はくじゃでんせつ 外伝 「 白蛇伝説 」その6
外伝は、主人公が不在あるいは意識不明などの場合に物語を外側から見た展開となり、普段は脇役の人達にスポットライトが当たったりします。
その為、いつもとは違う三人称形式となります。ご了承ください。
結局、光井栄美は到着した異世界の二人の時保琢磨に、おおよその事実を告げた。
「その上で、私に協力してもらいたい」
感情の欠落した声で言う自称美大生に、二人は緊張を隠せない。
「承知しました。ただ、ひとつお聞かせ願いたいのですが」
「何か?」
「貴女が、この1500番宇宙でも屈指のエージェント……」
1637番宇宙の時保琢磨の言葉は、相手の睨み一つで途切れた。
「白蛇伝説。その二つ名で呼ばれているのは事実だ。だが、私自身がそう名乗った事は一度として無い」
抑えに抑えた怒りを感じ取り、ガス人間8号の仇名を付けられた青年は何度も頷く。
「承知しました。では、何とお呼びすれば」
「光井栄美。そう呼んでもらいたい。あの子、いや……あの少年に、そう名乗った」
あの子、と1500番宇宙の高校生である時保琢磨を示した時に、エージェントの女性が感情を込めた事に気付き、二人は瞬間ほっと溜め息を付く。
「何か?」
「いえ、何でもありません」
阪本銀八を名乗る青年は、努めて爽やかな笑顔を作った。あの受付嬢と同一人物だとは到底思えない、と内心では立ちくらみに近いものに襲われつつ。
その隣に立つ、1398番宇宙の時保琢磨が暮れなずむ空の下でもサングラスを外す事無く、ぼそりと呟く。
「怖ぇ」
「何か?」
すかさず飛んでくる詰問に、革ジャン姿の男はカマキリの頭みたいなサングラスをかけたまま言った。
「いや。大したことじゃぁ無ぇんだがよぉ、もうじきボウズが起きるぜぇ。イイのかよ? 白蛇伝説さんよぉ」
薄暗がりの中、棗武志の言葉にリクルートスーツの女性の首筋が、巻いたスカーフ越しに白く燐光を放つ。
「棗さん、ここは穏便に」
「別にケンカ売ってる訳じゃねぇ。事実だぁな、ボウズが目ぇ覚ますのはよ」
「ほう。何故それが判る」
光井栄美と名乗れと二人に言った女性は、首筋の傷を気にしつつ、抑えた口調で問いかけた。
「話せば長くなります。が、琢磨君が目覚めるのなら準備が必要なのでは? その方が重要かと」
「もっともだな」
栄美は二人への興味など失ったと言いたげに、背を向けて倒れた高校生の下へと歩んでいく。
その後ろ姿を見ながら銀八は小声で呼びかけた。
「棗さん、本当に目覚めそうなんですか?」
「あのボウズよぉ、爺さんのタリズマンに気に入られたみてぇでよ。何となくオレ様に伝わってくんだぁ。参ったぜぇ」
「まさに剣と魔法の世界じゃないですか」
「知るかよぉ」
そんな囁きを交わす二人の方を向き、栄美が再び近付いてきた。
「何か御用でしょうか?」
幾分、緊張気味にガス人間8号が言葉を発すると、自称美大生は無言で二つ折りのメモ用紙らしき紙切れを突き出す。
「これは?」
中を見て銀八は、そこに書かれた数字の意味を悟った。
「これを琢磨くんに渡せと?」
「あの……少年、は私の保護対象だ。連絡が取れねば困る事も有るだろう」
目をそらせつつ語るトップエージェントに瞬間、微笑ましい物を感じて青年は再び爽やかな笑顔を作る。
「貴方に託す」
そう言われて銀八は頷いた。
「承知致しました」
相手の返事を聞いて、彼女はまた少年のそばへと歩いていく。
「では、宜しく頼む」
そう言い放ち、彼女は膝を折って気絶したままの、この1500番宇宙の高校生である時保琢磨を抱き起こした。
しばらくして、上半身を起こされた状態の琢磨が目を覚ます。
「こ、こ、は…‥?」
その第一声に、自称美大生は上から答えた。
「気が付いた?」
先程まで二人が聞いていたものとは余りにも掛け離れた優しい声が、エージェント白蛇伝説から流れ出す。
別世界からやって来ている二人の時康琢磨は我知らず、お互いを見た。
「怖ぇ……女ってぇのは」
「同感ですね」
小声で囁き合い、二人の時康琢磨こと棗武志と阪本銀八は自分達の出番を待つ。
「俺……」
「もう、大丈夫だから」
高校生に向ける笑顔も、美大生のものになっている。
「違和感満載ってトコかよぉ?」
自分の囁きに、無言で渋面を作るガス人間8号を見て、皮ジャンの男は肩をすくめた。
「ピンモヒ、は?」
「大丈夫。あの方達が」
ついに出番かよぉ。小声で言う棗を無視して、薄物のジャケットを羽織った青年はビューレットの言った事を思い出している。
あの人物は正しかった。
「そう言わざるを得ないな……」
少年は真っ先に、自分達を襲った軍人崩れについて尋ねてきた。事実を知らせる事は出来ない。ひと芝居打つ事になる。
棗には向いていない。それこそ違和感満載だ。と、銀八は心の中で苦虫を噛み潰した。
ボロを出す訳には行かない。ほぼ自分が受け答えするしかないだろう。
そんなガス人間8号の思いを知るよしも無く、高校生は起き上がろうとして尻餅をついてしまい、うなだれたまま呟きを漏らす。
「俺、また……」
その後に続く言葉と共に、少年の口から嗚咽が漏れる。
「情けねぇ……」
呟きと共に、涙が溢れ出す。自分の力不足と再び別世界の同一人物に助けられた事を、高校生は恥じていた。
「そんな事ない。君、頑張って私の事、守ってくれたじゃない。全力で体張ってくれたじゃない」
栄美の声も、少年の耳に、心に届いては居ない。確かにビューレットの言うとおりだ。もし事実を知れば、この程度では済むまい。
銀八は人目もはばからず泣き続ける少年を目にして、レイヤーなガンマンを大人だと再認識した。
「大人とは……与えられた役割にふさわしい能力と責任を持って、決断を下せる人」
場違いな呟きと判っていて、ガス人間8号は小さな声で口にする。
かつて母が病に倒れた時、一度として見舞いに来る事の無かった仕事の虫を名乗る非常な父と対立した日に、その父から言われた言葉を、彼は思い出していた。
仕事一辺倒な自身への言い訳と、非難し続けた銀八が、再び父と向き合うようになれたのは、あの高校生との出会いから。
以降、何かと少年を気に掛けては来たが。
「あの人物は……」
ここ1500番宇宙の時康琢磨、まだ高校生の、心が壊れる危険を察知し、それを回避する為に自分達を派遣したのだ。
自分はまだ、その域に達していない。阪本銀八の偽名を1500番宇宙で使う気化生命体は今、切実にそう思う。
「やべぇな、こりゃ」
自分の感慨にひたっていた銀八は、隣の革ジャン男の呟きで我に返った。
「あれじゃぁよ、ボウズを追い詰めるぜぇ。守るはずだった女に慰められるなんてよぉ。ズタボロの状態で、だぜぇ」
「確かに」
これもまた、ビューレットの予測の内なのだろう。
今こそ自分の出番だとガス人間8号は口を開く、いつも通りの涼しげな声で。
「申し訳ありませんが、このあたりで。彼はまだ高校生です。そろそろ帰宅させねばなりません。宜しいでしょうか?」
トップエージェント白蛇伝説が、感情の欠落した瞳を向けて頷くのが見える。隣でまた、棗の恐怖に満ちた呟きが聞こえた。
「私が送って行きます。棗さんは、彼女をエスコートしてください」
「うぇ! 俺様が、かよ?」
「他に誰が居るんですか?」
「わぁったよ」
その後、光井栄美に対して無言で深々と頭を下げてから歩き出す高校生を連れ、銀八は二人を残して公園を後にした。
「琢磨くん。君は、もっと成長しなければなりませんね」
共に一言も口にする事無く歩き続ける中、ガス人間8号は、おもむろに1500番宇宙の時康琢磨に話しかける。
「わぁったよ」
力無く、高校生が答える。
「強くなる事です、あらゆる意味で。で、なければ、これを渡してくださった彼女に申し訳ないでしょう?」
そう言いつつ、銀八は小さな紙切れを手渡す。書かれていた数字の列を目にして、少年はその紙を握り締めた。
闇に堕ちかけていた心に僅かでも希望の火を灯した別世界の同一人物に、気化生命体の青年は声を掛ける。
「とんでもない出会いをしたみたいですよ、君は」
聞いていませんね、これは。紙切れを握り締めたまま額に押し当てる高校生を目にし、ガス人間8号はそう思う。
今は、それでいい。とも。
だが、光井栄美を名乗る彼女との出会いが、この高校生の全てを変えていく第一歩になるなどと、彼は全く気付きもしなかった。
彼、阪本銀八だけでは無い。彼の別世界の同一人物も、彼らを派遣したビューレットも、自称美大生のトップエージェントも。
平和な日々の裏側で進行する、多元宇宙間侵略全面戦争回避に否応なく巻き込まれていく事になろうなどと。
そしてそれが、どこにでも居る17歳をただの高校生から、ただの人間から、卒業させてしまう事態になる事に。
何より本人、1500番宇宙の時康琢磨自身が、何も判っては居なかった。
第四章 了
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