はくじゃでんせつ 本伝 「 白邪電切 」その4
「お姉さんっ!」
自分自身に馴染んだ呼び方で、俺は絶叫していた。
その声に弾かれるように、お姉さんこと光井栄美さんが後ろに飛び退く。
良かった。ピンモヒの腕が3流なのか? 刀がナマクラなのか? 刃には一滴の血も付いてない。
「何だこりゃ?」
手にした刃を眺めて、ピンモヒこと富末は首をかしげていた。
安心して、今度はお姉さんの方を見て、どこも切られていないはずの俺は、派手に血を撒き散らしそうになったんだ。
どこから? 鼻から。
真上から振り下ろされた刀は、お姉さんを傷付ける事は無かった。けど、純白のブラウスを縦に切り裂いていた。
ブラ……じゃなくて下着さえも切られた光井さんの服は左右にひるがえり、双丘が全開放になっている。
「綺麗だ……」
場違いな呟きだったかも知れない。でも本当にそう思った。
ヲタ平、そして5分前の俺、お前らは間違っていたよ。巨乳なんて意味無い、ブラ外れたら垂れるだけ。
それを、スケコマ師の家で何度も見たよな、AVでさ。
初めて知ったさ、本物を見て。肝心なのは大きさじゃなくて形、その美しさだったんだ。
おわん型の、小ぶりだけど美しい、張りのあるお姉さんの胸が今、後ろに飛び退いたせいで勢いよく上下に飛び跳ねている。
まるで別の生き物のように揺れる、女子大生の生乳……いや、裸のお胸、に俺は現場の全てを忘れて見とれてしまっていた。
「いや!」
叫ぶと同時に前を押さえて、うずくまる。
お姉さんの反応は当然だよね。俺もその声で我に返り、顔を真っ赤にしてしまう。
そんな時に、ピンモヒの声が俺の耳を打ち、俺の血を逆流させた。
「けっ! ちぃパイかよ……」
ピンモヒの声に、言葉に、俺の中で何かが爆発したんだ。
「貴様!」
抜き身の長ドスを持った軍人崩れを指差して、俺は自分でも驚くくらい吠えた。
「許さん! お姉さんに謝れ!」
そう叫びながら、バッグの中に手を突っ込む。有った、折りたたみ傘。
スポーツチャンバラこと小太刀護身道を学ぶ俺にとって、これは少し短いけど立派な武器になる。
「謝罪しろ!」
怒鳴るたびに、頭に血が昇る。絶対許せない、お姉さんを侮辱した事。
だけど裏腹に、ずっと考えてる、俺は見た。ピンモヒは支柱をすり抜けて出てきたんだ。でも手にした刀は最初から外、こちら側に立て掛けて無かったか?
なら、あの長ドスは奴の居る宇宙の物じゃない。ここ、1500番宇宙で作られた物だと思う。それなら透過はできない、叩き落とせるはずだ。
「あ? お前、馬鹿か?」
ピンモヒの言葉に、俺は前に出る。必ずお姉さんに謝らせてやる! そう決めた、たった今。
「まぁ、何でもいいか。てめぇさえ、ぶっ殺せりゃな」
いや、テロリストの脅しだよ、やっぱ怖い。
でも、お姉さんを傷付ける事さえできなかったナマクラだ、絶対に大丈夫、なはずだ。多分、怖くない。
更に、あんな科白を吐きながら片手で振り回す刀が棒きれと同じ。あれじゃ俺に当たった時、刃か峰かどちらが向いてるか判らない。
大丈夫だ、何度も何度も自分に言い聞かせてる、俺。
この瞬間、俺はあの刀がお姉さんの服を切り裂いていた事なんか、完全に頭の中から追い出していた。
そして呟く。
「こいつ、素人だ……」
多分、ピンモヒは刀剣系の武器を使った事が無いんじゃないか? だから大丈夫、多分。いや、きっと。
「何だと! 素人は、てめぇだろうが!」
顔を真っ赤にしながら、素粒子人類の軍人崩れは長ドスを振り回しつつ、俺に迫る。
けど、慣れてない武器は扱いが雑になる。そんな話を聞いた通りにピンモヒの動きは無駄が多くて隙だらけだった。
だから、やれる。いける。
大振りに流れていく長ドスを持つ右手に向けて、俺は小さく鋭く、折りたたみ傘を叩き込む。
あ、でもやっぱビビってる、俺。振り抜けてない、弱い。
俺の動きに気付いたピンモヒこと富末は、1962番宇宙の住人の特長を生かして、傘を透過させた。ただし、自分の肉体だけ。
「げえっ!」
この世界の産物である長ドスの柄を、俺の折りたたみ傘は打ち据える。けど、ダメだ。弱い、これじゃ。
そう思ったけど、予想外にピンモヒは握っていた刀を落とした。そんなに衝撃、有ったっけ?
とは言え、ここは躊躇してられない。一気に畳み込む。
「喰らえ!」
叫びながら俺は、せっかくのデートを邪魔した刺客の歪んだ顎にも、折りたたみ傘を打ち込んでやった。
つもりだったけど、腰が引けてたのか?
かすっただけ。外れた。なのに悲鳴を上げながら、ピンモヒが地面に転がる。
これは、もしかして揺さぶりが効く? そう思いながら当初の目的を、俺は叫んだ。傘を突き出しながら。
「お姉さんに謝罪しろ!」
「てべぇ、よぐぼぉやりゃぐぁっだぬぁ!」
なんだか折れたかも知れない、変形した顎で聞き取りにくい絶叫を上げて、敵が跳ね起きてくる。
ホントに本物の軍人崩れなんだ、タフだね、こいつ。
でも俺の余裕は、そこまでだった。
「くだぶぁれぇ!」
吠えると同時に打ち出された拳で、俺はサンドバッグにされてしまう。
刀の扱いはド素人でも、ピンモヒは元軍人、格闘技とかは習得していて当たり前だった。
対して俺は、その道のド素人。武器さえ叩き落とせば何とかなる。本気で思い込んでた。
弱点さえ見つけた気になっていた。
それがどれだけ甘い考えか、血まみれになりながら今、思い知る。
「ぐぉらぁ!」
意味不明な叫びと共に、ピンモヒこと富末の強烈な膝蹴りが、俺の鳩尾に。
何も食べてなかった事が幸いして、戻さずに済んだけど意識が遠のき始める。
崩れ落ちるように地面に倒れこむ俺の視線の先に、胸を隠したまま、うずくまる光井さんの姿が。
「逃げて……お姉さん、早く」
それだけしか言えなかった。暗くなっていく視界の端に立ち上がるお姉さんを見つめるしかない俺の耳に、再びピンモヒの声が響く。
「姉ぇじゃん、あんだが相手じてくれんのがよ? なら、ガキおごして見せづけてやりゅかぁ?」
下品な笑い声に、気力奮い起こして起き上がろうとする俺。その腹を元軍人が蹴り上げて、ついに俺の意識は暗転する。
完全に気を失う寸前、俺は今まで聞いた事の無いほどデカい、舌打ちの音を聞いた気がしたんだ。
「こ、こ、は…‥?」
「気が付いた?」
優しい声が、真上から。まだ、目を開くのが辛いけど、ゆっくり目蓋を上げていく。
もうすでに周囲が薄暗くなってる。どのくらい俺は、気を失っていたんだろう。
お姉さんこと光井栄美さんに抱き抱えられるように上半身だけ起こして、俺は地面に倒れていたらしい。
「俺……」
「もう、大丈夫だから」
お姉さんの笑顔が、まず俺の目に飛び込んできた。無事だった、良かった。心からそう思った。
「ピンモヒ、は?」
「大丈夫。あの方達が」
目だけ動かして、光井さんの視線の先を追う。そこに二つの影が立っていた。
街灯すら無いスケートパークの前の広場でも、俺にとって見間違えるはずの無いシルエット。
一人は5月も半ば過ぎなのに革ジャンを着込み、もう一人は涼しげな薄物のジャケットを羽織っている。誰かくらい、すぐ判った。
多元宇宙の、もう二人の俺。別の世界で生きる二人の時保琢磨。
起き上がろうとして、俺は尻餅をついてしまう。うなだれたまま呟きが漏れた。
「俺、また……」
その後に俺は、どう繋げたかったのだろう。
何の役にも立てなかった。か? それともまた、あの二人に助けられたのか。だったのか? それとも。
「情けねぇ……」
呟きと共に、涙が溢れ出す。本当に情けなかった。
好きになった女性の前で、ボコボコにされて気を失うなんて。彼女が無事で良かった、でもあの二人が来てなかったら、どうなっていた?
流れ続ける涙を拭く事もできない俺を、お姉さんが後ろから抱きしめた。背中に当たる小ぶりな膨らみが、今は何だか申し訳ない。
「そんな事ない。君、頑張って私の事、守ってくれたじゃない。全力で体張ってくれたじゃない」
違う。違うよ。
光井さんの声が、言葉が、今の俺には辛い。
俺は彼女を守れなかった。それだけは間違いない。誤魔化しようが無い。
どうしようもなく闇に堕ちていこうとしていた俺の耳に、いつも通りの涼しげな声が聞こえた。
「申し訳ありませんが、このあたりで。彼はまだ高校生です。そろそろ帰宅させねばなりません。宜しいでしょうか?」
ジャケット姿の時保琢磨、ここでのコードネーム阪本銀八さんのセリフに、お姉さんが頷くのが判る。
「私が送って行きます。棗さんは、彼女をエスコートしてください」
「うぇ! 俺様が、かよ?」
「他に誰が居るんですか?」
わぁったよ。オッサンこと1398番宇宙の俺、コードネーム棗武志の声が聞こえた。
「さて、では帰りましょうか? 琢磨くん」
あなたも……そんな憎まれ口さえ出てこない。正直、お姉さんを直視できない今、銀八さんに連れ出される方が有難かった。
「棗さん、宜しくお願いしますよ」
再び、わぁったよ。と聞こえる。オッサンは全く変わらないんだな。
最後に、お姉さんの方に俺は深々と頭を下げてから歩きだした。声は掛けられない、そんな勇気、今は出てこない。
公園を離れて、それまで黙って俺の横を歩いてくれていたガス人間8号さんが、おもむろに口を開いた。
「琢磨くん。君は、もっと成長しなければなりませんね」
棗のオッサンと同じ科白を、小さく呟く。言われたくない、自分で判ってる。
「強くなる事です、あらゆる意味で。で、なければ、これを渡してくださった彼女に申し訳ないでしょう?」
そう言いつつ、俺に小さな紙切れを手渡す。書かれていた数字の列を目にして、俺はその紙を握り締めた。
見限られてない、さっきの言葉も単なる慰めじゃないかも知れない、そう思うと少しだけ心に明かりが灯る。
「とんでもない出会いをしたみたいですよ、君は」
銀八さんの物言いは気になったけど、光井さんと連絡が取れる事に舞い上がってしまっていた俺は、完全にスルーしてしまった。
これが、彼女とのこの出会いが、俺自身の全てを変えていく第一歩だなんて全く気付きもしないで。
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