廃駅
電車は、まだ来ない。
無人駅のベンチに僕等は二人、互いの視線が交わる事もない。
寂れ果て、錆びれ果てた駅舎は北の風に吹かれて、軽く呻き声をあげる。
僕は上着のポケットに両手を突っ込んだ。でも直ぐに、その中で覚えた感触に右手を出して、そしてそれをそっと僕と、彼女の大きな鞄との間に置いた。
それは冷やかな木板にコロンと落ち着きながらも、物寂しげに僕等を見上げてくる。
清涼な寒さから逃げるように、僕は再び右手を突っ込む。
「それ、あげるよ」
僕の声から少しの沈黙の後、彼女は遠くを見つめたまま、それを僕の元に戻した。
「ううん、いらない」
まっさらに、分厚い雲が空を覆っている。陽は覗かない。
それから少しの時間が経った。
僕はそれを二人の間に置いた。
「それ、あげるよ」
しばらく間が空いてから、彼女はそれを返してきた。
「ううん、いらない」
吐かれた息は、あっという間に冷気へ溶け込んでゆく。その影は残らない。
その後、もう電車がやって来るのではと思う位に、時間が経った。
「それ、あげるよ」
丁度中間に置かれたそれは、やはりしばらくしてから帰ってきた。
「ううん、いらない」
ポツリと、零れ落ちるような彼女の声を聞いた途端に、僕は不意に満足感を得た。
「そっか」
見上げると、気付けばここは燦然とした銀世界だった。いつからか、一面がスノードームに包まれていて、小さなパノラマとなっている。
彼女の肩には薄っすらと粉雪が積もり、僕の肩には重々しい粗目雪が人差し指ほど積もっている。けれども、不思議と凍えは感じない。
あっと言う間も無く、吹雪は僕の感覚を覆い尽くした。彼女の顔も、姿も、何も、掻き消されてしまった。もうこれから先、彼女を見る事は無いだろう。こうして、彼女は一人旅立ってゆく。
やがて舞い降る雪雨はカーテンを模り、いつまでも、僕を白銀の世界へと閉じ込める。
最後に一度、彼女の名前を呼んでみる。
発した惜別は、聞こえることなく雪を降らせ続ける。
電車は、まだ来ない。
『廃駅』、様々な解釈が生まれると思いますが、執筆した私自身の解釈(?)としては、タイトルに割りと狂気性を感じる今日この頃です。