素にして嫌だが否ではない 第3話
自身の重さで、ゆっくりとビルは亀裂を広げていく。
「落ちて……くる?」
ケーキをフォークで切るように、ビルは前に迫り出してくる。巨大なコンクリートの塊が視界に広がろうとしていた。
「土ぃーならまだしも、オレ様の力じゃぁ、このデカブツは止めらんねぇ」
棗のオッサンが弱気につぶやく。
実際、八階建てのビルが崩れ落ちてくるのを目の当たりにして、強気の科白なんか出てくる訳ない。でも、つちぃーって? そう聞きたいが今は余裕が無い。
辺り一面に崩れ落ちてくるコンクリートやガラスの破片が散乱する中、沢山の悲鳴や絶叫が。こう言うのを阿鼻叫喚地獄って言うんだろうか?
中央通りに面した8階建てのビルが裂けて落ちてくるんだ。あれが落下してこの辺り一面、押し潰されたらどれだけの被害が出るんだろう。
後ろの通りを走る車のクラクションがドンドン増えてる。避けそこなって事故まで起きていた。
みんな、逃げるに逃げられない。
「どうすれば……」
普通の高校生に何ができるんだろう? 今この瞬間にも亀裂は下に向かって伸び、裂け目は広がり続ける。
「ボウズ、行け! カァちゃん泣かせたいのかよぉ!」
オッサンの必死の形相が事態の深刻さを物語ってる。俺自身も判ってるけど、それでも逃げ出せない。半ば意地だった。
「クソッ! 遅いか!」
隣で吠えるオッサンの科白を聞きながら、振り仰ぐ。視界いっぱいに、斜めに崩れ落ちてきたビルが伸しかかってくる。
「だめだ……」
視線は外せないまま思わず、そうつぶやく。けど、次の瞬間、目の前の巨大な塊が忽然と消えた。
「えっ! ?」
「こいつぁ……どうなってやがんだぁ?」
呆然と見上げているのは、俺やオッサンだけじゃなかった。
恐怖に目を固く閉じてた人や、頭を抱え、うずくまってしまってた人達が、のろのろと顔を上げる。
そこには巨大なコンクリートの塊は無く、煙が立ちのぼる五月の空が見えていた。
残りカスのような破片が、若干パラパラと落ちてくる以外、視界を遮る物なんて何処にも無い。
まるで初めから何も無かったかのように、消え失せてしまった。
「これって……」
記憶の端っこに引っかかる物が有るんだ。必死で思い出そうと目を閉じる。
「おい、どうしたよ? ボウズ」
ぼうず。オッサンの呼びかけに、脳みその中を電流が駆け巡るような感じさえした。
坊主。それだ、それだよ。オッサン。
あの日、あの寺の、山門の前。
スクーターで追っかける銀八さんに向かって、ワゴン車から身を乗り出したレイヤーなガンマン。
あの男が銃を撃った後、寺の山門前で道路はどうなった?
「これって……まさか?」
俺は後ろを振り返り、周りを見渡す。
居ない。
「上か?」
視線は向かいのビルの屋上へ。そして隣のビルへ、更に反対側、向かって右へ。
居ない。
もう一度、左側のビルに戻って、四軒向こうのビル屋上にまで視線を走らせる。
「居た……」
あの時と同じ、トレンチコートが風になびいていた。ここからじゃ仮性近視の俺では見えないけど多分、眼鏡を掛けた中年を通り過ぎた髭面男のはずだ。
「あの時の」
コスプレイヤー丸出しの、異様にデカイ拳銃を構えていたガンマン。
そう言えば、さっきの不可思議な連中が乗って去って行ったワゴン車。あの時と同じ?
全部つながった気がした。
銀八さんが、ここに居た理由も。
「おい、ボウズ。どうしたって聞いてんだろ? 返事しろや」
あ、オッサンの事、完全に忘れてた。
「あれ」
一言のみで、ただ見つめる先のビル屋上を指差す。
「んだぁ? ありゃ」
俺の隣にオッサンが並んで、四軒向こうのビルを見上げた。
「眼鏡の髭面……ジジイじゃねぇかよぉ!」
「よく見えるな、この距離で」
「目はイイんだよぉ、オレ様」
思いっきりドヤ顔だよ、オッサン。確かに仮性近視の俺からすれば、羨ましい限りだけどね。
眼鏡かけてたって、そこまで見えないんだよ。
「げぇ、何でい、あのバカでっかい銃は?」
「そこまで見えるのか……」
もう羨ましいを通り越したよ。
「ホルスターに収めてんだろうがよぉ、あれ。しっかしよぉ。でか過ぎだろ、拳銃にしちゃぁな」
いやいや。俺じゃ、そこまで見えないんだって。せいぜいコートの中に右手を差し入れてるんだろうな、くらいにしか見えない。
ビルの上を眺めつつオッサンは一人、クソでかいリボルバーだぁな、とか言ってる。
周りは助かった事に、やっと馴染んできたのか、安堵する声も聞こえ始めた。
奇跡が起きた、とかね。
遠くからパトカーのサイレンや、消防の鐘の音が響いてきていた。新聞社のだろうヘリコプターも飛んで来てる。
そんな中、1398番宇宙のケイ素生命体であるオッサンが、俺の方を向いた。
「んで?あのジジイが何なんだよぉ?」
「多分……落ちてきたビル消したの、あの人だと思う」
「あ? あのジジイが、かぁ?」
オッサンにも判るように、あの日、寺の山門前で起きた事を説明する。
「ほほぉお、あれが噂の用心棒かよぉ」
嬉しそうに、多元宇宙のもう一人の俺、ここでのコードネーム棗武志は乾いた唇を舐めながら笑う。
獣みたいな、不敵な笑いだよ。
「ちょいと、ご挨拶に行かなきゃなぁ」
そう言いながら、レイヤーなガンマンの居るビルに向かって歩きだした。
「オッサン! 足、治療するのが先だろ」
「あ? 別にとっ捕まえようってんじゃねぇ。面ぁ拝みに行くだけだぜぇ」
いや、絶対ウソだろ。戦う気マンマンのくせに、足引きずりながらでも。
寺の境内で見せた、短距離走おまかせの瞬足が幻のように、のろのろと棗のオッサンは歩き去る。
「ボウズ! カァちゃん心配させねぇように、さっさと家に帰んだぞぉ!」
そう言いながら、人ごみに紛れていった。 何となくいつもより頼りない、いつもと同じ皮ジャンの後ろ姿と、もう人影の居なくなったビル屋上を見比べ、俺は溜め息を付く。
「家に帰れって言われてもな……銀八っあんが、まだ戻って来ないんだよ」
あの倒壊に巻き込まれて無いだろうか? ヲタ平やスケコマ師の事も心配だ。二人を見つけてくれただろうか? みんな無事なら良いけど。
「連絡くれよ、銀八っあん」
つぶやいた後、急に携帯が鳴った。駆けつけた消防隊や警察官で、周りがごった返し始めた中、俺は電話に出たんた。
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