計 ~王達の帰還~ その3 表
本日、木曜日。時間は午前10時過ぎ。
ここは東京駅、東海道新幹線南乗り換え口。
ナゼ平日のこの時間に、こんな所に居るかって?
「決まってる、サ・ボ・り」
サボタージュ。学校より大事なものが有るなら、一日くらい自主休校。
俺にとって今、俺の前を歩く女性以上に大事なものなんて無いよ。
もちろん家は普通に出たし、学校には風邪引いて熱が出たって事で。
待ち合わせて、二人で新幹線に。学生服だとマズイので、持ってきてもらったスーツに着替えて。
ただ、どこへ向かっているのか、俺は知らされていない。
「あの……栄美さん。どこへ」
「こっち」
短い返事と共に、停車中の列車に乗り込む。俺は慌てて追いかけた。
渡されたICカードで改札を通ったから、行き先は全く判らない。
「あの……」
指定席に着いて、俺はもう一度、聞こうとして言葉を飲み込んだ。
サングラスをかけた栄美さんの横顔から、トンでもない緊張感が伝わって来る。
仕方なく沈黙し、周りを見渡す俺。そんな事をしてる間に、のぞみは発車した。西に向かって。
走り出した車内には、ほとんど乗客が居ない。平日だからかな、俺には好都合だけど。
「あれ?」
新横浜を過ぎて、気付けば、いつの間にか寝息が聞こえる。よっぽど疲れてたのかな、栄美さん。
「オッサンは、とんでもなく強いエージェントだって……」
言ってたけど、俺の横で今、居眠りしてるお姉さんは年相応の、可愛い寝顔なんだよね。
ぼんやりと、でもずっと見てられる。できればサングラス外して欲しいなぁ。とか考えながら。
けっこう長い間、俺は栄美さんの寝顔を見続けていた。すでに名古屋駅は目の前。
「え!」
ガバって感じで突然、隣で寝ていた彼女が起きた。ひたすら横顔を見詰めてた俺も、思わず立ち上がりかける。
それくらいマジびびり。
特に1時間以上もずーっと見てたなんて、誰だって本人には知られたくないでしょ? ストーカー扱いされてしまうよ。
名古屋駅到着、同時に栄美さんが動く。
「ここで降りるから」
承知致しました。って姫君様相手にジレーザの人達が言ってたっけ。
俺も習って、いそいそとお姉さんの後を付いて行く。名鉄ってのに乗り換えて、小牧って名前の駅まで。
「あの……どこに?」
タクシーを捕まえた栄美さんの後ろ姿に、俺は何度目かの同じセリフを吐いた。
「もうすぐだから」
相変わらず返事が短い。それと共にドンドン緊張感が増して言ってる気がする。
その魅力的なスーツ姿の背に、俺はここへ来る事になったやりとりを思い出していた。
昨日、あの外資系病院の庭で、俺はやっと会えた光井栄美さんと離れたくなくて、恥も外聞も無くってヤツで必死にしがみつく。
「どこへも、行かないでください」
「判った……」
諦めのような口調でそう言った後、栄美さんは逃げないから離してと告げた。お互い庭に座り込んで、言葉を探す。
「何か言う事は、無いの?」
俺の目を見ず、顔を反らし気味で彼女は感情を込めずに聞いてきた。。
怒ってる? ナゼか俺にはそう思えたんだ。でも腹を立ててるのは、俺の方かも知れない。
「聞きたい事だらけです」
そう口にした途端、悲しげだった栄美さんの瞳からも感情が消える。
も、ものすごく怒ってる。間違いないって、これ。ワキを嫌な汗が流れ落ちそう。
小さな溜め息を付いて、お姉さんはホントに諦めたように首を横に振った。
「判った。全て話すから、明日の午前10時に東京駅に来て。東海道新幹線の南乗り換え口で待ってるから」
「あ、明日って木曜日……」
そう呟いた途端、彼女が反らしていた顔を真っ直ぐにこちらの方へと向けた。
う、全く感情が篭らない瞳が俺を見てる。恋愛経験ってヤツに乏しくても、これは気付くよ。ここでミスったら一巻の終わりだって。
「午前10時、遅刻厳禁。ですよね?」
「10分まで待つわ」
って一言と共に、淡い笑みが栄美さんの瞳に宿った。ホントに脇汗が出てきたよ。ほっと溜め息付きそう、俺。
「東海道新幹線南乗り換え口、間違えませんから。絶対、待っててください」
何だか泣き出しそうな抑えた笑顔で、お姉さんは頷いた。
そして今、俺はここに居る。
「ここって、美術館?」
「そう、メイ・ナード美術館。ここで全て話すわ。でも……いえ、何でも無い」
一瞬、感情が消えかけた目で俺を見据えて、何かを追い払うように最後には首を横に振って、光井栄美さんは美術館に入っていく。
メイ・ナード、化粧品会社だよね。母さんが使ってるのと同じだから、俺でも知ってる。
でも、そんな会社が美術館を持ってたなんて知らなかった。って言うより美術館方面には疎いんだ、俺って体育会系だし。
入ったはイイけど、栄美さん全く展示してある絵に目もくれず、ひたすら俺を連れて突き進んで行く。
そして、一枚の絵の前で足を止めた。
「これって、この絵は……」
「憶えてた?」
ちょっと嬉しそうな彼女の声に、俺は首を縦に振る。
そこに有ったのは、浮世絵。
夜の闇に佇み、灯篭の明かりで何か書いてる着物姿の女の人が描かれ、そのコントラストの高さが印象に残っていた。
古井戸から白い砂漠の異世界に旅をした、お姉さんと初デートした、あの日に見た思い出の絵。
「でも……」
ホントはあの日、悲しみとか単純な言葉で言い表せないほどに複雑な切ない表情で、静かに涙を流していた栄美さんの事が忘れられない。
だから、この絵の事も覚えていたんだ。
「この絵は……」
「この絵はね、夜桜美人図ってタイトルなんだよね」
そうなんだ、流石は美大生。って感想が心に浮かぶ。
でも俺の目は、今にも泣き出しそうな顔で絵を見詰める光井栄美さんから離れられない。
「有名な浮世絵師、葛飾北斎の娘の作品なんだよ」
そう口にしながら、お姉さんの瞳から涙が溢れて頬を伝う。
「葛飾応為。この世界の、私が描いた絵」
「え?」
戸惑う俺に彼女は、こう告げたんだ
「私の名前は、栄。葛飾栄。北斎の三女で画号は葛飾応為。それが、本来の私」
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