遠くて近い
「消えた訳じゃ、ないんだよねぇ」
遠い空に呟いた。そんな自分の声は誰にも届かない。
ずっと見守ってきた。幼い妹の行く末を。
正確には、妹のように思ってきた雫の事を。
自分は雫の実の兄じゃない。あの日、兄であった僕が殺された日、彼女の中に生まれた、その記憶の断片のような存在だ。
生まれてからずっと、そう、ずっとそばに居て、あの子が辛い記憶を受け入れられるようになるまで育つのを待っていた。
「何で、こんなにも悲しいんだろうねぇ」
やっと記憶を取り戻してくれたのに。それはとても喜ばしい事のはずなのに。自分だけが置いていかれていかれるような気がして、どうしても悲しくなる。
「いつか、この身体ともお別れかな?」
今、僕は鏡の中にはいない。元々あった場所、そう、しーちゃんの身体の中にいる。
実は、彼女の眠っている間にこの身体を借りる事が時々あったりするのだ。
この事は雫には認知できないから、1人で考え事をしたり、動いたりするのには丁度良かった。
ふと机の上に目をやると、1枚の可愛らしい花柄の封筒が置かれていた。
「これは......どうしたものかな」
封筒に書かれた宛名は自分の名前を指している。封が閉じられていない事に安堵しながらも、便箋を取り出すのを躊躇う。
はたしてこれは読むべきなのか。それは彼女にとって良い事なのか。けれども、どうしても彼女の思いを知りたくて思い切って封筒から便箋を取り出し、開く。
「しーちゃん......」
そこにはありのままの妹の感情が書き綴られていた。
もっと一緒に。ただただ生きたかっただけ。それだけで良かった。他に何も望んでなんかいなかった。それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
便箋の所々に落ちた涙の跡に、自分の涙が重なって落ちた。
「こんな夜中に、何をしているの?」
「えっ!?」
後ろから聞こえた声に勢いよく振り向くと、母の姿がそこにあった。
「どうしたの、何かあったの??」
自分と入れ替わっている事なんてつゆ知らず、手紙を持って泣いている娘の姿に、母は心配そうに声をかけながら、こちらの手元を覗き込んだ。
瞬間、まさか、と母の顔が青ざめる。
「......初めまして、遠と言います」
取り敢えず涙を袖で拭って軽く頭を下げた。
「いなくなった訳じゃなかったのね」
予想はしていたが、実際にそう言われると心に堪える。やはり、歓迎される存在ではないのだろう。
「すみません」
「あなたが悪いわけではないもの、謝らないで良いのよ」
青ざめたのは一瞬だけで、母の様子は意外と落ち着いてる。
その優しげな言葉に、思わず顔を上げた。
「でも僕は、本来あるべきものじゃないんでしょう。どうか無理をしないで下さい」
無理やりに笑顔を作って笑いかけた。この後この子が何か言われるようではいけないからだ。
「あら、無理をしているのはあなたのほうでしょう。その笑い方、雫とそっくりなのね
私、あなたと1回話してみたかったのよ?」
思いがけない言葉に涙が溢れそうになった。消えろ。と叫ばれるものだとばかり思っていた。
「実は僕も、あなたと話してみたかったんです。機会をくれてありがとうございます」
「あなた、雫の中にいたんでしょう?なら私の子も同然じゃない。敬語も遠慮もいらないわ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
母の優しげな眼差しに、作り笑顔の仮面を剥いで答えた。
父は今日は出張でいない。2人でリビングの椅子に座りながら話始めた。
出された珈琲を口に含むとまろやかな味が口に広がっていく。
「珈琲が好きなのは遠くんの方だったのね。雫は苦いものが苦手だから、美味しそうに飲んでもらえて嬉しいわ」
そんなに顔に出ていただろうか。慌てて上がっていた口角を指で元に戻すと、その姿を見た母がまた微笑んだ。
「僕は、望んでもいいのかなぁって、思ってるよ」
「何を?」
「しーちゃんと一緒に、生きたい。鏡越しはもう無理でも、もっと沢山話したい」
お願いです、とまた頭を下げると、静かな声で顔を上げるように言われて、恐る恐る顔を上げる。
「......良いのよ、望んでも。父さんには私から話しておくわ。遠くんから話してくれたって良いわ」
それは優しい、優しい声だった。
「ありがとう、お母さん」
「ええ、おやすみなさい。遠」
初めて話した彼女のその優しさに、空になった珈琲のカップを置いて、笑顔でもう一度お礼を言ってから部屋に戻り、新しいノートを取り出して、手紙の返事を書く為に鉛筆を手に取って握り込んだ。




