計 ~王達の帰還~ その3 裏
「裏」は、主人公が紡いだ物語を、普段は脇役の人達から見た展開となります。言わば外伝。
同じ時間、同じ場所で起きた事件あるいは出来事を、主人公以外の人物の視点で今一度、描き直したり致します。
その時、彼女は、彼は、何を考え如何に思っていたのか? 新たな発見、認識のズレなどお楽しみ頂ければ幸いです。
又その為、通常は違う三人称形式となります。ご了承ください。
振り解けない訳じゃない。
男子高校生の力であろうと、白蛇伝説なんて二つ名を持ってしまった私なら。
彼女、光井栄美はそう思った。だが、実際には出来なかった。
「逃げないで!」
叫ぶと同時に、必死でしがみついてくる彼、この1500番宇宙の時保琢磨を栄美は振り解く事など出来はしない。
「どこへも、行かないでください」
切羽詰まった感じの少年の声が、下から聞こえる。
行かないで、か。
その言葉を何度、囁いた? 叫んだ、そして呟いた事か。自分が言われる立場になるなど考えた事も無かった。
以外に逞しい、そう思えた分厚めの胸板に頬を押し付けて全てを委ねてしまえたら。それが幸せなのでは無いか?
そんな事が頭を過る。
しかし、エージェントをして生きてきた自分を裏切る事も、彼女にはまだ出来なかった。
「判った……」
このままでは埒が開かない、そう判断して栄美は少年に告げる。
「逃げないから離して」
互いに座り込んで、病院の庭で二人は言葉を探す。
「何か言う事は、無いの?」
少年の目を見ずに顔を反らし気味で、彼女は感情を込めずに言った。
口にしてから気付く。自分は今、腹を立てている。それは、この高校生に甘えているからだと。
嘘をつき続けてきた、欺き続けていたのは自分なのだ。まず謝罪の言葉を言うべきなのは自分の方だと。
それなのに、何も言わず何も聞かず今は黙って去って。そう考えている事に気付いた途端、自分自身に腹が立つ。
しかし……
「聞きたい事だらけです」
そう時保琢磨に言われると同時に、自分の瞳から感情が消えるのが判った。
どうして何も言わないでいてくれないの? 真っ先にその言葉が浮かんでくる。
未成年の男子にデリカシーなど求める事自体に無理がある、理解しているはずなのに怒りが沸いてきた。
それも甘えなのだと気付けば、更に腹が立つ。自身に。彼女は今、感情の悪循環に陥っていた。
そんな自分に対し、小さな溜め息を付いて諦めたように彼女は首を横に振る。
「判った。全て話すから、明日の午前10時に東京駅に来て。東海道新幹線の南乗り換え口で待ってるから」
「あ、明日って木曜日……」
少年の戸惑う様子に、困っているのが明らかな口調に、栄美は本当に切れそうになった。
そうよね! 明日は平日だもの。高校生は学校があるよね! でも私には明日しか時間が無いの、他は休めないの!
心の中を罵倒の嵐が渦巻く。口から出ないのは幸いだと、頭の隅で判っている。これも甘えだと判っている。
自身、美大生でもある事を失念しつつ彼女は年下の高校生に甘えているのだ。と言う認識が、自己嫌悪に繋がる寸前だった。
「午前10時、遅刻厳禁。ですよね?」
琢磨が、そう言った。
「10分まで待つわ」
答えながら、栄美は柔らかく暖かな感情が動くのを感じる。
この子、優しい。身勝手な自分の甘えに寄り添ってくれる。
「東海道新幹線南乗り換え口、間違えませんから。絶対、待っててください」
何だか泣き出しそうになるのを抑えて、彼女は笑顔で頷いた。
そんな昨日のやりとりを新幹線に乗ってすぐに、うたた寝し始めた光井栄美は夢で見ていた。
昨夜は期待と不安で緊張し続け、一睡もできなかった。そのせいで気付く間も無く寝てしまう。
「起きよ、栄」
そんな彼女の耳元で、馴染みになりつつある声が囁いた。ような気がした。
突如、起こされた。そんな感じで目覚めたが、列車は目指す駅に着く寸前だった。
戸惑う少年を連れ、目的地に向かう。
「メイ・ナード美術館。ここで全て話すわ」
でも……いえ、何でも無い。
全てを語った後、この高校生は自分にどんな視線を向けるのだろう? どんな感情を抱くのだろう?
恐怖が蘇り、微かな怒りが蠢く。それを首を振って振り払い、彼女はただ一枚の絵を目指して歩き出した。
そして、その前で足を止める。
「これって、この絵は……」
「憶えてた?」
少年の反応がちょっと嬉しい。そんな栄美の声に彼は首を縦に振った。
そこに有ったのは、浮世絵。
「この絵はね、夜桜美人図ってタイトルなんだよね」
へぇ。そう言うしかない高校生の顔が妙に愛しい。そして自然に瞳は絵に戻っていく。
多分、今にも泣き出しそうな顔で自分は絵を見詰めているのだろう。そう感じながら彼女は説明を続けた。
「有名な浮世絵師、葛飾北斎の娘の作品なんだよ」
そう口にしながら、瞳から涙が溢れて頬を伝うが判る。
「葛飾応為。この世界の、私が描いた絵」
「え?」
戸惑う時保琢磨に彼女は、こう告げた。
「私の名前は、栄。 葛飾栄。北斎の三女で画号は葛飾応為。それが、本来の私」
目を真ん丸に見開き、男子高校生は絶句する。視線を移した彼女の目に映る琢磨の表情はそれだった。
終わった。やっぱり、ね。
ここには居ない異世界の友を思い浮かべながら、光井栄美は心の中で呟く。
そんな彼女の耳に、少年の呟きが流れ込んできた。
「凄い……」
「え?」
戸惑いが彼女の方に移ってきた。
今、目の前の男子高校生は拳を振り上げんばかりの勢いで握り締めて、自分を見ている。
「凄いよ、お姉……栄美さん」
歓喜と言って良い瞳の輝きで彼の顔は興奮に染まり、本当に拳を頭上に突き上げた。
「俺なんか、平警官とか産休教師とかしか異世界の俺は居ないのに」
少年は自分自身の事のように、喜びを弾んだ声に乗せた。
「葛飾北斎なんて、超有名人の娘さんだなんて、最高だ!」
「ちょっと、声、小さく」
「あ、ごめんなさい」
男子高校生を窘めながら、栄美は小さな溜め息を付いた。安堵の。
あぁ、そうだった。こういう子だった。
普通とは違うんだ、この子の反応。
「ただし、描いたのは1500番宇宙、ここの葛飾応為だけどね」
「あ、うん。そう……なんですね」
「私が、ここの住人では無い事は、もう知ってるよね?」
無言で頷く琢磨の瞳に、恐怖や嫌悪の色は無い。胸に微かな明かりが灯る。
「数多有る多元宇宙の、どこの世界から来たのかさえ判らない。ただ、10歳未満でもここに来るまでの記憶は有るわ」
「だから、北斎の娘だと」
「覚えてる。そして、私達は皮膚の下に別の物が有る世界の住人なの」
あの夜見た白い鱗を今、少年は思い出しているのだろうな。と、光井栄美は彼の表情の変化に注視する。
「だから、何ですか」
「え?」
「さっきも言ったけど、異世界の俺なんて」
マネキンに幽霊が憑いてるみたいのとか、加湿器から出てきそうなのとか、驚いたら体が透けるのとか、まともな奴なんて居ないんです。
苦笑しながら、ここ1500番宇宙の時保琢磨は、そう語った。
「だから、あれくらいじゃ驚きませんよ。あ、最初は、ちょい。でしたけど」
「君って子は……本当に……」
普通とは違うんだ、考え方まで。
そして彼女は、あの夜の前日に届いたジレーザの作戦行動許可申請におまけで付いていた、鉄の姫君の手紙を思い出していた。
そなたの大事なあの子を救ってやったぞ。と言う書き出しから始まる手紙の後半部分。
自身の秘密と言って良い姿を晒した時、この少年がどのように反応したか。かなり克明に書いてあった事を。
「判るよ……」
聞こえないほど小さな呟きが、栄美の唇を動かす。
今なら判る、どれほど嬉しかったのか。我が友、鉄の姫君がその時どう思ったのか、が。
「あの、これ……」
男子高校生がおずおずとハンカチを差し出した。
気付けば、いつの間にか再び止めども無く溢れた涙が頬を伝っている。
そんな二人を奇異な目で、観光客らしき団体が見て通って行った。
「出ましょうか? もう少しゆっくり話せる所が有れば……」
急に大人びて見えるようになった時保琢磨に、栄美は頷く事しか出来なかった。
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