第一章 好機到来Zレース
「タイタニックは二度沈む?」
第一章 好機到来Zレース
清水スバル 二月七日 午後一四時一七分
『時は宇宙世紀三百二十年。この世界にはガンダムなんていうロボットもいないし、宇宙人との地球を賭けた大規模な戦争なんてものもなかった。ただ目の前にあるのは、宇宙に飛び出した地球人がただ毎日をがむしゃらに生きているという実に人間くさいものであった。もしもこんな姿を過去の宇宙に飛び出す前の人類が見たならば、落胆せざるえないだろう。しかし、夢は叶った。人類は宇宙に飛び出すことが出来たのだ。そして、宇宙の超空間が生み出す遺伝子への影響により、人類は特殊な能力をもつことが可能になったのである。』
「たいそうな内容のレポートだな。お前はなんだあれか? 神にでもなったつもりか?」
そう言い放って俺のパソコンに記された書きかけのレポートを後ろから眺める女がいた。
「確かに人類は宇宙へと旅立ってからのこの三百年で格段に進化したからな。いつのまにか宇宙空間に生身で出て行くことができるようになった人間や、サイコキネシスを使えるエスパー人間。終いには、進化しすぎて酸素アレルギーでコロニーや惑星で生活をできなくなった人間でさえいる。まさしく君のレポートに書いてある通りだ」
女は俺の時間がないから話しかけないでほしいという無言の圧力を無視して話しかけてくる。どんなやつなのか首を上げて顔を確認したところ、そこにはとても美しい女がいた。
しかし、目の前の女は初対面の相手であったし、突然と話しかけられるような覚えもない。そのため……もしかして俺なんかへんなことでもしたのかな? と、急に不安になってきた。
そんな俺の不安もいざ知らず、女は話し続ける。
「えっと……君の名前はレポートの名前欄に書いてあるとおり『清水スバル』だな? 間違いないよな?」
「俺の名前は貴女の言っているとおり清水スバルです。ですけど、それがなにか? 貴女は人のパソコンを勝手に覗くのは、かなり失礼なことだと思いませんか?」
女は俺の厳しい一言に、髪の毛の毛先をクルクルと弄びながら、考えるように喋りだした。
「悪かった。パソコンを覗いたことは謝ろう。しかし私は清水スバル君に大事な話があるんだ。それなのに、私はその清水スバルという人間に面識がない。どうやって探そうかと悩んだ結果、君の写真を片手に大学内を歩き回ってたところなんだ。そしたら偶然にも君を見かけて、本人かどうか確かめるために近づいたら、ついうっかりパソコンのモニターに目がいってしまったというわけだ」
大事な話とは?
ここにいるのは二人の男女である。当然二人は恋愛をある程度はしていてもおかしくないぐらいの年歳をとっている。これは告白のたぐいの話なのだろうか。
「事情はわかりました。それで大事な話とは? いや、ちょっとまってくれ。その前に名前を教えていただけますか?」
これからさき付き合うかもしれない女性なのだ。名前ぐらいは知っておかないと不都合かもしれない。
「あー私の名前か? 名前は『法月楓』だよ。君のゼミの教授のところで、たまに活動させてもらってる大学院生の楓だ。覚えた? 呼び方は適当に頼むよ。それで私は君のことをなんて呼んだらいい?」
ゼミの先輩か……。大学院生ってことは最低でも大学二年生の俺より二歳以上年上だ。呼び方に関してはゼミの先輩というなら、それなりに馴れ馴れしくても大丈夫だろう。俺は楓さんと呼ぶことに決めた。
「それじゃあ俺は楓さんと呼びますんで、そっちはスバルって呼んでもらえますか?」
「わかった。私は君のことをスバルと呼ぶよ。それではスバル、大事な話について説明する。君のこれからの人生を大きく左右するかもしれないから心して聞いてほしい」
結婚を前提にお付き合いをという話なのか? さすがにそれはどうだろうか。
楓さんの容姿は可愛いか可愛くないかで言うと、学年で五本の指に入るぐらいのレベルではないだろうか? しかし結婚ともなれば性格だって大事なことである。
俺のゼミの教授は一言でいえば変わり者である。そんなところに長年通っているとなると、この楓さんもかなりの変わり者ではないだろうか?
俺の物色するような目線を感じたのか楓さんが話しかけてきた。
「そんな人を観察するような目で見ないでくれよ。スバルにとっても有意義な話だ。スバルはそのレポートを教授から突き返されて、単位がとれなくて焦っていたのだろう? それなら私の仕事を手伝ってくれないか? もし手伝ってくれるなら単位の件は私から教授に上手いこと話を通しておこう? どうかな?」
「単位の件は助かります。確かに俺はこの単位を落としてしまうと、この春休みがあけたとき、留年をしてしまい一つ下の学年と一緒になってしまいます。でも、残念なことに、俺は先日バイトをクビになりまして、生活費を稼ぐためにバイトを探して働かないといけません。だから忙しくて、楓さんの言っている仕事を手伝うことはできないんです」
「お金が必要なのか? ならちょうど良かった。私の仕事は給料を出すぞ? そうだなぁ……まだ取り分の話をしていないし、いくら入ってくるかもわからないし、はっきりと言うことはできないんだが、だいたい二週間で百万円だ。悪くはないだろう?」
楓さんの話にはいかにも裏がありそうな気がした。二週間で百万円なんて真っ当な仕事ならありえるはずがない。俺の内臓でも売るつもりなんだろうか?
「仮にその仕事を俺が引き受けたとして、俺の仕事内容について教えてもらえますか?」
「そんなに難しい話じゃないんだ。一緒にZレースに出場しよう」
はっっっっっっっっ?
心の中でコロニーを三周するぐらいのことを言われたような気分だった。大事な話の内容は予想とは違い告白ではなかった。それどころか命の危険すら発生するZレースに出場しろだと?
「楓さんわかってるんですか? Zレースはとても危険なレースですよ。毎回レースごとにたくさんの死者やけが人が出ているし、どう考えても俺には無理ですよ」
「もちろん危険なのはわかってる。でも危険なのに誰もZレースをやめようとしない。なぜだかわかるか? それだけZレースは魅力的なんだよ。賞金はたった一回のZレースでサラリーマンの年収を遙かに上回るし、上位になれば名誉だってある」
「それは知ってますよ。Zレースは世界的に有名な公営ギャンブルですし、俺も有名なZレースのテレビ中継を何度も子供のころから見てます。でも、俺がZレースに参加する必要性はないでしょう?」
「スバルに出ようといってるのは、私なりにしっかりとした理由があるんだ。スバルにしかできない理由っていうのがな」
理由とはなんだろうか?
学問の話なんてことになると、俺がこの時期に単位が取れずに進級を焦っていることを知っているのだ。期待できないことぐらいは楓さんだってわかっているだろう。
そうなると、運動神経? もしくは特殊な能力ということだろうか?
しかし、残念ながら俺は、いたって普通の一般人である。ましてや先日、アルバイトで働いていた運送会社の宇宙船をぶっ壊して解雇された人間だ。不器用なことは正直認めざるえない。
そんな俺に何を楓さんは期待しているのだろうか? 俺には考えてもわからない。
それよりも気になるのは役割だろう。Zレースに参加するチームメンバーにはいくつかの役割がある。
有名なのは『アタッカー』だ。アタッカーとはレース中に敵チームの高速宇宙船を妨害する役割のこと言う。主に重火器の使用に優れた人が担当する役割だ。当然、俺はこの役割じゃないだろう。
そうなると、ほかの役割は『監督』『メカニック』『ディフェンダー』『オペレーター』などいくつもある。
その中でも1番の有名どころでいえばレースの花形であるパイロットだ。しかしこのパイロットという役割がこれまた曲者で、アタッカーに狙われまくるもんだから死傷率が高い。
最悪Zレースに参加することになってもパイロットだけは避けたいものである。
「Zレースに俺が出場する理由と、俺の担当する役割について教えていただけますか? 先に言っておきますけどパイロットは俺には無理だと思いますよ」
「理由? 理由はスバルの名前だ。詳しくは仲間になってもらってからでないと話すことができない。役割に関しては残念ながらスバルにはパイロットをやってもらう。もし操縦方法がわからないというなら気にしなくていいぞ。今回の私たちの使用する高速宇宙船の操縦はフルオートだからな」
俺の名前? 下の名前がカタカナなのは少し変わっているとは思うが、今の時代なら気にするほど変わった名前でもないし、なにか別の理由がありそうだ。そうなると、きっとなにか別の理由があるに違いない。しかし本当の理由を言ってくれそうな感じにも思えない。
役割に関してもパイロットだと言われた。正直、やりたいか、やりたくないかと言われればやりたくない。でも、単位がもらえるという条件と、まとまったお金が短期間で入るという条件は手放し難い。
「考えさせていただけますか? こんなチャンスは人生に一度あるか、ないかだと思うんです。リスクも報酬もでかいわけですからね」
「時間をかけて考えたいという気持ちはわかる。でも残念ながらだめなんだ。明日が私たちのチームが参加を考えているZレースの出場登録最終日だ。だから時間がない」
「そんなこと言われたって、命がかかってるんですよ?」
「どうしても私たちのチームにはスバルが欲しい。美人にこんなこと言われたら来るしかないだろ?」
自分で美人っていうのかよ……。
でも、このままだと進級もできないし、この不況の世の中お金がどれだけあっても足りないのは事実だ。俺の心の天秤は大きく揺れまくっていた。そのとき楓さんの痛恨の一撃とも言える一言が聞こえた。
「メカニックも美人だぞ?」
俺は気づいたときにはZレースへの参加を承諾していた……。
清水スバル 二月七日 午後一四時二十三分
楓さんからは、詳しくは後日説明すると言われ、置いてきぼりにされた。そのためレポートを書くという予定はキャンセルして、自分なりにZレースを調べてみることにした。それにしてもZレースは調べれば調べるほど、よく出来たゲームだと関心させられる。
Zレースは政府が公式に開催する公営のギャンブルである。一見すると宇宙船に乗って宇宙に散らばるスタート地点からゴール地点までを競争するという単純なルールであるものの、奥が深い。
レースを見る人も行う人も多額の金を賭けて戦うことになる。それゆえに必死にならざるえないのである。
Zレースの内容をパソコンで調べてるという選択肢もあったが、どうせなら詳しい人に聞いたほうがいいと思った。ここは一つ友達というものを頼ってみることにする。
「ってことで、犬飼に来てもらったんだが、Zレースについて詳しく教えてください」
友達の犬飼を頼ることにして、呼び出したら五分もしないうちに来てくれた。体が大きく初対面なら絶対に格闘技をやってると勘違いされる男である。そんな犬飼が俺の話を聞いて、言った言葉はある意味予想通りの言葉だった。
「スバル、お前おかしいよ? 今すぐパイロット辞退するって言ってこいよ」
Zレース賭博で、お金を賭けて生活を切り盛りしている犬飼はやはりZレースの現状についてわかっているのだろう。だからこそコイツは俺のZレース参加に反対なのだ。
「そういうなって。俺にもいろいろと理由があってのZレースのパイロットなんだ。だいたいギャンブルで生活しているようなやつに、俺のことを注意できるような資格はないだろ?」
「別に好きで僕だってギャンブルで生活をしてるわけじゃない。それぐらいスバルだって知ってるだろ?」
犬飼とは中学のころからの付き合いで、高校まで一緒だった。
しかし、高校の卒業のときに、犬飼の親父が仕事中のミスで多額の借金を負ったため、両親は夜逃げした。残された犬飼には多額の借金だけが残った。結果的にそれが原因で犬飼は入学の決まっていた大学に行くのをやめて、仕事をすることになった。
しかし、借金の額は予想以上に多く、犬飼が普通に働くだけでは返せないものであった。そのためギャンブルにて一攫千金を稼ぐしかなくなったのである。
「そりゃあ理由ぐらい知ってるさ。親友だからな。だからって頭から否定しないでもいいだろ? ダメだと思う理由を教えてくれよ」
「危険度の問題についてはスバルには言わなくてもわかるよね? Zレースに参加した船の撃墜率は約十パーセント。撃墜されると、そのうちの二割は死んでるんだよ? 賭けるほうならともかく参加するほうなんて言語道断だよ」
「それをいうなら犬飼だって知ってるか? 年間の自殺者の三分の一はZレースの賭博による借金が原因だ。お前だって多少のリスクを負っている点は一緒だろ?」
先ほどパソコンで調べたときに、Zレースに関する負の情報を取り扱うサイトを見つけた。そこに載っていた内容を嘘か本当かはわからないが言ってみる。それに対して犬飼の反応は……。
「三分の一じゃないね。三十八パーセントだよ。四捨五入で四割。確かにリスクを負っている点では一緒かもしれない。でも、スバルは僕と違ってリスクを負う必要がないだろ? たかが単位と進級じゃないか」
たかが単位といわれれば、確かにその通りなのかもしれない。だが、ここであきらめていいものだろうか?
俺は大学に入ってからというもの……いや、大学に入る前からもずっとただ流されるままに生きてきた。ここが人生の分岐点だということは、誰の目から見ても明らかである。
いつもの俺ならここで素直にZレースを辞退するだろう。しかし、自分自身を変えてみたいと思う自分がいることも確かなのである。どうすればいいのだろうか?
「迷ってるみたいだね。スバルの顔、けわしくなってるよ? 俺が大学に行かないっていったときもそんな顔したてよ。これは親友だからこそ言ってるんだ。Zレースを辞退するって言ってくれ。そういってくれればスバルの角が立つようなことには僕がさせない。あとは僕がその楓さんとやらにも話をつけてくるからスバルは何も心配しなくていい」
目の前に提示されたのは親友からの甘言。
ここで犬飼に辞退すると言えればどれだけ、楽なことだろうか。犬飼の話を聞いているとZレースにパイロットとして参加することがどんどんと不安になる。顔を上げて犬飼と目があったとき俺の気持ちは決まった。
「わかった。犬飼がそこまで言うなら俺はZレースを辞退する。だが、俺は別に犬飼に頼ろうとは思っていない。ただZレースの参加をしないと楓さんに言いに行くだけなんだ。それぐらいは俺にだってできる」
俺の決意を聞いた犬飼は少し、顔を下に向けて言った。
「なんか悪い……。もしかしたらスバルの人生が変わる大切な選択肢だったのかもしれない。それを僕が決めてしまった……」
「気にするなよ。俺はそんなことで後悔なんてしないし、犬飼のことを恨んだりなんてこともしない。だからさ、ちょっと今から楓さんのところに行ってくるよ。断るんなら早いほうがいいだろうしな」
「行ってこい。帰ってくるまでここで待ってるからさ、終わったらメシでも食べにいこうぜ? もちろんスバルのおごりで」
「だからお金がないんだって。そんじゃあ行ってくる」
犬飼の最後に見せた顔は安心していた。
俺がZレースに参加しないってのがやっぱり友達として嬉しいのだと思う。友達を賭けの対象にするのも嫌だろうし……。
そんなこんなで、楓さんの話を聞いてから十五分もたたないうちに俺は電話で楓さんを呼び出していた。
楓さんもまだ近くにいたということですぐに来てくれた。そして悪いと思いつつも楓さんにZレースの辞退を言うことにした。
「申し訳ありません。俺、やっぱりZレースには参加できません」
「理由は? どうしてだ?」
「理由は正直に言うと、俺の親友にZレースに詳しいやつがいるんです。そいつと話し合った結果なんですが、危険だから参加できないという結論になりました」
「そうか、残念だよ」
楓さんは最初こそ顔が固まっていたが、すぐに俺の辞退を引き受けてくれた。
「今回、辞退する理由はそれだけか? ほかにはないのか? もっとお金がほしいとか……私のことが信用できないとか……」
「そういうのじゃないんです。女々しいって思われるかもしれませんが友達に止められたってのが理由です。申し訳ありません」
「わかった。それじゃあ私は用事があるから失礼するよ」
楓さんは最後に不思議な笑い方をして去っていった。その表情からはまるで俺が参加せざるえない切り札でももってるんじゃないかと思わせる何かがあった……。
何かがあったのだ……。