28話 純白と鮮血
【武器召喚ガチャを引きますか?】
はい いいえ
「召喚!」
このウィンドウを見るのも久しぶりだ。淡い光が、腕輪から放たれる。
【|N】金属バット
それは球技用の金属棒だった。ヘッドは銀色で、グリップが黒い。打撃に向いていると言えば聞こえはいいが、要するにただのスポーツ用具。ボールを打ち返すのに使えそうだ、相手が野球選手だったなら。
しかし俺が相手にしているのは触手つきの巨大な熊。とても野球の相手をしてくれるような存在ではない。当面はこれで凌がなければならないようだ。
クレアはジト目でこちらを見つめている。
「ただの棒じゃん」
召喚については一度見たこともあり突っ込まれなかったが、そこから出てきた武器については訝しんでいた。
「クレア、しばらくは俺はこれで戦う。サポートを頼む」
大真面目に言ってのけた。
「本気でそれで戦うつもりなの!? はあ……やっぱりついてくるんじゃなかったかな」
「しばらくしたらまた新しいの用意してあげるから!」
「おもちゃを買ってあげるみたいな感覚で言わないでよ!」
今はこの武器の是非について話している時ではない。触手クマは、俺達を見つめていたかと思うと、のそのそと突っ込んできた。
3メートルの巨体は、俺達にとっては重機のような大きさ。ゆっくりのように見える動きでも、歩幅の大きさで距離を詰めるのは容易そうだ。背中から生えている4本の緑の触手は、目がない蛇のような形をしていて、ぬらぬらと光っている粘液がいっそう不気味だった。
対して俺達は、足を取られる雪の積もったフィールド。地形的にはこっちが不利だ。前傾姿勢で突進してきた触手クマは、右腕を大きく挙げたかと思うと、俺達めがけて振り下ろしてきた。
俺もクレアも、左右に避けて難を逃れたが、触手クマの一撃が当たった地面は雪ごと大きくえぐれている。
「うわあ……当たったらひとたまりもないよ、あれ」
クレアは顔を青ざめながら地面を見ている。俺は冷や汗をかいた。リゼがいない状況では、補助魔法もかけることができない。エンチャント盾がない状況で、どこまで攻撃を防ぐことができるか。
そんなことを考えていると、触手クマは雪の中からムクリと上体を起こし、再び突進の体勢に戻る。
突進自体のスピードは速くなくても、雪に足がとられている状態では動きづらく、避けるだけで精一杯だ。そして金属バットで打ち返して止まるような相手には見えない。
「手詰まりじゃないか……!」
「はあ、はあ……寒かったけど、こんな運動で温まりたくないよ!」
林の間を走って逃げていくと、そのあとを触手クマが追いかけてくる。奴の通り道の木はメキメキと折れ曲がってなぎ倒されていく。じり貧の状況を打破するため、俺は思い切り金属バットを投げつけた。
カキーン! と小気味いい音とともに触手クマの顔面に当たり、「効いたか!?」と思ったのもつかの間、クマはウオオオオと大きな唸り声をあげてスピードを上げて突撃してくる。
「ぜったい怒ってるよ! なんでそんな武器しかないのさー!」
クレアが叫ぶ。後ろからは怒りの猛獣が突っ込んでくる。逃げきれない!回避もむなしく、俺とクレアは、奴の突進をもろに食らってしまった。鈍い音が、冷えた空気を伝わる。
「がっ……!」
「きゃああああ!」
その衝撃で、雪の上を転がり抜けていく俺とクレア。痛みと衝撃で立ち上がることすらできない。肺の中の空気は無理やり吐き出されて、息が止まりそうになる。
次の……次の武器を……! そう思って腕輪に手を伸ばそうとしたその時、異変に気付いた。触手クマは、クレアに近づいてきたかと思うと、背を低くしてしゃがみこむ。
まさか、クレアを食べる気か!?
「くそっ……! させるか……!」
しかし、体は言うことを聞いてくれない。肉と骨の軋みが感じられるだけだ。触手クマはジッとクレアを見ていた。そして、伸ばしたのは右手……ではなく。
背中の触手だった。
触手クマの背中の4本の触手は、それぞれが意志を持っているかのように独自に動いている。くすんだ緑の、目のない蛇のような形をしている長い突出部分。ぬるりとした粘液にまとわれ、テラテラと光っている。
その一本が、動けないクレアの腕に巻き付き、また一本が胴体に巻き付き、もう一本がふとももに巻き付いた。クレアの身体の太い部分がナマモノのベルトで巻き付かれているような、そんな光景だ。
巻かれた部分に曝されている素肌は、粘液が付着したことによりぬるぬると光沢を帯びて、なまめかしい。健康的なふとももは肉を締め付けられ、上着の下のさらしは今にもほどけそうになっている。
触手の最後の一本が、クレアをもてあそぶかのように頬を撫でたり、舐めたりして品定めをしているように見える。触手クマは、まるで集中して獲物を捕食しているかのように、その間微動だにしない。
「いやあ! やめて……そんなところに入らないで……」
クレアの小さな悲鳴が耳に入る。あどけない顔は紅潮し、悶えている。クレアは手足に力を入れ、苦悶の表情を見せている。
俺は正気に戻った。
肉のロープに羽交い絞めにされているクレアを助けるため、俺はできる限りの力を振り絞って、左腕の腕輪を起動した。
【SR】ブラッドソード
血塗られた色をしている刀身の、少し歪んだデザインの長剣。
「クレアを離せっ……この変態グマ!!」
なんとか立ち上がった俺は、触手クマの背中から生える触手の根元を狙って、渾身の力で斬り付ける。ザクッという音とともに、触手が根元から切り離され、その先にいるクレアは、地面に落ちた。
そして斬り付けた途端、俺の体力はみるみるうちに回復していった。
「これはまさか、回復してるのか?」
吸収効果のある武器、ブラッドソード。
長剣で切られたショックで、触手クマは大きく叫び、再び立ち上がりこちらをにらみつけてくる。奴が突進を始める。奴を倒すには、逃げていては埒が明かない。ここで取るべき選択は一つしかない。
「肉を切らせて骨を断つ!!」
触手クマは大きく右腕を振り上げた、そして俺は、それを避けることもせず、こちらからも両手で斬りかかる。先に奴の右腕の一撃が俺の肩に容赦なく襲い掛かる。傷つけられた肩からは、鮮血がしぶきを上げた。
「っ!! うああああああっ!!」
悲鳴なのか気合なのか分からない叫びを発しながら、俺はブラッドソードでそのまま触手クマの腹を切り裂いた。触手クマは「グオオオオ!!」と悲鳴のような叫び声を上げる。
とてつもない痛みは残ったものの、同時に吸収効果が発動し、俺の傷口は一瞬で回復。対して、もろに長剣の一太刀を食らった触手クマは、後ろに倒れ込んだ。
SR武器の切れ味は本物だ。
あたりには、俺と触手クマの血で白い雪にいくつかの赤い染みができている。
「ああ、死ぬかと思った……げほっ」
気を失いそうな痛みで気持ち悪くなってくるのを、なんとか持ち直す。息も絶え絶え、満身創痍の俺は武器を手放すと、そのままブラッドソードは消滅した。
「……クレアは!」
少し離れた所に倒れているクレアの方に駆け寄る。突進のダメージで少し怪我をしていて、意識がないものの、呼吸はしているようだ。
「ああ、よかった……、どこかで治療をしないと……」
気絶しているクレアの触手を取り除いて、介抱してやる。その間にピリファイ草を摘みポケットにねじ込んだ。小柄なクレアを背中に背負うと、俺はよろよろと雪林を出るために歩き始めた。
同じ頃、林の奥の人影が俺達を見つめていた。




