黄金の夜②
「ハイネンヴェルゼさーん、おはようございまーす。昨日聞きそびれちゃったんだけどさー、朝食用意するけど食べるかーい? それともどこかに食べにいくかーい?」
太陽も昇り、晴れ晴れとした朝。レインチェルはローズマリアが泊まる部屋のドアを軽く叩きながら朝の挨拶を告げていた。
しかし声をかけどノックをすれど、反応はピクリとも帰ってこなかった。ドアに向けて耳をそばだててみると微かに何かが聴こえる。部屋にはいると思うのだが、もう一度軽くノックをしたが、やはり反応はなかった。
「…うん? 寝てるのかな」
旅の疲れだろうか、ならば食事を用意するのではなく、ゆっくり寝かせてやるのが宿屋の主人の役目というものだ。
ゆっくりその場から立ち去るレインチェルだが、二歩目を踏み出したところでその足を止めてしまった。
真顔のまま、もう一度ローズマリアが眠る部屋のドアをじっと眺める。
―――寝てる……?
レインチェルは無言で腰に下げていた鍵の束を手に取ると、また部屋の方へゆっくりと戻っていく。
ローズマリアの部屋に限らず、レインチェルは宿屋の主人として当然、全ての部屋の鍵の原型を持っていた。彼女はじゃらじゃら、と鳴る束の中から目の前のドアのソレを取り出すと、鍵穴に差し込みながらブツブツ、と何やら小さく呟き始める。
「……まぁ、お客様の様子を見るのも立派な主の務め……だよね? うん。決して寝顔が見たいとかそういうのじゃないし?」
まるで周囲に言い訳をするかのように自分に言い聞かせると、そのままガチャリ、と鍵を捻った。
―――警官がいたら声をかけた方がいい所業である。
やけに大きく脈打つ胸の鼓動を押えながら、レインチェルは「お邪魔します」と一言告げながら静かにドアを開ける。
キィ、と小さく擦れた音を立てたドアが全開になる。ドア越しに微かに聴こえた音の正体はオルゴールであった。レインチェルの視線の先、机の上に黒い小箱が開かれた置かれており、そこから優しいオルゴールの音色が紡がれている。
しかし、キョロキョロと部屋の中を見回したが、ベッドの上にローズマリアの姿はなかった。
「ありゃ……?」
いつの間にやら目覚めてどこかへ出かけしまったのであろうか。自分はずっと一階にいたので気がついてもおかしくないはずだが、掃除の都合上度々外へ出ていたのでその間にすれ違ってしまったのであろうか。
残念ながらレインチェルの目的は達成しなかったが、
「―――」
代わりに、あるものに目を奪われることとなる。
ゆらり、と吸い寄せられるように歩み始めたレインチェルがソレの前で立ち止まると、そのまま、ほう、と大きく息を漏らした。
「人―――いや、違う。これはもしかして……人形、なのか……?」
白銀で編みこまれたかのような、キラキラと光る見事な銀色の長髪を二つに結っており、それに負けんと輝く銀の瞳。その美しい銀色に調和した漆黒のドレスに全身を包んだ小さな少女……いや、少女と見まごう程精巧に作りこまれた人形、であった。
いや、今だって注視しなければ本物の人間としか思えない。それでも『彼女』が人形だとわかったのは、うなじの辺りがめくり上がり、中から歯車が覗いていたからだ。その内部機構も恐ろしく複雑だが、素人目にもこれだけはわかる。
―――まかり間違って少しでもこの人形を傷つけてしまったら、一生働いてでも返済できぬほどの借金を負うことになる―――と。
しかし、このような大荷物いったいどこに隠していたんだ、と部屋を見渡すと、目に留まったのは昨夜も印象的に映ったあの黒い大きな鞄。
「あー…もしかしてあれに入れてたのか。まったく、金持ちってのはいい趣味してるねぇ」
呆れるように息を吐いたが、人形から目を離せない自分に気が付くレインチェル。
「……」
すっ…、と思わず人形へと手が伸びる。うかつに触って歯車の一つでも欠けてしまったら大事件である。今すぐこの手を引っ込めなければいけない。
それでも、光を求めて火に飛び込んで焼け死んでしまう虫のように、レインチェルはそのまま手を伸ばし―――、
「嫁入り前の淑女の肌に触れるのはご法度よ、Ms.」
―――嗜めるようなローズマリアの言葉に、ぴたり、と手を止めた。
いったいいつの間にそこにいたのか、もしかして、気が付かないだけで最初からそこにいたのか。クスクスと笑いながら、ローズマリアは楽しそうに壁にもたれかけていた。
「あ……いやぁ、これはその……ね」
顔を真っ赤にしながら何とか言葉を取り繕うとしたレインチェルだったが、最終的に絞り出したのは実にか細い声の「おはようございます」であった。
それに対しローズマリアも挨拶を返すと、彼女に朝食を部屋まで運んでくれるように頼んだ。数刻後、サンドイッチをペロリ、と平らげたローズマリアは、食後の紅茶を啜りながらレインチェルと談笑していた。
「へー……人形と一緒に旅を」
「そうなの。私、一つの国に来たら隅々まで回らないと気が済まないの。大体は町ごとに宿を転々としているのだけれど、今回はこの宿に長居させていただくことになりそうだわ」
「なるほど……」
長居するにしたってあの大金はないだろう。ありがたいことではあるのだが、金持ちは本当に金銭感覚がマヒするらしい、などと思いながらレインチェルは相槌を打つ。
それにしても、こんな少女が一人旅を? という、訝しがるような視線を彼女から向けられたローズマリアはニコリ、と微笑むと、
―――ゴトリ、と。
例の鞄から、か細い少女の手で持つにはいささか不釣り合いな短筒を取り出した。
銀の装飾がなされた年代物の鉄砲である。それを両手で持ち上げながら、ローズマリアは不敵な笑みをレインチェルへ向ける。
なるほど、よくわかったからしまっておくれ、とのレインチェルの頼みに素直に応じた後、ローズマリアは話題を元に戻した。
「……それでね、前の国を出る際なのだけれども、この子が大分痛んじゃってね。起きてからはずっとこの子を調整していたの」
そう言って、ローズマリアは人形の頬を撫でた。
「しかし……どこからどう見ても、言われなければ普通の女の子だよね。なるほど、こりゃあお値打ち品だわ。さぞかし高かったんだろう?」
「……まぁ、そうね。ところで、Ms.」
「うん?」
「私、これからこの子の服を脱がせるのだけれど」
「うん!」
「……」
「……」
「「出ていけ」と言っているの」
空になった容器を抱えて、レインチェルは部屋から閉め出された。
「クソッ……けちんぼめ」
軽く悪態をつきながら彼女が一階へ戻ると、何やら身支度を整えたマックスが今まさに宿屋から出発せんと意気込んでいるところであった。
その姿を見た瞬間、レインチェルは慌てて声を上げる。
「ちょ、ちょ、ちょっとマックスさんなんだいその格好は!?」
そのまま急いで階段を駆け下りる彼女であるが、慌て過ぎて階段から転げ落ちそうだ。しかし、そのようなこと意にも介さず進み、最終的には無事にマックスの元へと駆け寄った。
少々息を乱しながらもレインチェルは口を開く。
「まさか、今日も絵描きに外に出るのかい!?」
「うん、そのつもりさ」
そう言って微笑みながら、マックスはポン、とカンバスを叩いた。
「ダメダメダメさ! 今日は特に用のない人間は屋内へ閉じこもっていろってお触れが!」
「それはあくまでも夕方からだろう? その時までに戻れば大丈夫じゃないか」
あっけらかんと言い放つマックスへ、レインチェルは少々苛立ちを覚える。
せっかく心配しているというのに何て言い草だ。次第に言葉へ怒気を孕ませ始めた。
「いい加減にしておくれよマックスさん! もしなにかあったら、」
「それよりも」
突然、声色を変えたマックスがレインチェルの口元を指で塞ぐ。ふわり、と香水の香りが広がった。
その行為と、なにより彼の『色気』に気圧された彼女は黙ってマックスを見つめた。彼も黙ってレインチェルを見つめ返し、少しの沈黙の後にゆっくりと口を開き始める。
「実はレイン……前々から君に話したかったことがあるんだ」
「話……?」
「そう……二人の将来の話だ」
「っ!? そ、それって!!」
突然の衝撃にレインチェルは嬉しそうに眼を見開いた。
「町外れにある今は使われていない教会……そこに月が昇る頃来てくれないか」
「え!? 夜に外へ……ってそれはさすがに……」
―――狼男にご用心。
昨晩の彼の一言が脳内に木霊する。
「警備とかもあるし……む、難しいんじゃないかな……連れ戻されちゃうよ」
「なぁに、君の生まれ育った町じゃあないか。裏道には詳しいだろう?」
「うん……地元の人間でも知らない人が多い道ならあるけど……」
「なら道中は大丈夫じゃないか。心配しなくてもいいさ、狼男なんて嘘っぱちさ、この世の中に化け物なんているわけがないだろう? もしいたとしても、騎士とやらがなんとかしてくれるさ」
「……ま、まあ言われてみれば」
「一生のお願いだ、レイン……月光の射す教会で、『愛する人と』……っていうのにずっと憧れていたんだ」
「っ! わ、わかったよ!!」
男にここまで言われて、行かない女があるものか。
「行ってらっしゃ~い!」
レインチェルは笑顔で手を振りながらマックスを見送る。我ながら、何とかは盲目になるものだ、と呆れてしまう。
―――終始ニヤニヤしながらその姿を眺めるローズマリアに気がつかない程度には。
「人形はー!?」
「小休止よ」
いったいいつから見ていたのであろうか。なんという現場を見られたものだ、恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうになる。急に現実に引き戻されたレインチェルは赤くなった顔を冷まそうと手で勢いよく扇ぐ。
その姿にクスクスと小さく笑いながら、ローズマリアは手ごろな椅子に腰かけた。
「しかし、あの殿方はMr.マックス……? と言ったかしら、素敵なお人ね。まさか朝からプロポーズの現場を見られるとは夢にも思ってなかったわ」
「あ、や、やっぱり!? やっぱりそうかな!?」
『プロポーズ』という言葉に反応したレインチェルが、パァッ、と笑顔を咲かせる。
「……あら、二人はお付き合いしていた『そういう関係』ではなくて?」
「そそそそんな滅相もない! マックスさんはたまたまこの宿に立ち寄ってくれた旅の絵描きなのさ!」
鼻息も聞こえてきそうなほどに興奮するレインチェルは話を続ける。
「あの人は四か月前にふらっ、とこの町へやってきたんだ。元々イタリアを中心に活動していたらしいんだけどね、なんでも風の吹くままに旅をしていたらここに辿りついたんだってさ。
まぁ、今でこそ狼騒動があって誰もなかなかこの国を抜け出せないんだけどさ。それでも騒ぎが起こる前、当初の予定では1週間もしない内にここを発つはずだったんだ。それが急に「この町が好きで出るに出られない」なんて言い出してね。それ以来、ずっとこの宿に泊まってくれているのさ!」
「……ふぅん」
彼女とはまだこれを含めて三度しか話を重ねていないが、こんなに他人のことを嬉しそうに話す人物であったのか。自分と会話をしていた態度とは大違いだ、とローズマリアは少し驚きながらも話を続ける。
「四か月も宿屋に泊り続けるなんて相当のお金持ちなんじゃないかしら、彼は」
「そうなのさー! 富豪の次男坊らしくてね? 玉の輿だよ参ったなー!」
キャー、と一人で舞い上がるレインチェルを無言で眺めつつ、ローズマリアは紅茶を一杯淹れてくれるよう彼女に頼む。承諾したレインチェルは足取り軽く奥へ引っ込むと、数分の後にそれを運んできた。
ローズマリアは目の前に置かれた紅茶の色と香りを楽しんだ後、火傷しないように注意しながら少しずつ口に含んでいく。
その様子をにこやかに見つめながら、レインチェルは再び口を開いた。
「いやー、最近アタシ、ツイててね。実はこの宿屋はさ、死んだ両親から引き継いだものでね。一階の料理屋を父さんが、上の階の宿屋を母さんが営んでいたのさ」
「料理屋……?」
そういえば、とローズマリアはゆるりと周囲を見渡す。
昨夜は暗くて気が付かなかったが、この一階にはいわゆる受付というものがなく、今自分が座っているカウンターの他にもテーブルとイスが数点並んだ、一見どこにでもある料理屋の風貌を見せているのだ。
なるほど、今朝程からやけに手際がいいと思っていたがそういうことだったのか、とローズマリアは一人納得したようにうなずいた。
「両親の代には繁盛していたようだったんだけどね。最近は物価も上がったし、なかなかどうしてうまくいかないことが多くてさ。借金ができちまう前にとっとと店を閉めようかとも思ってたんだけど……。
―――それが急展開! お客さんからは大金を! マックスさんからはプロポーズ! きっと神様からのご褒美だよ!」
「えぇ、そうかもね」
またも自分の世界に入り込むレインチェルを尻目に、ローズマリアは窓から空を眺めた。
「雲一つないキレイな空ね」
「そうだねー! あははー!」
「……」
腹の底から昇ってくる軽い苛立ちを抑えながら、彼女は空を眺め続ける。
「……いや、本当に。
―――今晩は、綺麗な満月が見れそう」
そう呟きながら、紅茶の残りを一気に煽った。