赤い絆と緑の襷 第6話 幕間その2
幕間はサイドストーリー。
主人公の行動とほぼ同じ時間に、別の場所で別の登場人物達が織り成す物語。あるいは同じストーリーを別の人物の視点から描いた物語。それは主人公が紡ぎ出す本編へとつながって行く支流のような展開。
その為、外伝と同じく通常とは違う三人称形式となります。ご了承ください。
シーパラダイスの裏手で、バイクと共に旧友であり姉妹弟子であるアラサー女性が、光井栄美を待っていた。
「お栄! 見てたわよ。貴女それでもエージェントなの?」
「今は、どうでもいい!」
ほとんど絶叫に近かった。そんな自分が不思議でならない。相手も同じ気持ちで有るようだった。
彼女にヘルメットを渡すと、自分も同じく被る。
「何のつもりだ、お今日」
「一人で行かせられる訳無いでしょ、国際問題を起こしかねないわ、今の貴女」
バイクに跨った1500番宇宙のトップエージェントの後ろに、アラサー女性はしがみついた。
「振り落とすぞ」
「やれるもんなら、やってみなさい」
「勝手にしろ!」
叫ぶ旧友の声にまだ感情が有る事に安堵しつつ、月紫今日子は苦手な二輪車の風切る感覚に目を固く閉じた。
「追ってくる者がおります、姫様」
「ほう」
高級車のハンドルを握る部下の言葉に、ジレーザの主は興味を示した。
「オートバイと呼ばれる、この1500番宇宙の二輪車が一台」
「迎撃、致しましょうか?」
「第8席は過激ですねぇ」
「黙れ、刃の眷属如きが」
ムッとした小学生高学年風の顔を睨み、第8席と呼ばれた秘書風タイトスカートの女性は立ち上がりかける。
「放っておけ。それよりも」
主のセリフに女性は所在なく座り直した。
「僧会が直接、この1500番宇宙にピンポイントで渡航できるとは思えません」
姫様と呼ばれたジレーザの主は再び、ドライバーである中年紳士と会話し始める。
「そう思うか、ならば」
「ええ。姫様の御推察通りでしょう。大使館は、すでに僧会に占拠されているはずです」
「姫様、それでは」
第8席が再び立ち上がりかけるのを気にするでも無く、彼女の主はドレスの袖に指を走らせつつドライバーに告げた。
「ここへ向かえ、ザボール」
「承知致しました」
穏やかに頷いて、ロシア語で塀やフェンスを意味する言葉で呼ばれた中年紳士は、主から送られた座標へとハンドルを切った。
「着きました、姫様」
しばしリムジンの中で微睡んでいたジレーザの主は、部下の声で目覚めた。
「クレア、と、その従者。もう襷を外して良い、ここまでは追っては来れまい。そなたらの世界の哨戒機とやらでも」
空いた席に声を掛け、自身はゆっくりと伸びをする。
「姫様……」
誰も居なかった空間に突如、まだ幼い少女と優男が姿を現した。
「窮屈であったであろう?」
そう言いつつ、この1500話宇宙の高校生にスタリーチナヤと呼ばれた、異世界の姫君は自ら車のドアを開ける。
「ここは?」
「あれ? ファーストドアもどきの秘密基地じゃ無いですか? あれ」
第8席の問いに、小学生男子が更に疑問符を重ねた。
名目上は都の区民農園となっているそこは、光井栄美が所属する団体の、文字通り秘密基地だった。
「用が有るのは此方じゃ」
先頭に立って姫君は、西側を東京外環自動車道が走り農園のすぐ横に有る、山と名の付く小高い丘の公園への階段を登り始める。
「妾がこの1500番宇宙に、最初に渡りたる記念すべき場所である」
「渡航用マーキングが施されておりますね」
第8席と呼ばれる社長秘書風女性が、主の言葉を受け、一帯を見渡して言った。
「ここを使って、お忍びでこの世界にいらしていた訳ですか。足取りが掴めぬのも道理」
嘆息と共に、ザボールと呼ばれた紳士が漏らす。それに対して主の態度は陽気と言って良かった。
「そなたらにも教えた故、問題は無かろう? ここは我らジレーザ固有のものとする」
「今お決めになりましたね? 姫様」
首を横に振りつつ、ボリス・ザギトワは尋ねる。が、彼の問いに答えは返らなかった。
「来たか。意外に早かったな」
ジレーザ一行が登ってきた階段を、駆け上がってくる足音を耳にして、彼女はドレスの裾を翻しつつ向きを変える。
登ってきた二人の女性を迎え撃つが如く。
八景島シーパラダイスのバイト衣装のまま追ってきた光井栄美が、姫君と再び向き合う形となった。
「金営! 貴方、何をしてるの!」
しかし第一声を発したのは、栄美と共にバイクで横浜から追跡してきたもう一人の女性。
「鞠亜ちゃん、貴女まで……」
そう言いかけて、アラサー女性の目が少女の唇の動きを読んだ。先輩と。
「お前! 花邑、か?」
問いかけられて少女の頭が垂れる。そこに追い討ちの叫びが重なった。
「そんな外法に手を出して! 班長に顔向けできるの! 再手術の限界まで72時間しか猶予無いのよ?」
その単語を耳にして、栄美と睨み合う形になっていた姫君の視線が動く。
「クレア。あと何時間、有るのか?」
「12時間を、切りました……」
ジレーザの主の問いに少女は力無く答える。
「時が惜しい、手早く済ませるとしよう」
そう口にすると彼女は、再び目の前の女性に視線を戻した。
「ここまで追ってきたからには、此度こそ言いたい事を述べるが良い」
「なぜ、あの子を巻き込んだ。答えろ、ストリチナヤ」
「無礼な! どなたに向かって、そのような口の利きようを……」
第8席の激昂を、片手を挙げるだけで沈めて姫君は薄く笑う。
「巻き込んでなどおらぬ。あれは小僧が首を突っ込んできた、それが正しかろう?」
「関わらせる必要は無かったはず。乱闘に巻き込んだ事は事実」
感情の欠落した栄美の声に、アラサー女性が振り向く。
「お栄! 馬鹿な真似は止めなさい」
「邪魔をするでない、1962番宇宙の眼鏡女」
冷たい視線で一喝すると、彼女は再び笑いながら言った。
「逃げる事も無く、妾に付き従いおったぞ、あの小僧。おぉ、そうじゃ。あの子、で有ったな」
あの子。そうストリチナヤが口にした途端、栄美の瞳から完全に感情が欠落する。
「貴様」
それだけ呟くと同時に、彼女の足元から壮絶な地響きが鳴った。
「震脚? お栄、貴女!」
姉妹弟子の叫びと共に、1500番宇宙の最強エージェントは姫君に向かって拳を打ち出していた。
「姫様!」
三人の部下達の絶叫を聞きながら、しかし動じる事無く優雅にさえ見える動きで、姫君は一歩、後ろに下がる。
栄美の拳はジレーザの主に届く事無く、斜め下へと流れていった。
「お栄!」
アラサー女性、月紫今日子の声が、虚しく倒れていく姉弟子の上を通り過ぎる。
辛うじて受身を取り、顔面から突っ伏す事だけは避けた栄美に、ストリチナヤは和やかに告げた。
「数秒であろうと妾を本気にさせた事、褒めてとらす」
そんな自身への評価に顔を上げ、姫君を見上げる栄美の瞳には、未だ感情が欠落している。それがアラサー女性を不安にさせた。
「馬鹿な真似はよして、お栄!」
「やはり面白いな、そなた」
対照的に、笑いながらジレーザの主は言う。
「姫様。如何にと言えどこれは、やり過ぎです」
倒れ伏した最強エージェントを看て取り、ボリス・ザギトワが苦言を呈した。
「アキレス腱が完全に切れております、これでは……」
「先ほど申したであろう? 本気にさせたと。手加減無用で有ったぞ。しかも出血を防ぐその白き鱗。まこと面白い」
子供の様に笑う姫君に、ダンディーな面立ちを曇らせつつ、第2席は尚も言葉を発しようとする。
だが、主の決定の方が早かった。
「気が変わった。オホートニチヤ、キンジャール。そこな眼鏡女にクレアの依頼を説明せよ」
命じながら、姫君は光井栄美の顎を掴む。同時にエージェントの体が宙に浮いた。
「ザボールは妾と共に。クレア、従者と共に此方へ。妾自ら国元に送り届けようぞ、時が迫っておる故な」
ストリチナヤの言葉を聞いて、1962番宇宙の二人が近付いて来る。その途中で優男が手にしていた襷を第2席に返した。
「お返し致します、ありがとうございました。ただ、ここでお別れです」
「金営君?」
「姐さん、班長の囚われ場所は、必ず見つけるっす。安心して再手術を受けてくださいっすよ」
そう言うなり自称魔術師は丘を駆け下りて行った。後を追おうとした少女を姫君が止める。行かせてやれと。
「あの者の願い、聞き入れてやるが良い。まずは自身の事じゃ」
頷くクレアから栄美に視線を移し、姫君は告げた。
「そなたも来い。妾の国元を見せてやろう」
ジレーザの主のセリフと共に、微かな重力震が丘に広がる。消え去る前に、彼女はこう付け加えた。
「二人で大使館の掃除をして参れ。僧会の者どもを残すでないぞ」
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