。
肉を貫く生々しい音と共に身体に生温かい何かがかかり、目の前で私を凌辱しようとしていた男の顔が壮絶に歪んだ。
直後、男の口からくぐもった呻きと共に血反吐が溢れて、私は何が起こったのか理解出来ないまま、ただただ震えながら喘ぐような呼吸を繰り返した。
その私の上に重心を失った男の身体がもたれかかるように倒れ込んできて、その背に深々と長剣が突き刺さっているのを見た私は、呼吸を止めた。
息を飲んで凝視する私の視線の先で、男の身体から血で濡れそぼる長剣がゆっくりと引き抜かれ、その持ち主を目で追った私は、そこに黒っぽいフード付きの外套を目深に被った人物を見出し、衝撃に身体を震わせた。
黒いフードの奥に潜む、一対の冷ややかなアイスブルーの眼差し―――月明かりの下、おぼろげに見えるその輪郭に、見覚えがあった。
―――グリファス……!
間違いない。第三皇子フェルナンドの側近で、昨年カルロ達を利用してフラムアークを陥れようとした中心人物。
直接言葉を交わしたことはないけれど、宮廷内で何度かその姿を見かけたことがあった。
彼が、どうしてここに……!?
大きく動揺する私の前で、私の顔を確認したグリファスの口から独り言のような呟きが漏れた。
「この目で見るまではよもや……と思ったが。あそこから転落して、まさか生きていようとはな……」
彼が自分を助けてくれたのか、はたまたそうではないのか、その目的が定かでない私は息を詰めて彼の動向を見守った。
「奇跡的に一命を取り留めていた兎耳の宮廷薬師は、不運にも誘拐された先で深夜の大規模な襲撃に巻き込まれ、その最中、犯罪組織の男に暴行され落命した―――誠に残念な結果だ」
「―――!」
グリファスの明確な意志を悟って、心臓が一回、鼓動を飛ばした。
血塗られた剣を無造作に振って血糊を飛ばし、足早に近付いてくる暗殺者から私は距離を取ろうとしたけれど、上にのし掛かったままの男の遺体が重くて、そこからなかなか身体を引き抜くことが出来ない。
そうこうしているうちに距離を詰められ、有無を言わせず左手で口を塞がれると、万力のような力で地面に縫い付けられた。
動きに一切の無駄がない、まるでためらいのないアイスブルーの双眸と頭上で冷たく光る白刃に、かつてない戦慄が全身を貫く。
―――殺される!
その瞬間フラムアークの姿が脳裏をよぎって、もう一度彼に会いたいという想いが爆発した。強い祈りにも似たその願いは恐怖で凝り固まっていた私の身体の強張りを解き、決死の抵抗をもたらした。
「―――っ!」
私に手酷く噛みつかれ、口を塞いでいた手をわずかに浮かせたグリファスに、私は手探りで握り込んでいたものを遮二無二振り回した。それは、私を襲った男が所持していた短剣だった。
「!」
グリファスの左手の袖口がスパッと切れ、その下から彼の肌と身に着けているブレスレットが覗いた。
―――え……!?
それを目にした瞬間、私は強烈な違和感に襲われた。
彼が身に着けたブレスレットに、何故か見覚えがあったからだ。
―――いつ……どこで―――? そうだ、あれは確か―――……。
おぼろげな映像が線を結び、記憶の中のある光景とそのブレスレットとが、結びつく。
―――!
私は大きく目を見開いた。
あれは―――あれは確か、レムリアが種の保存に関する罪に問われて投獄され、彼女のいない保護宮の自室へと私が一人戻った時のことだった。
小さなテーブルの上に装飾用の石と作りかけのブレスレットが置かれたままになっていて、それを彼女がバルトロの為に作っている贈り物なのだと思った私は、とても切ない気持ちになった―――もうすぐだと言っていた彼の誕生日に贈る為に、彼女が心を込めて作っていたものなのだと、そう思って。
けれど―――思い返してみれば、あれからバルトロがあのブレスレットを身に着けているところを一度も見たことがなかった。
色々なことが重なった時期だったから、私自身今の今までそのことを失念していて、それを不自然に感じることもなかった。
そして今―――それとよく似たブレスレットを、目の前のグリファスが身に着けている。
その意味は。
思いも寄らなかった可能性に愕然とする私の前で、グリファスは袖を斬られた左手を素早く手刀に変えると、私の手から短剣を叩き落とした。
―――あ!
瞬時に状況は逆戻りし、私は再び彼の左手によって抑え込まれてしまう。
「離してっ……!」
―――イヤだ、死ねない! 死にたくない!!
私は必死にもがいた。
もう一度会いたいの―――あの人に会って伝えなければいけないことがあるの!!
口を塞がれる寸前、私はひと目会いたいと願う人の名を全身全霊で叫んでいた。
「フラムアーク―――ッ!」
様、と敬称がくぐもった叫びに代わる中、涙に濡れた視線の先で、無慈悲な輝きを放つ白刃が今まさに振り下ろされようとしていた。




