6.業火の魔女
心臓を壊せば、奪われた記憶を取り戻せると魔女は言った。
いつか魔女を見つけたとき、迷わず刺し殺してやろうと決めていたはずだ。
恨みでも憎しみでもなく単なる手段として、無感動かつ無慈悲に実行できる自負があった。
だが――リゼッタに同じ状況を提示された今、カインは予想に反して逡巡している。どうしても無防備に差し出された心臓を屠る勇気が出ない。
「死なないんだな?」
「ええ。そういう準備は済んでるの」
「痛くはないのか?」
「……まあ、普通に刺されるのと変わらないわね」
リゼッタはやや言葉を濁す。
さすがにカインも驚いて拒絶する。
「駄目だろう、それは」
「一瞬だけよ」
「駄目だ」
カインはリゼッタの提案を受け入れられない。
自分が追い求めた唯一のためでも、他者が傷や痛みを負うのはご免だった。
「何よ。大事な記憶を取り戻したくないわけ? 私は失せ物探しの仕事を全うしたいだけなんだから、変な気を回さないでよね」
「あんたにそこまでしてもらう必要はない」
「……何よ」
真っ向から否定され、リゼッタは拗ねた。何故か寂しそうに見えた。
「いや、俺はあんたに犠牲みたいになって欲しくないだけだ」
「恋人と私を天秤にかければいいだけじゃない」
「幻みたいな過去と、現実のあんただったら、俺は後者を選ぶよ」
愛の告白よりも誠実に伝わるよう、カインは真剣に言葉を紡いだ。
リゼッタは絶句し、よろめくように後ずさる。
「なんて……馬鹿なの」
「悪いか。それに、あんたが言ったんじゃないか」
「は?」
「どうして業火の魔女は俺に言ったのか」
昨日の会話を持ち出して、カインは迷いの理由を話す。
「俺も一晩考えたんだ。正直、今まで何も考えてこなかったから」
「だから何?」
「あんたは知ってたんじゃないか?」
カインが僅かに責める目を向けると、リゼッタは更に身体を後退させた。
華奢な背中は白い獣の足にぶつかり、そのまま逃げ場を失ってしまう。
カインは意に介さず続けた。
「業火の魔女は、殺されたかった」
「俺の手によって終わりたかったんだ」
+ + +
業火の魔女は終わりたい……。
それは正解であり、誤解だった。
ただひとつ間違いないのは、魔女が最後に委ねたのは、カインの選択だったということだけだ。
「あんたは全部を知らない」
リゼッタは意を決して明らかにする。
「業火の魔女は嘘をついてる。いいえ、すべてを話してはいないのよ」
「何だと?」
カインの眉が動いた。
「魔女の、心臓……」
自分の左胸を強く抑えたまま、リゼッタは低く呟く。隠された真実を明かす。
「心臓を貫けば、記憶は還る。代わりにあんたは永遠に失うの」
「……失うって何を」
「愛を」
「恋人の記憶を取り戻したら、あんたは恋人を愛していたって気持ちを……心を奪われる。これはそういう呪いになったの」
「……いったい何なんだ、それは!」
意味が解らずカインは混乱する。
「どうして……そこまでして俺から恋人を奪いたいのか!?」
「そうよ」
リゼッタは悲し気に唇を歪めた。
赤い髪が風に翻る。
顔を覆っている前髪も舞った。
「あんたは絶対に恋人を取り戻せないの」
「どうして……」
「だってあんたを殺せなかったから」
「俺を?」
カインは初めてリゼッタの素顔を見た。
「あんたを殺せないなら、恋人を消すしかなかったのよ」
「ちょっと待て。何を……」
カインは狼狽える。
リゼッタは……リゼッタが泣いている。
「リゼッタ」
「……何よ」
「あんたはもう、思い出しているはずよ」