Kaleidoscope、枯れ井戸(かれいど)すこ~~プッ! 第3話
土曜日。ついに来た、やっと来た。待ちに待った土曜日。
地下鉄千代田線、乃木坂駅の美術館側の改札を出た所で、俺は立っていた。
初デート、なんだけど……鹿の子ポロにGパン、こんな衣装で大丈夫なんでしょうか? 俺。
時計を見つめてはウロウロと、俗に言う動物園の熊状態。午後2時までには、まだ20分も有るんだけどね。
こちら側の出口は美術館直結って、ネットで調べた。栄美さんは必ずここに来る、はずだよね?
「場所、キチンと聞き返せば良かったかな」
ちょい後悔。でも大丈夫、きっと来てくれる、はず。
「流石に早過ぎたか……」
「遅刻するより、大いに結構って所かな」
改札口を覗き込んでいた俺の後ろから、あの凛とした爽やかな声が聞こえた。
当然、驚いて俺は前に跳ね飛びながら、後ろを振り向く。
「かなり身体能力高いのね。にしても結構、面白かったけど、今の」
いや、びっくりしたら今くらい飛ぶでしょ? そう言ったらまた、可愛く笑われた。
その笑顔に、この爽やかな季節に、今日の栄美さんの服は似合ってる、と~っても。
この前の、ピタっとしたリクルートスーツと正反対の、ロングなんだけどフワフワした、やたら膨らみの多いワンピース。全然、体の輪郭が判らない。
可愛い、すごく。でも男としてはもう少しくらい露出が有っても……なんて考えてちゃイカンよね。
それにしても、何時から来てたんだろ? しかも俺の後ろからって。
「美術館側から来たんですか?」
「そうよ、前売り買って無かったから。はい、これ」
そう言ってお姉さんこと光井栄美さんは、俺にチケットを手渡す。
「あ、済みません。お金払います」
「いいって。私が誘ったんだし、君に払わせられないでしょ」
う、嬉しい。でも男としては、ちょい複雑。ここは格好良く俺がおごりたいトコだよね。
「さて、行きますか」
素敵な笑顔で俺の手を引っ張る栄美さん。やばい、顔が……絶対赤くなってる。
慌てて俺は気をそらすべく、美術館の入口に掛かる看板を見た。
「前世紀を代表する……東西画家展」
「そう。版画、油絵から日本の浮世絵まで。相当有名な画家の作品も来てるの」
う、ほぼ壊滅状態です、俺。誰も判らないんじゃないか?
美術館に入って、何か緊張感が高まる。
「一人につき一点から二点くらいで残念なんだけど、画家の数が凄いし。歴史区分と地域別に分かれてて判りやすいのよね」
って言われても、すでに頭が飛びそうです。せっかくの説明ですけど。
「知識なんてどうでも良いから、君の好みの絵を教えて。私と趣味が合うか知りたいし」
それって、もしや選別?
「そんな顔しないの。好みが合えば良いし、合わなければ無理強いはしないから」
「え~、でもそれじゃデートできる可能性が減る……」
そこまで言って俺は、慌てて口を手で押さえた。無様な高校生の痴態に、年配客の、周囲の白い視線が集まる。
デートって、俺が勝手に思い込んでるだけなんだよね。
でも栄美さんは今日一番の笑顔で、こう言ってのけたんだ。周りの客の視線なんか全く気にせず。
「そうよ。好みが合えば私の趣味に引っ張り込んじゃうから。毎回、美術館巡りに付き合わせるからね」
毎回、デート! 美術館巡りはハードル高いですけど。それでも俺の頭は体を離れて宙に浮いてるみたいな気さえしてた。
「はい、まずはここから。ゴシック美術」
宗教画ってヤツなんだそうだ、これ。
「次はイタリア、ルネサンス期の巨匠ね」
何だろ? 飛行機もどきのスケッチ? ってダビンチ? 嘘ぉ!
流石にダビンチは知ってるよ、俺でも。けど、レプリカってヤツ? まさか……
「本物よ。今回の絵画展ね、新しくできた病院のオーナーが開催したらしくて。宣伝半分って感じなんだけど」
次々に説明してもらう、並んでる絵は全て本物。かなりの有力者らしい、その病院のオーナーは。
「入った所に文章が掲げてあったでしょ? ご挨拶、英語と日本語の」
う、全然見てませんでした、俺。
「まぁ気にしなくていいわ。関係無いから」
そう言いつつ、次のコーナーへ。
「ここのインパクト、半端ないっすね」
うわ! 口にしてから恥ずかしくなった。なにげにタメ口、最悪だ。
「でしょ」
う、返事が短い。怒ってるのかな?
絵を見詰めるお姉さんの横顔を、ただただ俺は見詰める。
「どう?」
え? えっと、どう? と言われましても。
「正直な感想は?」
あ、絵の感想、ね。良かった、怒っては居ないみたいだ。
「何て言うか、その……光と影の差が凄くて、クッキリしてて、さっきまでのより俺、こっちの方が好きです」
「コントラストが凄いよね、確かに。この絵はカラヴァッジョって画家が描いたの。隣はレンブラント、光の魔術師って呼ばれてる」
饒舌っての? 栄美さんの説明がさっきの三倍増って感じになった。
「私の研究課題がね、東西のレンブラントについて、なんだ」
そう言って、彼女は嬉しそうに微笑む。
「好みが同じみたいで良かった」
この絵画展に来て良かった。俺は今、そう思ってます。お姉さん。
「ここから後は、好きに回って。私、今回どうしても見たい絵が有って、多分そこから動かないから」
え、俺一人で回る? 放置ですか?
「最後まで回ったら再会って感じかな。ゆっくり回ってきてね、できるだけ長く見ていたいから、その絵を」
はい、判りました。男たるもの、恋した女性の頼みは断れません。
スタスタと遠ざかる栄美さんの背中を見送り、俺はよく判らなくてもノンビリ見て回る事にした。
しかし、すごい数だよ絵の点数、見終わるまでに何時間かかるのか? お客の数もすごい、どんどん増えてくる。
「何だ、これ?」
少し歩いて、さっきまでとは違う雰囲気のコーナーで俺は足を止める。フランドル派?
「化け物じゃないのか、この絵」
そこに描かれてるのは、人間の足が生えた魚だったり。うん、今夜うなされそうな怪物が画面に溢れかえる絵だった。
「ここは趣味じゃないな」
そう呟きながら、目が離せず足も動かない。別な意味でインパクト有るね、これは。
「ブリューゲル、か。一応は覚えとこ」
ようやく悪夢から解き放たれたように、フラフラと俺は残りの絵を見ていく。さっきのとは正反対のキレイな絵が並ぶ。
でも、さっきみたいに足が止まる事は無く、スムーズに流していく俺。やがて外国の絵が終わって日本のコーナーに。
「あ、いたいた」
つい、そんなセリフが出て、俺の頬は緩みまくり。栄美さんが浮世絵の所に立っていた。
「あの……」
掛けようとした声が、喉の奥に消えていく。
ただ一枚の絵の前に、お姉さんは立っていた。どれだけお客が動いて行こうと、その絵を見つめて微動だにせず。
不思議な絵だった。
浮世絵なのに、御茶漬海苔のおまけで知ってるのとは違い、そこには栄美さんが解説してくれた、さっき見たような光と影のコントラストってのが有ったんだ。
「誰の絵なんだろ……」
呟きより囁きって言った方が正しいくらい、小さな声が俺の口の中を転がる。
夜の闇に佇み、灯篭の明かりで何か書いてる着物姿の女の人の絵。
暗く沈む木や灯篭のシルエットと照らし出された顔と手元と桜の花、そのコントラストのすごさが印象に残る、今まで見た事の無い浮世絵。
そして、その絵を見つめるお姉さんの横顔に、俺の胸は張り裂けそうになった。
なんて切ない表情なんだろう。悲しみとか単純な言葉で言い表せない複雑な陰影が、今のお姉さんの瞳に映ってる。
「その絵に何が……」
少し声がデカかったのか、ハッとしたって感じで、美大生の光井栄美さんは俺の方を向いた。
頬を一筋の光るものが。
「お姉さん……」
つい、かつての呼び掛けをしてしまう俺。まだ子供だよね、情けない。
「あ、ゴメンね。変なとこ見せちゃって」
右手で流れる涙を拭って、栄美さんは俺に向かって微笑みかけてくれた。でも、俺の方が泣きたくなるくらい、その笑顔はナゼだか悲しい気持ちにさせられてしまう物だった。
「もう見終わった?」
「あ、はい。いろいろ知らない世界を見させてもらいました」
神妙にって感じで俺は、お姉さんに告げる。確かに知らない世界ばかりだった。
「面白かった?」
「思ってたより、ずっと」
偽らざる本心ってヤツ? 特にブリューゲルだったか、あの怪物の絵は忘れられそうに無いよ。
「もう夕方だね。ゴメン、こんなに長くなるとは思わなくて」
時計を見ながら俺に謝る栄美さん。謝る事なんて何も無いのに。
「お姉さんこそ、じっくり見れました?」
「そうね、堪能した、かな。実はね、この絵さえ見れたら他はもう、どうでもいいから」
ようやく素敵な笑顔を見せてくれた。でも一つ、俺はイエローカードを喰らう。
「そろそろ、そのお姉さんは、やめて欲しいな。って思うんだけど?」
「あ、はい。気を付けます」
「よろしい。じゃ、何か食べに行こうか? お腹すいたでしょ」
正直、意外な程に空腹。絵を見るのってエネルギーを消費するものなのかな?
美術館を出て、地下鉄の駅に向かおうとした刹那、お姉さん改め栄美さんのスマホが鳴った。
「はい」
短い返事の後、黙ったまま電話の相手の話を聞いていたお姉さんは、とんでもなく感情の無い声で切り出す。
「私、本日は非番のはずですが?」
怖い。感情のこもってないセリフが、かえって光井栄美さんの怒りを表してた。
俺の方じゃ背中しか見えない。今、どんな顔なんだろう。考えたら更に怖くなった。
あ、だとしたら、俺は今まで本気でお姉さんを怒らせた事は無いのかも? ちょいホッとした。だけど事態は俺の望まない方へ。
「仕方が有りませんね。承知しました、これから直接、向かいます」
そう言って栄美さんは電話を切る。
溜め息ひとつ。そしてこっちに振り返って、お姉さんは俺に手を合わせた。
何か、とっても可愛いぞ。仕草も表情も。
「ゴメンね。バイト欠員出ちゃって、私が代理で入らないといけなくなっちゃって」
う、ツライ。でもここは男たるもの、元気にお見送りせねば!
「大丈夫。ここからなら俺一人でも帰れるし。晩飯は次の機会に取っておくって事で」
精一杯の笑顔を、今度は俺が作る番。
「ゴメン、ホント、ゴメンね」
そう言いつつ、お姉さんはバイトに急行。で地下鉄の駅に消えていく。
「家に帰って何か食うか、適当に食って帰るか」
未練を振り切るように、そんな言葉を口にする。まぁ、元々お姉さんとディナー、なんて全く考えてなかったから、仕方ないし。
実は、食べに行こうって言われて、家にどう言おうかって考えてた所だった。残念なのは事実だけど。
最後はドタバタになっちゃったけど、新しい世界が開けた気がする。こう言うのをきっと充実した日だったって言うんだろうな。
「さぁ、次は探検だな」
ヲタ平の超常現象研究サークルに参加するって言ったからね、準備もしないと。
地下鉄の改札をくぐりながら、お姉さんとの初デートの余韻を楽しんでる俺。
まさか何時間後かに本当に探検させられる羽目になるなんて事、その時は全く想像もしてなかった。
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