赤い絆と緑の襷 第7話
「はぁ……」
我ながら情けない溜め息が出た。
「さてさて、何時にも増して覇気が無いのぉ、お若いの」
「おっしゃいますけどね、老師」
「まぁだ老師と呼んでもらう訳には、いかんがの」
「えー。もう1週間経つんですから、イイじゃないですか」
かつて異世界からのテロリストの逆恨みでボコられた時に検査に来た病院、その中庭で俺は今、功夫の練習中。
「そうじゃの。修行始めて、まぁだ一週間ほどじゃでの」
あの時に知り合った、長期入院中の小柄なお爺さんが俺の師匠、いや老師って呼ばないと感じ出ないな。
でも許しが出ないんだよね、未だ。
「この前は、さっさと帰ってしもうたしの」
いや、まぁ。スポーツチャンバラの稽古の日は早めに終わりますけど。それ以外は3時間くらい頑張ってますよ、俺。
「それにしても今日は、特に情けないのぉ、何か有ったかの? お若いの」
う、初めて会った時も、そうだったけど。やたら勘が鋭いような気もする。
「いやいや、これだけ何度も溜め息をつかれてはの。気付かん方が不思議じゃて」
そう言うと我が老師は決まり文句を俺に向けてきたんだ、言うてみ? って。
日曜日のデートが一転、修羅場になった事件から全くお姉さん、光井栄美さんと連絡が取れない。
何度も電話してもメールも、全く返事が返ってこない。って言うか、まるで全く届いてないみたいな感じだった。
「ほうか、返事無しかの。これは凹むのぉ、お若いの」
「はぁ、そうなんです」
「左手の薬指に、赤い糸なんぞ巻き付けて。そこまで誓い合うた仲の女子にのぉ」
いやいや、老師、これは違うんですよ。
あの日、クレアさんに結ばれた特殊な糸は、どうしても解けない。そう目立つ物でも無いけど、気付く人は気付くんだね。
「浮気現場に乗り込まれてはの、言い訳もできんのぉ。これは困ったの」
いやいや、浮気してないし、俺。
とは言え、事件の全貌を語る事はできないし、言っても信じてもらえる訳が無い。だから自然と判りやすい部分だけを繋いでって事になる。
とことん情けない話にしかならないけど。
「こんな時は全て忘れての、修行に打ち込む事じゃて」
それが出来れば苦労は無いんだけどね、って言葉には出来んよね。老師相手に。
「せめて技くらい教えてくださいよ」
「ん? 毎日教えておるよ、お若いの」
え?
いやいやジョッキー陳の映画みたいに同じ姿勢で何時間も、は無いけど。
「踊りみたいな動きの連続じゃないですか」
まぁジョッキーの映画でも、オカマみたいな動きを練習するシーンが有ったけど。
「なんと! 功夫ファンとか言うておったに。套路を知らぬとはの」
「とうろ……って何ですか?」
「今、お前さんがやっておる練習法。連続した技の流れの事じゃよ、お若いの」
これが、技?
「まぁ、套路だけでは技にはならんかの」
そう言いつつ、老師は今さっき俺がやった動きを再現する。
うぅ、全然違うし。美しいとさえ言える老師の型に見とれてしまう。
「まぁ、お前さんは筋が良い方じゃとは思うがの。覚えは早いし型は正確じゃからの」
えー、初めてマトモに褒められたような気が。ちょい嬉しい。
そんな事を思ってると、また違う型を披露してくれた。
「これは判るかの?」
「えっと、最初から数えて5番目の動き、ですよね? 老師」
「技の名前くらい、覚えといて欲しいのぉ、お若いの」
う、そう言えば……最初に聞いたような気もするけど。
「今の若いもんはマニュアル世代じゃで、口伝では頭に残らんかの。まぁ良いて。まずはワシに一撃入れてみ、お若いの」
そ、そんな恐れ多い。今の動き見たら益々そんな事って。
「ならば、ゆっくり右手を突き出してみ」
それなら、と右手を前に出した途端、老師の右手が蛇が巻き付くように絡んできて、俺の右腕は左斜め外側へと押し出される。
と、同時に引き込まれるように、俺の体は重心をずらされて前につんのめった
「え? あ、あれ?」
気が付けば、老師の左手が手刀の形になって俺の右脇腹に。そのまま喰らってたら肋骨まとめて骨折だよ、いつの間に?
「踊りにしか見えん型でも、使い方次第じゃろ? お若いの」
イタズラ小僧みたいな笑い方で老師は俺に、そう言った。
「参りました」
そう言えば、ジョッキー陳が主役じゃなく老師役で出たハリウッド映画、こんな感じで解説するシーン有った、って今、思い出したよ。
「まだまだ。折角じゃし、応用編も見てお行きなされ」
そう言いつつ手刀を引き戻し、老師は肘を曲げながらまた脇腹に。
「相手との距離が近うなってはの、威力半減じゃて。その時は肘で打つ」
更に肘を下げつつ、今度は肩で肋骨を押してくる。
「近過ぎては肘も使えんでの、そうなれば肩から体当たりじゃて。判るかの?」
要は臨機応変じゃて。老師は、そう言って俺から離れた。目からウロコが落ちたね、その瞬間。
「生兵法は怪我の元、この国には良い言葉が有るでの。お若いのは、まだまだ套路を覚えるのが先じゃの」
「はぁ、そうですよね」
「お? 素直になったの」
いやいや、今の見たら、教えられたら、そうなりますって、老師。
「ただの、何時ぞやのように、命に関わるような事態になった時は、迷わず今のを使うんじゃよ。良いな、お若いの」
最後に真顔でそう言うと、本日はこれまで。って老師は俺に手を振る。
「えぇ~。そう言わずに、折角ですから、もっと教えてください。老師」
「夕食の時間じゃでの。病院の味気ない物でも腹の足しにはなるて」
またイタズラ小僧みたいに笑って老師は、こう続けた。
「次来るまでに、マニュアル本を作っておくで、楽しみにしてなされ。お若いの」
「はぁ、判りました。それを楽しみに、また来ます。ありがとうございました」
うんうんと頷きながら手を振る老師に、ペコリって感じで深い礼をして、俺は病院を後にした。
「いいモン教えてもらったなぁ。次が楽しみだ」
そう呟きつつ俺は、家路を急ぐ。
テニスクラブのコートを横目に、まだまだ夕暮れとは言えない町並みを進むと、小さな児童公園が見えてきた。
確か、ここって昔は溜池だったはずなんだよね。そんな所にできた公園。
あれ?
「危ない足取りだな、こんな時間で酔っぱらいが出るのかよ、この辺でも」
せいぜい滑り台とブランコくらいしか無い、その児童公園からフラフラと出てくる男に俺は、そんな感想を口にする。
「あぁ、もう。倒れそうだろ」
いや、見てる前で倒れたよ。仕方なく俺は駆け寄って、初めて気付いた。
「血だらけじゃないか……」
あちこち傷だらけ。更に殴られたらしい青あざだらけ。だから直ぐには気付けなかった。
「え? まさか……」
「サン、たく君、お久……す」
「金営さん!」
ついこの間、八景島シーパラダイスで別れた異世界人、1962宇宙の知り合いが今、血まみれで倒れていたんだ。
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