赤い絆と緑の襷 第13話 幕間その3
幕間はサイドストーリー。
主人公の行動とほぼ同じ時間に、別の場所で別の登場人物達が織り成す物語。あるいは同じストーリーを別の人物の視点から描いた物語。それは主人公が紡ぎ出す本編へとつながって行く支流のような展開。
その為、外伝と同じく通常とは違う三人称形式となります。ご了承ください。
少年、1500番宇宙の時保琢磨が一つの決意を胸に今、陸上自衛隊駐屯地跡の廃墟を走り去った。
時は、この日の黄昏より丸二日、遡る。
凍てつく空の下、吹雪が吹き荒れる中、豪邸の門を押し開いて、その屋敷の主が戻ってきた。
「少々、遅くなった。済まぬ」
出迎えるメイド達にコートを手渡しながら、主は悪びれる様子も無く、そう口にする。
広いエントランスホールで自分の帰りを待っていたのであろう、中年のダンディーな紳士に向かって。
「紅亜の手術が無事終わるまで、姫様は戻られぬと思っておりました故、お気になさらず」
相手の返事に、何故か浮かない顔になって姫様と呼ばれた主は言葉を紡いだ。
「うむ。無事成功した。依頼主に死なれては元も子も無いでな」
「姫様……」
「判っておる。悪態を吐くな、そう言いたいのであろう? ザボール」
ロシア語で塀や壁を意味する言葉で呼ばれた紳士は、穏やかに首を振る。
「そのような憎まれ口を叩かねばならぬほど、殿下にお会いになるのがお嫌ですか?」
「そうでは無い!」
姫と呼ばれたうら若き女性は即座に否定した。が、続く言葉は裏腹ではあった。
「そうでは、無いが……姉上にお会いするのが今は気が重いのは事実、かも知れぬ」
「そう、お察し致しました故、報告は済ませておきました」
「流石、我がジレーザ第2席ボリス・ザギトワ。感謝の極みじゃな」
輝く笑みを取り戻し、姫様と呼ばれた女性は足早に歩き出す。
「お戯れを。作戦行動中で御座います、今はザボールで……」
「そうか? ふむ、自ら決めた事。確かにそうで有るな」
姫君は軽く顎に手をやり、そう独り言ちた。そして何かに気付いたように、慌て気味に付け加える。
「決して、甘えておる訳では無いぞ」
「承知して居ります」
穏やかな応えが紳士から返った。
「それよりも、1962番宇宙の事情を入手して参った、とき……いや、ビューレットめを探し出すに必要な情報も有ろうよ」
姫君は話題を変えたいらしい。
「では、まずは情報課へ?」
「情報課へは出向く、ブゥディーリニクを参加させる故」
「リュドミラを……いや第12席を、で御座いますか?」
「此度は情報戦になろう。監禁場所が判ったとて敵の構えを知らねば攻め込めぬ」
御意。とだけ第2席は答えた。その上で今一度、情報課への優先度を問う。
「いや、姉上に会うのが先決、であろうな」
姫君の言葉は感情を込めてはいなかったが、再び、彼女の顔が曇るのをダンディー紳士は見逃さなかった。
「姉上には常に、最上の報告だけを届けたい。が、此度は、そうは行かぬ。タダ働きと申すのであろう、このような案件を」
並んで歩く紳士に、この屋敷の主は語りかける。残念ながら、とだけボリス・ザギトワは答えた。
「外貨獲得ならねば、首都の為にならぬ。スタリーチナヤの二つ名が泣くな、これでは」
「姫様、そのような」
「戯言じゃ。それより、あの者はどうして居る? 姉上に会わせねばならぬしな」
思い出した事を、彼女は尋ねる。紳士の反応は思いの外、やれやれといった感じだった。
「姫様のお言いつけ通り、傷の手当ては滞り無く。その後、屋敷内全て案内致し、御希望の部屋をご用意致しました」
「それで?」
相手の醸し出す雰囲気を読み取り、姫君は先を促す。
「脱走を図る事、3回。失敗に終わりましたが。逃げられぬと判ると自らを監禁するようにと申し出まして」
「なるほど。それでは、ここを使わせるしか無いな」
頷きながら、彼女はこの屋敷内でも相当小さい部屋の前に立ち止まり、ドアを開けた。
1500番宇宙で言う1LDK位の広さの部屋に、シングルサイズのベッドが。その上に女性が寝そべっている。
「はて、傷は癒えておらぬのか? 脱走を図ったと聞いたが」
ベッドに向かって声を掛けながら、スタリーチナヤと自らの二つ名を口にした女性は、部屋の反対側にあるモニターに近付く。
当然、ベッドから視線が外れた。
「姫様!」
部屋の前で待っていた紳士が警告を叫ぶ。
振り向いた彼女の視線の先に、よく手入れされた足爪が見えた。
姫と呼ばれた女性は僅かに後ろに下がる。その目の前を、異世界のテロリストの顎を砕いた必殺の蹴りが通り過ぎていった。
同時に、部屋中に響き渡るほど大きな舌打ちが聞こえた。
「ふむ、全快であったか」
「外した。でも捕まえた、これが正体か」
スタリーチナヤの笑いを含んだセリフと正反対の、感情を一切排除した声の主は右手を相手の顔の前に突き出す。
「ここまで細いと嫌味だわ、あんたの髪の毛」
ベッドから跳ね飛んで豪快な回し蹴りを披露した女性は、姫君に向かってそう言う。
確かに見えないほどに細い、一本の金髪を彼女は握り締めていた。その毛先が先程から変化し続けている。
「髪の毛の先が回転式カッター? これじゃ気付かないわ、やられるまで」
その言葉通り、毛先が小さなヨーヨーの如く丸く膨れ上がって、いきなり風車にも見える数倍の大きさの八本の刃が突き出し、音を立てて回転した。
「手をお離し下さい、お客人」
そう穏やかに告げるダンディー紳士を無視して、お客人と呼ばれた女性は感情を排した声で言う。
「ここから出しなさい、私を。そして帰して、私の世界に」
「そなた、運が良かったな。クレアの手術が失敗しておったなら今頃、その右腕は挽き肉になっておったぞ」
何を、と言いかけて女性はスタリーチナヤの髪を手離した。
「それで良い。髪を引っ張られて喜ぶ女性は居らぬからな。それは、そなたも同じであろう? 光井栄美」
「相手によりけり」
瞬間、楽しげに目を細めた姫君に対し、光井栄美と呼ばれた女性は自らの失言に気付き瞳から感情を失う。
「お二方、そこまでに。姫様、おそらく殿下がお待ちです」
二人の間の剣呑な空気を察して、ダンディー紳士が割って入った。肩をすくめて姫君は服を脱ぎながら、部屋の奥へと向かう。
「ちょっと、ここでストリップ?」
相手の意外な行動に、栄美の声に感情が戻った。
ふっ、と鼻で笑って姫君は、シャワー室の扉に手をかける。
「湯浴みの時間が無い故、ここで済ます」
「独房でシャワー浴びなくても、いいんじゃないの?」
取り戻した感情を込めて呆れたように言う栄美に対し、この豪邸の主は当然、という顔をした。
「自室でシャワーを使って何が悪い」
「はぁ? じ、自室? こんな狭い部屋が」
「狭くて悪かったな」
「事実で御座います。他に比べて、で」
主の裸を見ぬ為か、後ろを向いた紳士が答える。ここは姫様の執務室であると。
自分の下宿と同程度だと、光井栄美は思ったが、それ以上は口に出さなかった。
数分で出てきた姫君は、壁に隠れていたクローゼットから質素な部屋着を取り出して、その身に纏う。
「さて。今から我が主への報告を行う故、そなたにも同席してもらう。そこの椅子を使うが良い」
「お断り。さっきも言ったけど、さっさと私を帰して」
「そなたの父君の了承は得ておるぞ、自由石工同盟の長のな」
あのクソ義父。そう呟くのを耳にし、姫君は頷きながら告げた。
「やはり、そなたの親も義父か」
「な、なんで……」
「今そう呟いたであろうが」
あの一言の僅かな口調で気付いた?
目の前の姫君に対して1500番宇宙のトップエージェントは初めて興味を抱く。それに対し、相手は笑いながら言った。
「馬鹿者。あの白き鱗の持ち主が、1500番宇宙の住人の実子で有る訳が無かろう」
あぁ、そうだった。見られていたのだと、栄美は敗北の記憶と共に思い出した。
「されど、あれは暴言では無いか?」
「クソ義父以外に言いようが無いけど? あんたは違うのかしら」
ふっ、と再び鼻で笑って姫君は言う。
「私にとって義父は、そうじゃな……砂漠のオアシス、だったか。どちらもこの世界には存在せぬが」
「何それ」
「救い、癒し。ただただ、全てを忘れて甘えられる存在、じゃな。流石に、この年になるとそうも行かぬが」
「姫様、もうそちらを向いても宜しいでしょうか?」
夢見る子供のような表情で語った相手を、奇妙な生き物を見るような目で見ていた栄美は、どこか困ったようなダンディー紳士の声で我に帰った。
「妾の側に、ザボール」
呼ばれて、紳士が姫君の傍らに立つ。電源の入ったモニターを前に三人は、画面が切り替わるのを待つ。
「主ねぇ……」
どんな輩なんだか。頬杖をついて栄美は小さな溜め息を付いた。同時に真っ黒だった画面に光が灯る。
現れたのは、スタリーチナヤと名乗った姫君によく似た女性だった。
「ユリア! 今まで連絡も無しに。どこへ行っていたの!」
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