タイムトラベルとタイムスリップの違いがすぐにわかるだけで、それなりに詳しい人だと思う
「あー、タイムスリップしてえ……」
そう言って、光太は椅子にしなだれかかるように天を仰いだ。
放課後の教室。
一つの小さな机で向かい合う光太と凛子。二人はともに、今日の宿題を終わらせようと奮闘していた。
「なんだよ急に」
三元一次方程式の因数を展開しようと必死に解いていた凛子は、ペンを咥えて溜め息をつく。こいつは宿題などからいつもこうして目を背けるのだ、と脳内で解説しながら。
「だってさあ、数学とか超面倒くさいじゃん。また子供の時みたいに遊びたいよ俺」
「んなこと言っても……」
時間移動。それは夢物語だ。
それでも、xだのyだのよくわからない宇宙人の言語と奮闘していた凛子にとっても、世間話は逃げ道だ。少しばかり付き合おう。
凛子は溜息を吐き、続きを促した。
「で? 何歳くらいに戻りたいんだよ?」
「いつだろうなぁ……」
話題が続くと思っていなかった光太は考える。わずかな記憶を頼りに、少しずつ心の年齢を戻しながら。
「あ、俺、六歳の頃に戻りたい」
「六歳? 何でまた?」
キョトンとして凛子は聞き返す。まだお互い幼稚園児だった頃。何かあったのだろうか?
甘い思い出を思い出しつつ光太は目を瞑った。
「あの頃なあ、街でさ、迷子になってさ」
「うん」
「その時助けてくれたお姉さんがすんげえ美人だった気がしてさ」
ずる、と凛子は肘を机から落とす。予想以下の答えだった。
「もう一度見たいな、なんて」
光太は笑う。そんな思い出か、と凛子が呆れるのにも気がつかず。
「お前……」
「でも不思議なんだよな。その人、うちの高校の制服着てた気がしてさ。そんなわけないじゃん?」
「……そうだな」
光太の言葉に凛子も頷いた。この高校は創立十周年。その頃まだこの制服を着て歩いている学生などいるはずがない。
「ま、光太の初恋のお姉さん? あたしも会ってみてえな」
「は、初恋とか、お前……」
冗談だった凛子の言葉。それに盛大に反応し、光太は口籠もる。
まさか。
「ええ? まさか、光太?」
「……さて、気を取り直して古文やるぞ、古文!」
顔の赤みを誤魔化すように声を張り上げる光太を見て、凛子はまた溜め息をつく。
そんなことがあったのかという感心と、そしてわずかな落胆を覚えて。
それから、小野小町の歌から目を背けるように天を仰いだ。
「あー、あたしもタイムトラベルしてえ……」
「ここは! 長雨と眺めを掛けてるから!!」
凛子の呟きを意図的に掻き消すように、顔を真っ赤にして光太は叫んだ。