新しい世界
「雫!?」
「目が覚めたのか!」
目覚めた瞬間、覗き込んでくる父と、母と目が合った。
「お兄ちゃん......は、どこ?」
ふらつく足取りで寝かされていたベッドから立ち上がって姿見を覗くが、そこに写しだされるのは自分の姿と床に落ちた2つのネックレスだけだった。
「記憶を取り戻したのね」
倒れ込んだ私の身体を父がそっと後ろから支えてくれようとするが、私はその手を振り払って鏡に縋り付く。
「遠、出てきてよ!お願いだからぁぁ」
「遠くんはもう、いないのよ」
叫ぶ私を母が強く抱きしめる。
違う。欲しいのはこの体温じゃない。
遠。何処にいるの?また、私を置いていってしまったの?
心の中にぽっかりと穴があいてしまったような、深い喪失感に襲われて涙さえも出てこなかった。
ただただ現実を受け入れられないのだ。
それから私の世界は大分変わってしまった。
見える景色に色はなく、好きなはずのケーキも、お菓子も味がしない。ベッドから起き上がることさえ億劫になり、部屋にこもりがちになった。
そんな私を見かねた両親は、色々な場所に私を連れ出してくれるのだが、此処に遠がいたら......と思うとそれも虚しいだけだった。
今は形見となったあのネックレスはずっと肌身離さずに持っている。
寂しくて苦しくなる時、これに触れると少しだけ苦しさが和らぐ気がするからだ。
「雫は、記憶を取り戻したくなかった?」
ある日、母がそう聞いてきた。うぅん、と首を横に振る。
「この記憶は、遠がいたって証だもの。でも、鏡越しでも......一緒にいたかった」
鏡の中の遠がどれだけ私を助けてくれていのか、どんなふうに喋って、どんなふうに笑うのか。不思議と兄の事を話す時だけは心が軽くなった。
「遠くんと話してみたかったわ」
久しぶりに聞いた娘の明るい口調に、母は何故か悲しそうに微笑んで切り出した。
「お母さん達の事は、どう思ってる?
その......ずっと、この事を隠してきたから」
なんだ、この所ずっと2人とも落ち着かないような、不自然な素振りをしていたのはそれを聞こうとしていたからだったのか。
「お母さんとお父さんの事は、ちゃんとお母さんとお父さんだと思ってるよ。だって隠してきたのだって、こうなるからって心配してくれてたからなんでしょ?」
不安に思って欲しくないから、しっかりと目を見つめて答えると、漸く安心してくれたのか母は少しだけ笑ってくれた。
「怖かったのもあるわ。あなたがそう思ってくれて良かった。私達の所へ来てくれてありがとう」
「こちらこそ、私を引き取ってくれてありがとう」
「えぇ、どういたしまして」
泣きそうになりながら微笑むその姿に、遠の最後の笑顔がかさなって苦しくなったが、そんな事はとてもじゃないが母には言えなくて、自分も同じように笑って場の空気に合わせた。
「......そろそろ部屋に、戻るね」
振り向きざまにまた笑ってみせてから自室に篭った。
お母さんも、お父さんも、こんなにもよくしてくれるのに、私はダメな子だ......
いい加減、遠の事を受け入れなければいけない。はずなのに。
「出来るわけ、ないじゃない」
どうしても頭から兄の事が離れないのだ。
一緒に居られない事が悲しくて、鏡越しに聞いていたあの優しい声が恋しくて、寂しくなった。
どうやったら、また会えるだろう。
そんな事出来るはずもないのに考えたり。
「手紙を書こう」
父にも、母にも言えないあなたへの未練と思いと、感謝を書き綴って燃やしてしまおう。そうすればこの気持ちが忘れられなくとも、笑っていられる気がしたから。
早速、ペンと便箋を机の引き出しから取り出して椅子に座り込んだ。
「遠。うぅん、お兄ちゃん。今までありがとう」
零れていく涙で便箋が湿っていく。それでも筆をとめずに書き続ける。
もし、此処にあなたがいたら、なんて言うだろう。いつものように飄々《ひょうひょう》とした口調で"僕なら大丈夫だよ"とでも言うのだろうか。
もし、この手紙があなたに届いたら、なんて思うだろうか。
止まらない言葉をありのまま、全て便箋に書き終えた頃には自然と涙は止まっていた。
この手紙は明日、あの鏡の前で燃やしてしまおう。
「さようなら、遠」
心做しか旨のもやもやがスッキリしていて、ずっと来なかった眠気が訪れ、瞼が重くなった。
あぁ、今夜は久しぶりによく眠れそうだ。




