はくじゃでんせつ 外伝 「 白蛇伝説 」その5
外伝は、主人公が不在あるいは意識不明などの場合に物語を外側から見た展開となり、普段は脇役の人達にスポットライトが当たったりします。
その為、いつもとは違う三人称形式となります。ご了承ください。
リクルートスーツ姿の自称美大生、光井栄美の目の前に、この爽やかな季節を台無しにするトレンチコートの男が立っていた。
「で? 何か用」
「さっき答えたはずだが?」
年齢を重ねた渋い低音で、眼鏡を掛けた中年を通り過ぎた髭面男は応じる。
「とことん汚れよね、始末屋ダーティーブレット」
「今は雇われ用心棒、ビューレットで通っているのだがね」
「あんたの通り名なんか、どうでもいいわ。ついでに本名もね」
感情が次第に露わになって来るのを抑えつつ、栄美はそう突き放す。
「さっさと、ピンモヒ? そいつを連れて帰って欲しいものだけど」
「無論そのつもりだが、少々気になったものでね」
自称美大生は眉間にシワを寄せた。相手の眼鏡の奥が、どこを見ているのか気付いて。
「その少年に価値を見出した。そういう事なのかね?」
「アライアンスは、そう結論づけた。って事」
「自由石工同盟にしては珍しいな」
ピンモヒこと富末と同じ、1962番宇宙に生きる素粒子生命体の男は、髭に覆われた顎に手をやって唸る。
「やはり、あの一件からかね?」
「昨年の秋、多元宇宙関連の事件で十四名もの死傷者が出た事は知ってるでしょ?」
ふむ、と頷いてレイヤーなガンマンと気絶している高校生に仇名された髭面の中年過ぎは、続きを待つ。
「最初は全く解明ができなかった。事件現場のコンビニで、防犯カメラが全て壊されてたからね。でも」
落ち着きを取り戻した自称美大生は、淡々と話を続ける。
「この春、私が担当の日に単独捜査権の取得に来た人の連絡先が、あの事件で通報してきた物と一致してね」
「意外と抜けているのだな、ガス人間8号君は」
ビューレットの一言に、彼女は頷いた。
「そこから、一気に解明できたって訳。更に貴方と待ち合わせるはずだった寺で、残り二人を偶然発見」
「会えなかった、あの日か」
「そこのカフェに潜入してたんだけど、私の前で自分たちの話まで色々しゃべってくれたわ。まさか最後の一人が、この1500番宇宙の高校生だったとはね」
「そして大量に、彼らの個人情報を入手した訳だな」
「偶然!」
髭面の中年過ぎの揶揄に、一言噛み付いて光井栄美は続きを語る。既に空は暮れなずみ始めていた。
「その後の偽映画撮影で、更に色々判ったし。そこまでは良しとして。一つ、聞きたいんだけど」
「何かね?」
「普通、この1500番宇宙に住む者を多元宇宙の事件に巻き込んだら、記憶は必ず消すでしょ?」
「そうだな」
「でも、しなかった。あの二人は」
無言で頷くビューレットに、彼女は指を突きつける。
「貴方もね」
ふむ。としか言わない相手に、自称美大生は苛立ちを覚えたが結論を急ぐ事にした。後ろに倒れている高校生が、いつ目を覚ますか判らない。
「あの秋葉原テロ事件、関わってないなんて言わさないから」
「部下が世話になった。感謝している」
「あの子のついで。もうあの時、私の保護対象になっていたから、あの子」
「既にあの時、少年は君を引っ張り出すほどの評価を得ていたとはな」
少し驚いた。そう付け加えてトレンチコートからタバコを取り出し、目の前の女性の露骨に嫌そうな表情を見て再びしまう。
「失礼した」
ビューレットの謝罪に、別に。と短い返事をして栄美は腕組みをする。
「あの子と残り二人の関係は、寺カフェで知った。そして貴方も関わりを持った。アライアンスは多元宇宙の別世界との窓口として、あの子を最重要と判断したって事」
「なるほど。125ヌクレオチド連合の、ここに対する待遇を考えれば、当然か」
「別に独立しよう、とかじゃないけどね。あっちもユビキタスの件でドタバタだから」
何よりも。彼女は、そう切り出した。
「貴方の上と、こちらの交わした契約。どうも邪魔が入ってるみたいだし、味方は多い方が良いって感じみたい」
「侵略戦争のターゲットではな、既に宣戦布告されていたそうだが?」
「もう一年近いわね。上層部は戦々恐々、それだけに貴方達に頑張ってもらわないと。戦略的同盟として」
「面目ない」
「とりあえず、世論が二つに割れてるなんてのは、さっさと解決して欲しいわ。1962番宇宙って、そんなだったっけ?」
「誰かが介入している。他の世界で強盗を働く輩を組織するような者が」
面を引き締めて、5月半ばでもトレンチコートを着た中年過ぎの男は栄美に答える。
「掴めたの? 黒幕」
髭面の眼鏡男は、目星はついているのだが。と呟いた。
その刹那、とてつもなく大きな舌打ちの音が、夜の帳が下りようとするスケートパークに響く。
「どうにかして欲しいもんだね。2177宇宙からの侵略は、もう目の前に迫ってんだからさ。ビューレットさん」
「善処する」
短い応えに今一度、舌打ちしそうになって自称美大生は顔の前で手の平を振った。
「はいはい。終わりにしましょ。不毛だわ、これ以上続けても」
「確かに、そうだな。むしろ、この後の事が肝心だろう」
「この後?」
「気付いていないのか? トップエージェント、白蛇伝説」
「嫌な二つ名で呼んでくれんじゃないか。ダーティーブレット!」
吊り気味の目を更に吊り上げて、光井栄美は江戸前気質のセリフを飛ばす。激昂すると共に、彼女の一条の傷から覗く物が白い燐光を放った。
「まずは、その首の傷」
言われて反射的にそこを手で押さえる。彼女は今この瞬間まで、むき出しの傷を忘れている事に気付いた。
「鱗を隠すべきだろう? 少年が起きる前に」
明らかな狼狽が、トップエージェントと評された女性から伝わる。髭面の中年過ぎは、それを見逃さなかった。
「見せたくは、いや知られたくは無いのだろう?」
「やかましい……」
いくぶん力の無い声が返ってくる。
「少年にとって君は、命懸けで守るべき憧れの女性のはずだ。今は、正体を知られる訳にはいかないのだろう?」
今度は言葉も無く、ただ怒りの篭った眼差しがビューレットに向けられた。
「そこで提案なのだが、助っ人を呼んでおいた。この一件を丸く収める、少年が必ず納得するように、だ」
「どんな?」
短いが、栄美の声が明るさを増した事に、トレンチコートの男は我が意を得たりと頷く。
間も無くやってくる、ここに。そう言って彼は自称美大生に策を告げた。
「取り引き、込み……ね。まったくダーティーだわ、あんた」
「安いものだと思うがね。あの少年の保護係を今後も続けられるのなら」
「覚えとけよ、ダーティーブレット」
江戸前調の蓮っ葉な物言いで、光井栄美は彼を睨む。それに対してレイヤーなガンマンと時保琢磨に仇名された男は軽口を叩いた。
「いずれは少年に君の素性、正体も明かさねばなるまい? 先ほどの感情を素直に優先させるのなら」
「な、なにを?」
言っている。と彼女が口にする前に、ビューレットは続ける。
「己が心のままに。良い事だと思うが、かつし……」
話している最中に、風を切る音が鳴った。
「それ以上、口にすんなよ、ダーティーブレット。私は光井栄美、この1500番宇宙に生きている。ただそれだけだ」
自分を見つめる瞳に感情が存在しない。それに気付いたが遅かった。
自分に向かって投げられた匕首と呼ばれる中国古来の暗殺用短剣を握り締め、ヴューレットは呟く。
「ビーショゥ……目を狙ってくるとはな。本気で怒らせてしまったようだ」
手の平を切り裂く暗器の刃が生み出す痛みと流れ始めた血潮に、固定材の存在を感じ取る。髭面の中年過ぎは、自分が失策を犯した事を痛感した。
無言で無表情な眼差しを向けてくる自称美大生ことエージェント白蛇伝説、光井栄美に彼は溜め息をついた。
「済まない。私が悪かった」
「判りゃ、いいんだよ。あと今日の衣装一式の弁償、忘れんなよ」
また江戸っ子のような口調で彼女は、かなりの上乗せを吹っかける。
「仕方あるまい。こちらの落ち度だ」
「そう言うこったね」
口角が上がると同時に、うら若き女性エージェントの瞳に感情が戻った。
「さて、お帰り頂きましょうか? ヴューレットさん。お迎えも来たようだしね」
「こちらの呼んだ助っ人も、間も無く到着のようだ。後は君の交渉力に任せよう」
トレンチコートの中年過ぎに縛り上げられた富末を、いつの間に来たのか判らない二人連れが押さえている。
「棟梁、花板さん。済まんな」
「班長、ここは我々が。一刻もお早いお帰りを。と手品師が」
棟梁と呼びかけられた、光井栄美と同い年くらいのボーイッシュなショートヘアの女性が、そう口にした。
「長居し過ぎたか。後は頼む……棟梁?」
「先ほど班長に暗器を投げられたでしょう? あの方。それで憤っているんですよ」
花板さんと言われた初老の紳士が穏やかに告げつつ、ビューレットに傷口を押さえるようハンカチを渡す。
「あれは私に責任がある、気にするな」
「しかし、班長」
「木挽」
本名を呼ばれ、ショートヘアの彼女は口をつぐみ渋々引き下がった。
「では、光井栄美殿。我々は、これにて」
「さっさと帰んな」
相変わらずの物言いで、エージェント白蛇伝説は、わざとらしく手の平を揺らす。
捕らえられた軍人崩れを含む四人を中心に、爆発的な重力波動が押し寄せた。
乱れた髪を、更に引き破いたスカートを翻して、栄美は消えていく四人を見送った後に倒れたままの高校生に歩み寄る。
「この重力波の中、起きないなんて。意外に……」
優しい笑みを含んだ眼差しを気絶したままの時保琢磨に注いで、白蛇伝説はポケットから取り出したスカーフを首に巻いた。
駆けつけてくる二人分の足音を聞きながら。
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