誰は、惑ふ-記録・4頁目-
そんな彼の言動を、入室当初より唯一座っていた相手は鼻で嗤った。
「人聞きの悪い事を言うな、剱。私はただ、名前を呼んだに過ぎん」
「禮さんは存在自体が怖いんですよ。ここにいるだけで充分意地悪してますって」
「・・・・・・・・・・」
密を捉えて離さなかった眼鏡の奥の双眸が、この時初めて外される。向かう先は見下ろす形となった彼であり、意識を向けられていなくともその色素の薄い瞳が宿す冷酷な輝きに、密の背を流れる冷や汗は消えなかった。
肌に触れる空気が痛い。未だ失われない死を前にしたような緊張感に、身体全体が恐怖を叫んでいた。正常に動かない肺が適当な酸素を補充せず、心臓が悲鳴を上げている。
喉が渇く。耳鳴りが五月蠅い。
「―――…ッ!」
疾走していた心臓が、一瞬にして止まった。
それ程までに、背に髪を流して向けられた瞳は、美しかった。
「ほら、事実彼も怖がってるじゃないですか。かわいそー、固まってますよ」
彼の銀眼に己の姿が映ったのはほんの数秒の出来事だったろう。すぐに戻されたその瞳が視認するのは眉間に深い皺を刻み、更に眼光に鋭さを増した禮の姿だ。
二度も彼に魅了された己の存在など、この世界では道端に転がる石ころ程度の価値もない。