2.失せ物探し
男が眠りから目覚めたとき、目に入ったのは白い大きな犬の顔だった。
「……っは、っは」
「うわっ……!」
動揺して男が叫ぶ。
犬……に似た獣は、べろんと男の顔を一舐めすると、興味を失ったかのように離れていく。白い獣が向かった先には小柄な人影があった。
「あら、起きたの」
淡々とした女の声に、男は我に返った。
「あ……?」
落ち着いて自分の置かれた状況を確認する。
占い屋か何かの店のような造りの小さな家の中、窓の外は暗い。床に寝かされてはいるが、申し訳程度に毛布が掛けられている。
自分から少し離れて、女が立っていた。ぼさぼさの赤毛を腰まで伸ばした、粗末な服装の女だ。前髪で覆われているため、顔は隠れて見えない。声音から、辛うじて年配でないことだけが判った。
「あんたは」
「迷惑かけないでよね。店の前で死なれちゃあ困るのよ」
男の問い掛けをを遮り、女は冷たく突き放す。
そこでようやく、男は倒れる前の記憶を思い出す。長い旅路で気力が尽き果てており、街に入ってある看板を発見するや気が遠くなったのだ。
女は親切にも見ず知らずの男を助け、店内に保護してくれたのだろう。
そして……。
「あんた! あんたが『失せ物探し』の魔女か?」
「はあ? 何よ、いきなり」
「すまない。それに助けてくれて礼を言う。唐突に悪い……だが、会えて良かった。あんたに頼みがあるんだ」
「はあ?」
赤毛に隠れた双眸を思い切り不快そうにして、女は男を睨めつけた。
「何よ、それ」
「この通りだ」
「え……本気で言ってるの? だってあんた『狩人』でしょう? 魔女に仕事頼むとかあり得ないんですけど!」
拝み倒す勢いの男に、女は不審を露わにする。
男の浅黒い肌と漆黒の瞳、また鍛え上げられた体躯というある一族の特徴から、男の出自を判断したらしい。
――「狩人」の一族。
この辺りで使われた場合その名称は、野や森の獣を狩る者ではない。
端的に言えば、「魔女狩りを生業とする一族」の呼称だ。
「まだ生き残りがいたなんてね」
魔女も狩人もかつては多くいたが、現在はおそらく指を数える程度しか残ってはいまい。過去を知る女はうんざりと息を吐く。
「あんたもだろう」
「私ははぐれなの」
「だからか? 狩人と知って俺を助けたのは」
「いいじゃない。もう終わったのよ。魔女だ狩人だなんて諍い合う時代は……」
女は白い獣の胸あたりにそっと顔を寄せ、寂しげに呟いた。
魔女の里も狩人の街も滅びてから10年と経っていない。はぐれとは言っても身内、悲しく拭えぬ思い出もあるのだろう。男も同様だからよくわかる。
「だったら俺だって、いいだろう? 狩人が魔女に依頼しても。もうそんな時代じゃないんだ」
「……そう、かもね」
「でも今日は駄目よ!」
獣から身体を離してくるりと男に向き直ると、女はきっぱりと言った。
「もう閉店なのよ。依頼なら明日出直しなさいな。街の中央に宿があるから、そこに泊まるのね。向こう隣の『何でも屋』ベンジャミンに言えば、小銭で馬車を出してくれるわ」
「あ……ああ」
仕方なしに男は扉を開き外へと向かう。
「すまない。ありがとう。……俺はカインという。あんたは?」
「……リゼッタよ」
立ち去る前にもう一度だけ振り返ると、赤毛のリゼッタは何故か逃げるように白い獣の後ろに姿を隠した。