赤い絆と緑の襷 第12話
ターシャ? オホートニチヤじゃなくて?
姫君様は立ち尽くしたまま、そう叫んだ。同時に額から伸びた黒い綱状の物が、激しく動き始める。
「私が……私が、やったのだな……私が!」
絶叫と共に黒い綱が鞭のように唸りを上げて、姫君様の周囲の大地を次々に打ち据えた。
地面が抉れ、土くれが舞い飛ぶ。
さっき以上にヤバイかも、一撃でミンチにされそう。怒りに我を忘れてる?
そんな凶器が跳ね回る中、命の危険を省みる事無くダンディー紳士が、スタリーチナヤ様をガバって効果音が入りそうな勢いで抱き締めたんだ。
「姫様、落ち着かれませ」
穏やかな声で、第2席さんは告げる。
「姫様なら聞こえましょう? 如何に弱々しくともナターシャの呼吸音が」
ダンディー紳士の言葉に、危険レベルで蠢いていた姫君様の額から生えた黒い二本の鞭が、ピタリと動きを止めた。
「姫様……申し訳、御座いません」
「ターシャ!」
それを待っていたかのように、社長秘書風美女が口を開く。
「まずは私が」
抱き締めていた姫君様から離れ、ボリス・ザギトワって呼ばれる紳士は足早に倒れたままの第8席さんに駆け寄った。
「両腕は粉砕骨折。咄嗟に衝撃から心臓を守ったのでしょう。おそらくは肋骨も……肺を傷付けておらねば良いのですが」
ダンディー紳士のセリフに、また黒い鞭が立ち上がりかける。でも、ターシャとかナターシャとか呼ばれた女性の声が、姫君様を呼んだ。
「姫様。これしきの、事で私、死んだり、致しませぬ」
「当たり前だ! お前を失ったら私は、私は……」
「必ずや、すぐに……治って、みせます故、どうか、お心を……」
そこまで言って、ゴフッって感じで第8席さんの口から真っ赤な血が。そして気を失う。
「いかん、やはり肺を」
第2席さんの言葉に姫君様は、社長秘書風美女の元に駆け寄った。
「ターシャ、私を一人にするな!」
ダンディー紳士を押し退け、気を失ったターシャと呼ぶようになった女性の頭を胸に抱いて、姫君様は叫ぶ。
「我が盟友、いや、友などでは無い。お前は私の半分なのだから! だから!」
慟哭って言葉を初めて知ったのは何時だったろう。でも、それが本当はどんな物なのか今日までよく知らなかった。
スタリーチナヤ様の今が、きっとそれなんだ。俺は、そう思う。
「死ぬな……絶対に」
そんな姫君様の、今まで見た事の無い取り乱した姿に圧倒されてた俺の耳に、ダンディー紳士の静かな呟きが。
「了解した。有難う」
あのゴツいマシーン感満載のフェイスマスクのまま、通信を切ったって感じで第2席さんは姫君様と向き合う。
「リュドミラが、医療機関を手配してくれたようです。アライアンス絡みの病院なれば姫様、どうか御安心を」
「誠か」
「まもなく到着のはず」
無言で頷くスタリーチナヤ様の向こうで、小学生くんが第12席がって呟くのが判った。さっきの名前は、その人らしい。
そうこうしてる内に、救急車の音が遠くから響いてきた。って所で、初めて俺はヘタリこんだままの優男さんに気付く。
「あ、忘れてた、ごめん」
ジレーザ登場から後、あまりの急展開に完全に置き去りにしてたけど、金営さんはピンモヒに銃で撃たれていたんだ。
「大丈夫っすよ、サンたく君。僕なら」
そう言って立ち上がろうとする自称魔術師さんに、ダンディー紳士が肩を貸してくれた。
「では、無かろう」
ホントに穏やかな声なんだよね、ボリス・ザギトワって姫君様が呼んだこの人。でも言った内容は怖いものだった。
「素粒子化の効力で自己応急処置が出来るとしても、自力で移動しようとすれば、あるいは今、集中力が切れたら大量出血となるのでは無いのかね?」
はぁ。と金営さんが溜め息を付く。
「ジレーザ第2席ともなれば我々、1962番宇宙の者の特性は既に御存知ですか」
「幸い、あの車になら君も乗れる。ここは無理をせぬ事だ」
「しかし班長の……上司の、救出の為には僕の情報が……」
食い下がる自称魔術師さんに、鞭のような姫君様のお言葉が飛んだ。
「それは我らが請け負いし事。後は任せよ」
流石にジレーザの主様に、そう言われたら金営さんも引き下がるしか無いみたい。姫君様は情報のみ譲れと付け加えた。
優男さんはダンディー紳士に助けられて、救急書に乗り込む。それから俺の方を向いて、こう言ったんだ。
「サンたく君、強いっすよ。君」
いやいや、俺なんて。一応、体育会系だからね、体張るけど。ビューレットさんの何十分の一なんだろう、駆け出しカンフーマン。そう笑うと金営さんは首を振った。
「君の強さは精神面っす、肉体系じゃないっすよ。前から思ってたっすけど」
俺の左手の赤い糸を指さしながら、自称魔術師さんは続ける。
「あの状況下で、それの支配を受けながら君、あの酸っぱい姉さんの前で両手広げて盾になったっす。姫君様に文字通り楯突いた、そうそう誰にでも出来る事では無いっす」
そ、そうかな。精神力なんて考えた事も無かったよ、俺。
「話変わるっすが、もう遅いし早く帰った方が良いっす。ご家族の方が心配してるっすよ、絶対」
班長の事、頼むっす。そう言って金営さんは救急車のシートにヘタリ込んだんだ。
夕闇が迫る中、俺は自分の手を見る。この赤い糸の支配を受けてた? 確かに姫君様が何か言う度に俺は……
一方、俺達の向こうではその姫君様が、気を失ったままの第8席さんと付き添いに選ばれた小学生くんを見送っていた。
「キンジャール……いや、ルスラン・イグナトコフ。許せ」
え? 小学生くんも名前、違ってたのか?
「勿体無きお言葉!」
姫君様のセリフに一瞬、目を点にして対応が遅れた後、彼は顔どころか首まで真っ赤にして平伏したんだ。
そうか、そうなんだ。倒れた第8席さんの横で泣いてたのは。今、顔真っ赤にしたのは。
俺も大事な人が大変な目に会ったら、同じような反応するかも。
「故に、ターシャを託す。あとは頼んだぞ」
御意! そう叫ぶ小学生くんも乗せて救急車が走り出す。
その車の横に書かれた病院の名前を見て、俺は驚いてしまった。
そこには俺が以前お世話になった、そして老師が入院してる、何時間か前にあとにして来た病院の名が有ったんだ。
「そんな、あの外資系病院が?」
「小僧、何を呆けておるか」
呆然と走り去る救急車を見送っていた俺は、苛立った感じの姫君様から呼び掛けに慌てて振り向く。
薄暗くなった廃墟に立つ姫君様は、やっぱり美しい。でも、その額の両側から長く伸びる二本の角は何だ?
角と言うより触角?
さっきよりも細くなった黒い触角、良く見ると何箇所か節があって先に行くほど細くなってる。
「まるで……」
遠い昔ガキンチョの頃、夏休みに行った昆虫展で見たアレ。カブト虫やクワガタよりもスリムでカッコよかった、頭から二本の触覚がスラリと伸びていたアレ。
まるでカミキリ虫みたいに、俺には見えたんだ。
「何を見ておる……怖いか? 醜いか? 正直に言え! 小僧」
「あ、いえ、カッコイイです」
苛立ったって感じの姫君様の声に対し、ホント間髪を入れずに答えられた。ウソなんて言ってないからな、俺。
瞬間、ポカンと、あの姫君様が俺の顔を見てる。初めてだね、こんなお顔を見たのは。
その後、スタリーチナヤ様は大爆笑したんだ、数秒間。
「面白いな、そちも。まぁ良い、僅かだが気が晴れた。それに免じて、その糸から開放してやろう」
ジレーザの主様が言うなり、第2席さんが俺の左手薬指からあの赤い糸を取り去ってくれた。
自分じゃ、どうしても取れなかったのに。いとも簡単に。
「さて。糸の影響無き今、そちに問う。何故、蛙女めの為、盾に成ろうとしたか」
帰る女……カエルオンナ? あ、ティンはんの事か。
姫君様の問いは刃物を突きつけられてるみたいだったけど、俺は思うところを聞き返す。
「あの、ティンはんの事は……」
「もはや許さぬ。そちが生み出せし最後の機会を自ら投げ捨ておった。追い詰め我らが秘宝を取り返した後には……」
そこで言葉を切らないで欲しい、トンでもなく怖い映像しか浮かんでこない。
そう思ったら俺は今一度、姫君様の前で土下座していた。
「もう一度チャンスを下さい。今度こそ、俺が何が何でも卵を返させます」
「時保琢磨が、自らの命にかけて、とでも言うか? 小僧」
う、先に言われたら言葉が続かない。どうしよう、他のセリフ考えてなかった。
そんな感じで口ごもる俺に、姫君様は口調を和らげて言う。
「まこと己自身の意思で、それを望むか?」
「勿論です!」
「先ほどの、赤い絆とやら言う糸の影響では無いのか?」
それは……いやいや、そんな事は無いよ、絶対に。
「何時ぞやの八景島で、ビューレットめを助けよと申しておったな。あれとてクレアによる洗脳では無かったのか?」
「いえ……そんな事は……」
「はて? いかにも自信無さげよの、小僧」
そんな事は、無い。俺は自分自身に確かめて、その思いを強くする。ハッキリ言わなきゃ、姫君様に。
でも、俺が言う前に姫君様は結論を出してしまったんだ。
「子供は親の元に帰るが良い。そして全て忘れよ。あとは我らが依頼を遂行する」
廃墟の外を指さすスタリーチナヤ様に一言も言い返せず、俺は一礼して背を向ける。走り出しながら鞄からケータイを取り出した。
一つの覚悟を決めて。
「もしもし。あ、銀八っあん? 相談……いや、お願いが有るんだけど」
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