黄金の夜①
風に揺れるは金糸の御髪。
ふわりふわりと緩やかに。
月に映えるは銀糸の御髪。
きらりきらりと艶やかに。
―――嗚呼、何ということだろう。
はたして私の頭は狂ってしまったのだろうか。
それとも世界が狂ってしまったのだろうか。
ここは危険だ。今すぐ逃げ出さなければ。
そうだ。震える体に活を入れ、今すぐ私は走りださなければいけない。
―――だというのに。
「今夜は月が綺麗ね、Ms.」
怪しく微笑む少女の眼差しが、私の心を掴んで離さなかった。
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日もすっかりと落ち、窓から大きな月が覗く夜。
天井に吊り下げたランプの明かりと月の光を頼りに、宿屋の女主人レインチェル・コスターノはくたびれた床板をモップで磨いていた。
黙々と真面目に作業を続ける中、彼女は寂しそうに小さなため息をつく。
「―――はぁ、まったく。今日もお客さんほとんど来なかったな……」
地中海に面する小国家。【ティルポト】。
三方を山に、一方を海に囲まれたこの国は「自然と共に生きる」という先代王朝の考えを今もなお濃く受け継いでおり、この産業革命の時代の真っただ中であっても目立った開拓を行ってはこなかった。
そのため、現在も隣接する他国から孤立している状態に近い。経済の面からこの国を眺めると、船による輸送以外の貿易手段に乏しいことに難儀しているのも事実であった。
そのような中、王朝の考えを重んじる層である現状維持派と、時代の流れに乗り自然を切り崩して国を開拓していくべきだ、という推進派に分かれた政治家たちは日々激論を交わしている。
噂では、一部の推進派が国に線路を引くことに躍起になっているとのことだが、財政の問題からか、なかなかうまく事を運べずにいるらしい。
しかし、そのようなスケールの大きな話は一介の宿屋主人には想像の及ばないものであり、レインチェルはひたすら宿屋経営のための目先の金に困っていたのだった。
もうすぐ冬が訪れようというこの季節。雪が積もってしまえば山越えも厳しく、かといって、わざわざ船を使ってまで観光客がこの国に来るとも考えにくい。国と国を繋ぐ山道が雪で塞がってしまう前のこの時期に、冬を越すために少しでも金を稼いでおく必要があるのだ。
幸いにも、レインチェルが宿を構えるこの町は、国境の山と、活気のある首都に隣接しており、普段は首都を目指して山を越えこの国へやってきた旅人を主な客として捕まえることができているのだが、そもそも金を落としていってくれるその客が山を越えられなくなる季節がやってくるわけで。
窓から覗くことのできる、この国ご自慢のお城がやけに寂しく見える。
ならば是非線路とやらを引いてもらいたいものだが、話は前述に遡ってしまう。
最近はまた、『とある理由』で国に入る人間の数自体が激減しているというのだから最悪だ。
はてさていったいどうしたものか、と頭を悩ませながら、レインチェルはじっと月を仰ぐ。美しく輝く月が今日に限っては何だか憎らしい。
カウンターに目を落とすと、そこには今朝方から置きっぱなしになっていた新聞が一つ。一面の見出しは【大陸間横断鉄道原因不明の大爆発 いまだ復旧の目途立たず!!】。一体ここ何日この記事が一面を飾り続けているかも覚えていない。世も末である。もっと気分が華やかになるような記事の一つもないのか、とがっくり肩を落とす。
そんな彼女を見かねたのか、現在この宿屋に宿泊する唯一の客人である旅の画家、マックスが慰めるように口を開く。
「まあまあ、そんな数少ないお客さんの一人がこうやって夜まで売り上げに貢献しているのだから、嘆かない嘆かない」
そう言って、彼は木製の椅子にもたれかかりながらすっかり冷めたコーヒーを胃に流し込んだ。
「そうだねぇ。今のこの店はマックスさんのおかげで保っているようなものですよ」
女性には優しい伊達男の言葉にレインチェルが嬉しそうに答えた。
少しばかりの笑顔を取り戻した彼女にほっとするものの、マックスも同じく月を仰ぎながら、表情に影を落とす。
「……だが、まあ仕方ないさ。今のこの町……いや、国と言うべきか。とてもではないが恐ろしくて迂闊に外を出歩けないのだからね」
「……そう、ですね」
かちりこちり、と年代物の時計の針がやけに大きく部屋に広がった。
「―――さて、と。そろそろ僕は部屋に戻るとするよ」
静寂を嫌ったのか、スッ、と椅子から腰を引くと、マックスが愛用している香水の香りが辺りにふわり、と広がる。男性でも香りの類をつけるということを知らず、周りにも香水をつけるような知り合いを持たなかったレインチェルは、最初こそ慣れない香りに顔を顰めていたが、嗅いでいる内に次第に気にならなくなり、むしろこの香りがある方がしっくりくるようになったのだ。
二階の寝室へと歩を進み始めるマックスの背中を見送りながら、レインチェルは「おやすみなさい」と声をかける。
途中、階段へと足をかけた時にマックスはくるりと振り向いてこう言った。
「あぁそれと、
―――【狼男】にご用心。
途端にレインチェルは声を荒げ、マックスを怒鳴りつける。
「ちょっと! 冗談でもそういうことはよしておくれよ!」
いくら彼でも今の発言は冗談として流しきれない。いったい自分が『そいつ』のせいでいかに悩んでいるのか知っているはずではないか。
モップを持つ手にぎゅっ、と力を込めながら、彼女はマックスを睨み付けた。
その反応が予想以上だったのか、彼は申し訳なさそうに頭を下げるやいなや、香水の残り香を辺りに漂わせながら、そそくさと階段を駆け上がって行ってしまった。
「っとにもう……マックスさんったら……」
冗談で言ったのか本気で言ったのか、彼の性格から恐らくは悪気のない前者であったのであろうが、ついつい頭に血が昇ってしまった。
彼だってこの騒動には迷惑を被っているのだ。お互い様であるはずなのに、一方的に自分だけが怒ってしまうのは今思えば早計であった。反省である。
怒り肩が撫で肩に戻った頃、我に返った彼女が自分一人になった部屋でふと辺りを見渡すと、月に雲が覆いかぶさったことで急に薄暗くなった室内には天井のランプの火が灯っているだけであり、風もないのにゆらゆらと揺れているような錯覚に陥った。
誰もいない、薄暗い静寂の世界。
―――狼男にご用心。
ぶるる、とレインチェルは身体の奥底から来る震えで思わず両肩を抱いた。
「あーやだやだ。アタシもとっとと休んじまおう。とりあえず玄関の鍵でも締めるか……」
何かに急かされるようにして歩みを進めるレインチェル。自分に言い聞かせるようにわざと独り言を呟く彼女の表情は明らかにこわばっていた。
そうしてレインチェルがドアノブに手をかけようとしたまさにその瞬間、
―――キィ、と。
金属製のドアノブが回る音が、確かに聞こえた。
「……っ!」
悲鳴を上げる寸前であった、と彼女は思う。
散々怖がらされた挙句のこれである。自分がもう少しだけ臆病であったならば、きっとこの場に尻もちをついていたところであろう。
固唾を呑んでドアが開くのをじっ、と見つめる彼女であったが、次の瞬間、今度は思わず息を呑んでしまった。
―――なんてキレイな人なのだろう。
ドアの開いたその先の光景に、レインチェルは目を見開いた。
まるで絵画の世界から飛び出してきたかのようだ、とレインチェルは思う。
学もなく、芸術の「げ」の字も知らぬ自分が、自然とそう例えてしまうほどの美しさがあった。
惜しむらくは、彼女の顔の右半分が包帯で覆われていることか。怪我でもしているのだろうか、その姿はひどく痛々しく見え、目の前の女の子の存在を不完全たらしめており、実に勿体ない。
いや、むしろ、不完全の美こそ尊いのか。包帯で見えない部分を、己の感性でどう捉えるかが焦点なのだろうか。
―――黄金の長髪が、ふわりと揺れる。
見た目は小柄、見下ろせる程度に小さい体。そんな姿に似つかわしくない、大きな大きな黒い鞄を引きながら、
一人の『女の子』が、そこにいた。
「―――こんばんは、Ms.
お部屋を一つ、お借りしたいのだけど―――」
スカートの両端をちょん、と指先で挟んで挨拶しながら、女の子は透き通るように美しい声でそう言った。
その愛らしい姿、声に、すっかり惚けてしまったレインチェルはただひたすら女の子を眺め続けた。
「……? Ms.? Ms.!」
何回目の呼びかけであったか、ようやく我に返ったレインチェルは目に生気を取り戻して女の子と向かい合う。
その姿に安心したのか、女の子はくすりと微笑んだ。
「あ、いやごめんよ、なんでもないんだ。この国一番ともっぱら噂の宿屋【止まり木】へようこそ、お嬢さん。お一人の来店で……」
来店ですね、と言おうとしたところで、レインチェルは驚くほど素っ頓狂な声を上げた。
「お一人ぃ!?」
彼女は反射的に女の子の手を掴んで胸元まで一気に引き寄せると、玄関前に放置された黒い鞄も忘れずに引き込んだ後でドアに鍵をかけた。
なんて心臓に悪い。はぁはぁ、と肩で大きく息をしながら、額ににじみ出た冷や汗を拭い去った。
「……ふぅ」
「……情熱的な歓迎ありがとう」
「おバカ……!」
ほのかに甘い香りのする、抱き寄せていた華奢な体を手放すと、うまく事態を呑みこめていないのか、くりくりと大きな瞳でレインチェルを見上げる女の子に彼女はまくし立てる。
「……アンタ見ない顔だけど旅の人!? 今この国は夜間外出に制限がかかっているってことを知らないのかい!?」
なんてことだ。こんな小さな女の子が、日も落ちた暗い夜道を一人で歩いていたというのか? 想像するだけで恐ろしい光景だ、とレインチェルは首を振る。
ましてや今のこの国は、大人でさえも平気な顔をして夜道を歩けないというのに……!
「あぁ……そういえばここまで送ってくれた行商のおじ様がそんなことを言っていたような…………、
言っていなかったような」
「ど、どっちだい!」
「―――狼男に食われちまうぞ、
とは……言っていたわ」
そう言って、女の子は突然怪しく微笑んだ。
「……そう、それのことさ」
愛らしい顔に似合わぬその蠱惑的な表情に、またも心を動かされるものを感じながら、小さく溜息を吐いた後レインチェルは語り出す。
「【真夜中の狼男事件】と、そう呼ばれている。この四か月の間、若い女性ばかりが殺害される事件が起こっているんだ。殺害方法は【非常に大きく、鋭利な爪と牙】。現場には決まって狼の体毛が残されていた。
最初の事件はこの町を出てすぐの……山に通じる森の中で木こりが見つけたんだ。毎朝通っている場所に、昨日まではなかった『異物』が現れた。食い散らかった酷い死体だったらしいけど……『かろうじて』遺品だと見てとれるものから、どうやらすぐ隣の首都を縄張りにした娼婦だということがわかった。
「運悪く狼に食われちまったんだろう」と、誰かが言った。
だが、他の誰かがこうも言った。「なんで娼婦があんな暗い森の中に」「あいつは大の怖がりで、立ちんぼだっていつも二人でやっていたのに」
「そもそも、この地方に狼は住んでいない」
それでも、かわいそうな不慮の事故として話は一度風化しかけた。ただ、それがその後も、決まって満月の次の日に、2回、3回と続き……先月のその3回目の事件に至っては、路地裏ではあったが首都のど真ん中で堂々と食い殺されていた。そうしてその頃に、また誰かがこう言った。
「―――あぁ、この国には。狼男が住んでいる―――」
…………ってね」
長々と語ったレインチェルが、ほう、と大きく息を吐く。
―――怖がらせてしまっただろうか。
しかし、この女の子がただの旅人であるならば、この国の惨状を知らぬことはすなわち死に繋がる。今のところ犠牲者は20代ばかりだが、いつこのような小さい子供が襲われるとも限らないのだ。
まったく、来てくれるのは嬉しいが、なんだってこの時期なんだ。
同情のような眼差しを女の子に向ける。やはり怖がらせてしまったのだろう、俯いて小さな肩を震わせている。
「……」
何か温かい飲み物でも出してやろう。レインチェルが奥に引っ込もうとしたまさにその時だった。
突然顔を上げた女の子が、舞台の演者のように芝居がかった口調で喋りだしたのは。
「『まぁ! なんて恐ろしいのでしょう! 銀の弾丸をお土産にして、腕利きの猟師様とお友達にならなければ!!』
…………って、感じでいかがかしら」
「っ! 夜遊び防止の怖い話とかじゃないから!!」
なんて娘だ。外見に似合わぬくだらない冗談を飛ばしてくる程の余裕があるということか。
俯いていたのはおそらく台詞を考えていたのだろう。まったく、末恐ろしい子である。
ただ、怯え竦んでしまうよりは遙かにマシだ。女の子のキモの強さにレインチェルはある意味ほっとする。
「まぁ……そりゃあ信じられないのも無理はないさ。『狼男が夜な夜な人を食っている』なんてメルヒェンの世界じゃあないんだからさ。ただ、今までに三人の女性が犠牲になっているのは事実なんだ。
それにアンタがこの町に来たタイミングも最悪。明日は事件からちょうど四か月目……4回目の満月だ。当然一般市民は夕方以降の許可がない外出は禁止!
2回目の事件以降、首都を中心として毎晩のように警官隊が国中を守っているけど、それでも3回目を防げなくってこのザマだ。噂じゃあ、なんでも長い間国を空けていた【騎士団】が戻ってくるらしいから、明日にも彼らが国中に派遣されるって話もある。この国も本気で【狼騒ぎ】を終わらせたいんだろう。
……あーもう! ヨーロッパはいったいどうなっちまったんだ! なんか一昔前までは化け物が世界中にいたらしいけど、この産業革命の時代に入ってまで『化け物』がいるなんて信じられるかい!? どっかの国ではなにやら【金色の悪魔】とやらが一晩で国中の化け物を倒しちまっただの……ここまで来ると三流の大衆小説以下だよ!」
頭を抱えながら一気にまくしたてるレインチェルを見上げながら、女の子は「そうね。その通りだわ」と優しく微笑んだ。
「ところでお部屋なのだけれど……」
「あ、あぁ悪いね、すっかり忘れていたよ。なら、二階の一人部屋に……」
「いえ、二人部屋をお願いできるかしら」
「……なら、三階の部屋を使いな。鍵はこれだよ」
……二人?
訝しがりながらも、レインチェルは金庫の中にある三階の部屋の鍵を女の子に手渡す。
一人旅ではなかったのか。後から合流する仲間でもいるのか、もしくは親が来るのかもしれない。
それなら合点がいく。こんな幼い子供が一人でヨーロッパを練り歩くだなんて不可能に近い。
一人勝手に納得しながらレインチェルが鍵を渡すと、女の子は笑顔を見せた。それがとてもかわいらしくて、彼女も上機嫌になった。
「ちなみにうちは男娼を連れ込むのは禁止だからね」
―――上機嫌になりすぎて低俗な冗談を飛ばす程には。
「!」
やってしまった、と後悔しても時すでに遅し。こんな花も恥じらう女の子になんて下劣なことを言ってしまったのであろう。反省すると同時に、そもそも【男娼】という言葉自体この子は知らないのではないか、という希望を持ち始める。
「? ……えぇ、連れ込んだりしないわ?」
やはりよくわかっていなかったのだ。レインチェルがほっと胸を撫で下ろすのも束の間、
「―――だって私、結婚するまで処女でいるって決めているのだもの」
女の子が、小悪魔のように嗤った。
―――末恐ろしい子供だ。
レインチェルの頬を冷たいものが流れると同時に、女の子からやけにくたびれた布袋を手渡された。ずしり、という確かな重みが受け取った手から全身に広がるのを感じる。いったいいくら入っているのか。
「宿代よ。ちょっと少ないかもしれないけど」
まぁ、とはいえ子供の出す金額だ。本当にちょっと少ないのだろう。中身は劣化した粗悪な銅貨の集まりかもしれない。だったらその時は特別サービスしてやればいい、と袋の中を覗き見たレインチェルが、
「……っ!?」
金貨のぎっしり詰まったその光景に絶句する。
―――どこが、ちょっと少ないなんだ!?
枚数を数えなくてもわかる。この袋の金貨だけで悠々と冬を越せるどころか、個人用の風呂だって作ることができるかもしれない。
本当に、一体何者なのだこの子は。もしやどこからか盗んできた危ない金では、とレインチェルは一瞬受け取るのを躊躇うが、金の魅力には逆らえず、生唾を呑みこみながら金庫へと仕舞い込む。
あぁ、そうだ。きっと、この女の子はお金持ちの娘なんだ。だから一人で旅行なんかもできるし、こんなどこにでもあるような宿屋へ気まぐれで大金を出せるのだ。そうか、ならば問題ない、と彼女はまたもや一人で勝手に納得するのであった。
「ところでMs.かすかに花の香りがするのだけれど、何かを飾っているのかしら?」
「……? あ、いやそれは多分他のお客さんの香水の残り香さ」
「…………そう」
では、と今度こそ階段を上り始める女の子。
中腹まで上る背中を見たところで、レインチェルが何かに気が付いたかのように声を上げる。
「あ、あの! アタシの名前、レインチェルっていうんだ! お……お客様の名前は!?」
その言葉に女の子がふわりと振り返り、可愛いらしい小さな口を広げながら告げる。
「ローズマリアよ。
―――ローズマリア・ハイネンヴェルゼ。よろしくね? Ms.」
まるで花のように微笑みながら。
「あ、あぁ……こちらこそよろしく、ハイネンヴェルゼさん。おやすみ…」
「うふふ、おやすみなさい」
そうして女の子……ローズマリアは、ほのかに甘い香りだけを残しながら、レインチェルの視界から遠ざかっていった。
その姿を名残惜しそうに最後まで眺めていたレインチェルは、突如糸の切れた操り人形のようにその場に座り込んでしまった。
ほう、と大きく溜息を吐く。
「……つ、疲れた。普段相手にしている親父どもとは次元が違う……」
日々の情景を思い出しながら、レインチェルは窓から夜空を眺める。
いつの間にか雲が消えたのか、煌々と浮かぶ月が見て取れた。
「―――ローズマリア・ハイネンヴェルゼ……か」
大切なもののように、レインチェルはその名前を呟いた。
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「―――ふぅ。今日は長旅お疲れ様」
再び雲によって月の光を奪われた闇夜で、澄んだ声が広がる。
「え? ううん、私は平気よ。心配してくれてありがとう」
指定された部屋へと辿り着いたローズマリアは、さっそく寝巻に着替えるとベッドに飛び込んで横になった。
「それより心配なのはあなたの方よ。あんまり無茶しないでちょうだいね」
一体誰と話しているのであろうか。その一方的に見える『会話』はなおも続く。
「……うん。うん……そうね……それにしても、ずいぶん面白そうな国に来ちゃったわね。これなら退屈せずに済みそうだわ」
ローズマリアが、暗闇の中でナニカを撫でている。
愛おしく、繊細に、慈しむように。
「―――うん、それじゃあ」
雲が移動したのか、室内に月光が射し込み、ローズマリアの姿が鮮明に映し出される。
彼女が話しかけ、撫でていたもの。それは―――、
―――あの、黒い大きな鞄であった。
「おやすみなさい、ヌワラエリヤ」