子守唄②
「おや、珍しいのが来てるじゃないか」
公園の入り口に、屋台を引いた青年が向かってきているのがレインチェルの視界に入った。確か以前にも祭の場か何かで見たことがある。首都の港町の辺りに、最近料理屋を開いたとかいう青年だ。まだ食べに行ったことはないが、本人の料理の腕もさることながら、気立てのよい美人の店員が二人もいるらしく、概ね(男性の)評判はいいらしい。料理修行の一環として、こうしてたまに移動式の屋台で料理を売りにくるのだ。
今日は何を売りに来たのか。風を通じてほのかにただよう甘い香りに、子供たちは屋台の方向へ一斉に駆け出した。
それを見たレインチェルは、いてて、と足を庇いながら、杖に体重を預けて立ち上がった。
「砂糖菓子か何かかな? 待ってな、あんたの分も買ってきてやるよ」
「あ、いえMs.レインチェル。お心遣いはありがたいのですが、その……」
「? あ、あー……そうだったね」
少しばかり言葉を濁したヌワラエリヤの様子にレインチェルは首を傾げそうになったが、理由はすぐに思い当った。
「……食べられない、んだったね、あんたは」
「……ya」
―――アンティークは食事をしない。
正確に言えば、食事の必要がないらしい。レインチェルは、以前確か一度だけローズマリアに(聞いてもいないのに一方的に)聞かされたアンティークの構造についての話を思い出していた。
「なんだっけ……賢者の……なんとか、ぴんず? とかいうやつのおかげで、あんたらは何も食べなくても大丈夫なんだっけ?」
「はい。正確に言えば心臓に該当する円筒に組み込まれた【賢者の宝石/ピンズ】から発生する半永久的な魔力供給により、一部の場合を除いて外部からの供給は一切、」
「あーなるほどね、うんうん、わかったよ。大丈夫、もういい」
「そうですか」
確かあの時も、興奮気味に早口でまくしたてるローズマリアの言葉を適当に聞き流していたな、とレインチェルは鼻先をポリポリと掻きながら思い出していた。
なお、口や食道に該当する機関はあるため、食べる真似事は可能だが、ただただ故障の原因を引き起こすだけの行為であるとも言っていた。ついでのように聞かされた清掃と修理の費用についての話は思い出したくもない。ちなみに紅茶程度の成分の水は摂取可能らしい。
そういえば、アンティークを初めて起こす時にはパドローネの何かが必要になるとローズマリアが言っていたが……その下りをレインチェルは完全に忘れていたが、特に思い出す必要はないな、と一人頷いた。
ヌワラエリヤの食事事情を改めて理解したところで、成程、少し嫌味だったかもしれないとレインチェルは反省する。本人が食事についてどう思っているかはわからないが、食事のできない相手に対して食事を促すのは悪手であったと思う。
しかし、悪かったと謝辞を述べようとしたレインチェルに対し、ヌワラエリヤから意外な言葉が返ってきた。
「……Ms.レインチェル。もしよろしければ、あなたが食事をしているところを拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
「え? アタシの? ……いいけど、なんで?」
「そうですね……見たいと思ったからです。嫌でしょうか……?」
「―――いや、いいよ。ちょっと待ってな」
今一つ真意のわからないヌワラエリヤの申し出に対し、レインチェルは理由を尋ねようと口を開きかける。しかし、自分を真っ直ぐに見つめる少女の瞳が余りにも純粋だったため、その疑問は胃の奥へと飲みこむことにした。
「あ、私が行きますよ」
「何を言ってんだい。アタシが食べる分を買うんだから、アタシが行ってくるよ」
レインチェルは立ち上がろうとするヌワラエリヤの頭を撫でるようにして静止すると、優しく微笑んでから屋台へ歩いて行った。
相変わらず引きずるようにして歩く彼女の後ろ姿を見送った後、ヌワラエリヤは安堵したかのようにベンチへ深く体を沈ませる。
―――撫でられた頭が、少し暖かい気がした。
ヌワラエリヤは満更でもないと言った様子で撫でられた箇所に手を置こうとしたところ―――果たしていつからかそこに居た人物に目を奪われる。
―――薄汚いボロの外套を羽織った人物が、微動だにせず、まるで彫像のように停止してその場に立っていた。
両足をやや開き気味に腰を落とし、両腕をバラバラの高さに掲げている。呼吸をしているのかしていないのか、ヌワラエリヤはその人物の顔を確認しようと注視するも、白塗りの上に星をあしらった厚化粧をしているようで、性別はおろか表情すら識別不可能であった。ただ、顔面で唯一化粧をほどこされていない瞳が、生気を全く感じさせないまま虚空を見つめていることだけは見て取れた。
人物だと断言してしまったが、本当に人物……というよりか、生き物なのであろうか、とヌワラエリヤは訝しがる。自分が見逃していただけで、この公園名物の彫像なのではないか、とすら思い始めた。ならば、市民であるレインチェルがその彫像を特別気にかけないことにも理由が付く。市民にとって昔からごく当たり前のようにそこにあるものを、わざわざ取り立てて紹介するであろうか。少なくとも、あのような不気味な彫像を、聞かれでもしない限りは市外の人間に教えたくはないな、とヌワラエリヤは考える。
なるほど、変わった公園だ、とヌワラエリヤは一人納得したところで、
「おい……さっきまであんな奴いたか?」
「いや……いなかった……ような。なんだあいつ」
同じく当然の疑問を抱いた市民たちの怪訝な態度を見て、「ですよね」と小さく声を漏らした。
ますます謎は深まった、とヌワラエリヤは改めてその人物を頭のてっぺんからつま先まで見直したところで、足元にくたびれた空き缶が置かれていることに気が付く。
「―――あぁ、クラウンですか」
クラウン。一般的に浸透している単語は道化師、ピエロのことだ。古くは古代エジプトから存在していたと言われ、己の芸で富裕層の晩餐を盛り上げ、楽しませることで報酬を得ていた職業である。
大道芸についての知識は乏しいが、この人物も同じく己の芸を生業としている道化師であろう、とヌワラエリヤは判断する。彼(彼女?)自身が余りにも特徴的すぎて目を奪われていたが、足元に置かれているのはチップ入れ用の空き缶だけではなく、芸に使用するのであろう道具の数々が整理されていることに改めて気が付いたからだ。背後には黒塗りの大きな鞄も置かれており、大掛かりな仕掛けも用意されているように見える。
なるほど、とヌワラエリヤは軽く手を叩くようにして納得すると、暇なのでそのまま芸を眺めることにした。
「―――」
「……」
「――――――」
「…………」
「―――――――――」
「………………」
―――これは何が面白いのだろうか。
厚化粧のため何を考えているのかわからない表情。どこを見つめているのかも定かではない虚ろな瞳。(当たり前なのだが)一向に開こうとしない口元。本当に生きているのかと疑いたくなるほど微動だにしない姿勢。
確かに凄い。全く動かない。呼吸すらしていないようだ。本物の彫像にすら見えてきた。この域にまで至るのは日々の技術の研鑽あっての賜物なのだろう、とヌワラエリヤは感心する。それはそれとして、もう少し……もう少しこう、何かあるのではないか! と外套の人物に詰問したくなる気持ちを何とか抑える。
「え、なにこの人。人?」
「Ms.!」
「ヌワラエリヤなにこの…なに?」
いつの間にかレインチェルが戻ってきているではないか。抱えているのは屋台で購入したのであろう砂糖菓子が入った紙袋。誰かへの土産のつもりなのであろうか、中には同じものが二つ入っていた。まさか戻ったらこんなことが起きているとは露知らず、レインチェルは情報の整理が追いつかずに、口を半開きにしたまま道化師をしげしげと眺め続けた。
時を同じくして、彼女と同様に砂糖菓子を購入し終えた子供たちが戻ってきた。「なにこの人!? 人?」と全く同じ反応を見せるも、興味津々といった様子で菓子を齧りながら外套の人物を囲み始める。それらの動きにつられたのか、「何があった?」「何かあるらしい」「見に行こう」と遠巻きに眺めていた市民たちが集まり始め、次第に人垣が形成されていった。
「おぉ、なんだこりゃ。本当に人間なのかよ」
「すげえぜ、まったく動かないぜ」
「男? 女? 厚化粧でわからないわね」
「……本当に動かないな」
「飽きてきたぜ」
物珍しさで集まった市民たちであったが、変化もなければ特に盛り上がりどころのない道化師の芸に早々に飽きてしまった。小道具の類を見れば、他にも多様な見世物があるはずである。誰もチップを投げ込まないくたびれた空き缶が妙に哀愁を漂わせた。
「…ふわぁ」
レインチェルも早々に飽きた一人であり、「もういいや」という誰かの一言に乗ってその場を去ろうと考えた。しかし、暇つぶしにはなったので、少しばかりのお礼のつもりで小銭を空き缶に投げ入れる。砂糖菓子を買った際のお釣りが、カランと小気味よい音を立てて缶の底を叩いた。
「―――」
―――その瞬間、命のない彫像は血の通った芸人へと変身する。
「な、なんだい!?」
瞳に生気を灯した道化師は、その場におもむろにしゃがみこむと、道具の中からあるものを選ぶ。細長い木製のバトンのようだ。それを3本程掴むと、その内の1本を片手で器用にクルクルと回し始めた。
おぉ、と小さく歓声が上がる。
道化師はまずバトンを胸の高さで回し続けた後、体をくの字に曲げ、腕を背の方向に折りながらもそのままバトンの回転を保った。その後、頭上、脇、果ては股下をくぐるようにしてバトンを体の様々な個所で回すも、バランスは一切崩さない。まるで舞うようにしてバトンを扱う道化師にギャラリーの視線が釘付けになっていく。
やがてバトンは次第に回転力を増していき、そのまま空中に高く放り投げられた。観客たちが棒の行方を追って空を仰いでいる間に、道化師は左手に持っていたバトンを両手に構える。
一定の高度まで上がった棒が勢いを失って落下する。見上げていた観客たちも徐々に顎を引いていき、再び外套の人物を視界にとらえたところで、両手にバトンを構えていることに初めて気が付いた。
何をするつもりなのか、と観客たちが疑問に思う暇もなく、道化師は落下してきたソレを、両手に構えた2本のバトンで受け止めるようにして弾く。弾く。弾く。弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く。弾きながら回転を加え、小気味の良い快音を立てながら、まるで汽車の車輪のようにバトンは力強く回る。
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンと、回転は次第に速さを増していき、一瞬、バトンが宙に浮いた―――! と観客が思った瞬間、道化師は速すぎて回転が止まっているように見えるソレを見事片手でつかみ取り、うやうやしく一礼した。
「―――」
そうして、道化師はゆったりとした動作でバトンを片付けると、先程と同じポーズを取ったまま、また動かなくなってしまった。
「………」
開いた口が塞がらない、とはこのことだとレインチェルは思う。何気なく頬をつねってみたら痛かったのでどうやら夢ではなかったらしい。うまくは言えないが、自分は、何か、凄いものを見てしまったのではないか?
周囲の人間も似たような反応で、互いに目をパチクリと見合わせている。素直に称賛の声を上げたいのだが、どうも手が震えて拍手ができない。
道化師は、そのような状況欠片も気にしてはいないといった様子でまた虚空を眺め、観客たちは困惑した表情でそれを囲み続ける……。
「―――エクセレント」
パチパチパチ、と控えめな拍手と称賛が人垣の中から上がった。レインチェルがびくっ、と体を震わせながら声の方向に視線を向けると、ヌワラエリヤが称賛の言葉とは真逆の表情をしていた。
「……ぁ、あ、あぁ! エクセレント!」
つられてレインチェルも大声を上げながら手を叩く。やがてそれは静かな水面に石が投げられたかのごとく、波紋のようにして周囲に広がっていき、盛大な拍手と素晴らしい芸を称える声となって公園を包み込んだ。
すっかり気を良くした観客たちが財布の紐をゆるめて空き缶に小銭を投げ入れていく。カラン、カン、ジャリ、と缶の底を叩く音はやがて小銭同士が擦れ合う音へと変わっていき、哀愁を漂わせていた空き缶は瞬く間にチップで埋まることとなった。もはや溢れかえるほどである。
「―――」
そして、その溢れかえるほどの報酬に反応して、道化師の第二幕が始まったのだった。