3.失われたもの
「お話にならないわね」
翌日に再び店を訪れたカインに、リゼッタは容赦なく吐き捨てた。
「探す相手の名前どころか、顔も髪の色も瞳の色もわからないじゃどうにもできないわよ」
「……わからないか? その」
カインは言い淀む
「同じ、魔女だろう?」
ぴくりと肩を震わせたリゼッタを見て、カインは言い方を間違えたと気づいて慌てふためく。
「いや、違うんだ。魔女同士なら顔見知りってこともあるかもしれんと思っただけだ。そうでなくとも噂を聞いたりとか! 決してあんたが業火の魔女と同類だなんて意味じゃない」
「別にいいけど」
リゼッタの反応は冷たい。
「ああ……あんたははぐれだったな」
「そうよ。だからあまり期待しないことね。そもそも復讐相手の魔女を探すのに、魔女を頼るのがおかしいんだから」
敢えて突き放すようにリゼッタは言う。カインの表情が曇った。
「すまない」
「別にいいって言ってるじゃない」
「……違うんだ」
「何が」
あまりにも深く沈むカインの双眸に戸惑い、リゼッタは耐え切れずわざと視線を逸らす。
気まずい雰囲気を読んだかのように、寝そべっていた白い獣がのっそりと立ち上がった。獣は狭い店内を二度ほど回る。
リゼッタは獣の白く波打つ毛並みを撫でた。
カインは横目で見遣りながら、僅かに自嘲する。
「復讐のためじゃない」
「俺が魔女を探すのは、失った記憶を取り戻すためなんだ」
+ + +
カインには恋人の記憶がない。
愛した心は憶えているのに、彼女の名も、姿も、声も、思い出も言葉も、彼の中には存在しない。
街が滅ぼされたあの日、業火の魔女に奪われた。
他の何を引き換えにしても失いたくない最愛だけが、容赦なく殺されたのだ。
「業火の魔女は……俺の恋人をその手で殺したと言った」
ぽつりぽつりとカインは過去を語った。
リゼッタは静かにそれを聞く。
「そして俺から彼女の記憶を奪った。それ以来、彼女のことは何も思い出せない。誰かを愛していたと、確かに自覚しているのに、存在だけがわからないんだ」
カインはあの日、燃え盛る炎の中で魔女に会った。魔女の姿は朧気で、これもおそらく記憶をいじられているのだろう。
「魔女は、己の心臓を刺せば俺の記憶は戻ると挑発した」
『私の心臓を貫くがいい』
呪いの言葉撒き散らし復讐に狂ったあの魔女は、忌避されるべき象徴として、「業火」の名で恐れられている。街が滅びてから各地を旅したカインは、至る所でその名を耳にした。
業火の魔女が狩人の街を襲ったのは7年前、まだカインが10代の頃だ。街は全盛と言っていいほど栄えていた。憎むべき宿敵である魔女の里を幾つも滅ぼし、その富を略奪した結果だった。
魔女は人間にはない不思議な力を持つが、万能ではない。準備がなければ大したことはできず、数に物を言わせて襲撃してくる狩人の一族に、殆どの里が抵抗虚しく蹂躙された。
だが、驕れる者久しからず。
結局のところ、狩人の一族が発展させた街は、たったひとりの強大な魔女に呪われ、滅亡の道を辿ることになる。
街はほぼ一夜にして炎に巻かれ、瓦礫の廃墟と化したのだ……。
「俺は末端だったし、近い身内もいなかったから、街にも一族にもそこまで愛着はない。むしろ居心地が悪くてよく外に出ていたくらいだしな。あんたに言い訳するんじゃないが、何かと理由をつけて魔女狩りにも参加してなかったのさ」
恋人に関する以外の出来事はよく思い出せるんだ、とカインは虚しく零す。
「俺はあの日も街の外にいて、危うく難を逃れた。だが騒ぎに気づいて戻って来たところで、運悪く魔女に遭遇した……」
夥しい死体の山を築き上げていた魔女は、しかし何故かカインを殺さなかった。
呪われてあれと嘯き、恋人を殺してやったと嘲笑いながら、業火の魔女は慈悲と罰を同時にカインに与えたのだ。
昔語りが終わるまで、リゼッタは口を挟もうとしなかった。
時折、白い獣が哀れむように低く喉を鳴らす。
魔女と狩人の因縁は根深く、爪痕は激しく両者を傷つけた。人の世に過ぎた力を持った魔女と、それを狩り内臓を喰らった狩人は、一度も相容れることなく滅びに至る。
リゼッタは悲しかった。
奪われたカインも、呪わずにはいられなかった魔女も、虚無の淵で溺れる悲しい道化だ。カインは藁をも掴む思いで、失せ物探しに縋ったのだろう。
「つまり、あんたの探し物は『愛した相手の記憶』なのね?」
「え? ああ……ああ、そうだな」
仕方がない、とリゼッタは観念する。
「いいわ。『失せ物探し』の名に懸けて、私がそれを取り戻してあげる」