計 ~王達の帰還~ その1 表
今、俺の目の前に一足の靴が有る。
パンプスって言われてる女性の為のハイヒールな靴、ワインレッドの。
大して広くも無い自分の部屋。めったに座らなくなった、小学生の頃から使ってる机の上に。
「どうすれば……」
自分でも情けない声が、口をついて出た。
椅子に座ったまま、視線だけが天井に移動していく。
昨夜の事を思い出して、俺は目を閉じた。
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「栄美さん!」
誰よりも大切な人の名前を夜空に向かって、俺はただ叫ぶ事しかできない。
走り去るその後ろ姿を、ただ目で追う事しかできなかった。
「追いかけなさい!」
後ろからの叫び声に、ハッとして俺は振り返る。
そこに爆発の前にすれ違った、ビューレットさんを班長って呼んでたメガネの女の人が居た。
「貴方の大事な人じゃないの? もたもたしてないで、さっさと追いかけなさい!」
とんでもなく怖い顔で怒鳴るその女性に頭を下げ、人ごみを避けながら俺は、お姉さんの後を追った。
でも、遅かったんだ。
「居ない……」
廃墟の小学校の校門を出た所で俺は、また立ち尽くす。
そしてトボトボと校庭に戻ってきた気に、やっと気付いた。脱ぎ捨てられたワインレッドのパンプスに。
「これって……」
見覚えが有った。
アキバのテロ事件の最後、ピンモヒにやられそうになった俺を救ってくれた、誰か判らないまま今に至る女性が履いてたはずの物。
「栄美さんだったんだ……」
靴を拾い上げ、傷だらけのつま先を見て、俺は確信する。あの時、俺を助けてくれたのは絶対、あの人だったんだと。
「琢磨くん」
呼びかけられ、俺は頭を跳ね上げる。そこに俺の、異世界の同一人物が二人。
「あの方にも、色々な事情があったんです」
「銀八っあん、知ってたんだ……」
なら、棗のオッサンも?
「回りくでぇ話は止めようぜぇ、銀八ぃ。ボウズが納得できねぇだろうがよぉ」
カマキリの頭みたいなグラサンを外しながら、オッサンはそう言う。
「ですが……」
口ごもる銀八さんを尻目に、オッサンは真っ直ぐに俺を見据えて口を開いた。
「もう判ってるよなぁ、ボウズ。あの女が、オメェの住んでる世界の人間じゃぁ無ぇって事ぐれぇ」
「棗さん! そんな言い方……」
「同じだろうがよぉ、どんな言い方しようが。ハッキリさせなきゃなんねぇって」
オッサンの言う通りだって判ってる。でも、どこかで否定したいって心の奥で叫んでる俺が居た。
「騙してたのか……」
「ま、結果的にやぁ、そうなるな」
「棗さん、言葉を選んでください」
「誤解ってのぉよ避ける為にゃ、事実を言うしか無ぇ」
確かにそうだ。
本当はみんなで俺を、いや誰よりも栄美さんが俺を騙していた事が、一番辛くて苦しい。
「美大生なんかじゃ、無かったんだ」
「いいえ。それは嘘では無いわ」
俺の呟きに、さっきの女の人の声が即、返ってきた。
「彼女が現役の美大生で有る事は、紛れもない事実よ」
アラサーって感じのメガネの女性が告げる。隣に立ってるビューレットさんが静かに、でも二度大きく頷いた。
「あぁ、確かにな」
棗のオッサンも肯定する。それじゃ……
「ただよぉ、それだけじゃ無ぇ。あの女はよ、白蛇伝説ってぇ異名を取るトンでもなく強ぇ、この1500番宇宙のエージェントだったって事よ」
エージェント? お姉さんが?
メガネの女の人が、少し気を使ってくれてるって感じで口を開いた。
「君は、彼女の保護観察対象だったのよ」
保護、観察対象って……
「オメェは、ずっと守られてたって訳よ。判ったか? ボウズよぉ」
あの日、学校帰りにピンモヒに襲われた時も。狙われてる俺を護衛する為だったんだ。
「この際だからよ、はっきり言っとく。あのピンモヒ野郎をぶちのめしたもオレ様じゃ無ぇ。判るよなぁボウズ」
俺は、どれだけカッコ悪かったんだろう、あの時。俺さえ居なければ栄美さんは、あんな恥ずかしい思いをする事無かったんじゃ?
あの後もずっと、迷惑をかけてきたのか?
「俺、一人で……」
舞い上がってたんだ。保護される身でなけりゃ、あんなキレイなお姉さんが俺と会ってくれるはず無いか。
もしかしたら、美術館デートだって。いや、デートだと思ってたのは俺だけか。そうか、八景島の時も、か。
「だから、か……」
目の前が真っ暗になりそうで、少しフラフラしてきたような気もする。
「で、だぁ。ボウズよぉ、オレ様がオメェに聞きてぇ事ぁタダ一つだぁな」
オッサンが真顔で俺に聞いてくる。何をだよって返す前に、続きが来たんだ。
「オメェは、一体どうしたいんでぇ。ボウズよぉ」
「どう、したいって……」
「嘘つかれてた女相手に、だぁな」
確かに栄美さんは、ずっと俺にウソをついていたんだろう。でも、これまでの全てがウソだったなんて、俺は思いたくない。
「もう一度、会いたい。会って本当の事を、本人から聞きたい」
俺も真っ直ぐオッサンの目を見て、そう答える。けっこう即座に応えられた、これは紛れもない俺の本音だ。
「更にツレぇ地獄に落っこちるかも知れねぇ。それでもか、ボウズよぉ」
無言で、俺は首を縦に振る。オッサンがニヤって感じで笑った。
「てぇ事だからよぉ、後は任せたぜぇ。ガス人間8号さんよぉ」
「ここまで掻き回して、後は丸投げですか。責任感の欠片も有りませんね」
肩をすくめながら銀八さんが首を横に振る。
「疲労感満載ですね。とりあえず、琢磨くんは私が送って行きます。また夜明けですか、ご母堂様にどう言い訳しましょうかね」
「オメェの十八番だろうがよぉ、銀八ぃ」
「好き勝手言わないでください」
そう言いつつ、銀八さんは夏物ジャケットを俺の裸の上半身にかけてくれた。
「君の本心は、先ほど聞いた通りで良いのですね?」
異世界の俺が重ねて聞いてくる。もう一度、俺は無言で頷く。
「その思いを貫いてください。それがきっと彼女の為でも有るはずです」
「え?」
お姉さん、いやいや栄美さんの?
「段階、踏ませろやぁ銀八よぉ。すっ飛ばしたら転げ落ちるかも知んねぇぜぇ」
「はいはい、彼女持ちのお言葉には従いますよ。では行きましょうか、琢磨くん」
そして俺は自宅に戻ってきた。
テロ騒ぎは深夜の事だったから、母さんの耳には入ってなかった。ちょいハメを外して徹夜ツアーになったで丸く収まる。
悔しいほど信用あるんだな、ガス人間8号さん。
「銀八っあん……」
「ここから先は君自身の問題です、他の誰も変わってあげる事は出来ません」
判ってる。確かに、これは俺自身の問題なんだって。
「もう一度言います。君自身の思いを貫いてください」
そう言って銀八さんは帰っていった。
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それから数時間後、俺は今、自室の机に栄美さんが残していったパンプスを置いて天井を見上げてる。
「せめて電話が繋がれば……」
電話、メール、全て繋がらないんだ。
自宅なんて知らないし、会う手段が無い。
「どうすれば……」
二度目の情けない声が出た。頭を抱えたまま夜は更けていったんだ。
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