誰そ、彼は-記録・33頁目-
知っているのならば、何故、彼は敢えて自分に呪式を展開させようとしているのだろう。
あんな事件が、あったのに。
「道化師はなんだって知っている。じゃなきゃ人を笑わせたり、驚かせたり出来ないでしょう?」
「剱…さん……」
「調子が悪い時なんて誰にだってあるよ。たった一度の失敗で、自信を失うことなんてないんだよ」
慰めの言葉ではないだろう。彼はただ、己の経験から導き出した事実を語っているに過ぎない。
けれど、密はそれでも首を横に振る。
失敗などと、そんな言葉で全てを片付けられるようなものではないのだから。
「僕は……」
「たとえそれで、君が誰かを傷付けてしまったのだとしてもね」
驚く心さえ、麻痺していた。
彼は言った。全てを知っていると。ならば、いくら過去を語ったところで、それはただ共通の事実認識の確認に過ぎない。
伝えるべきなのは、世界の記憶ではないのだ。
「――…怖いんです」
左眼に触れていた手に、僅かな力を篭める。
今まで誰にも語ってこなかった心を、密は目の前の、会って僅かな時間した共有しなかった相手に吐露していた。
「また、傷付けてしまうのではないか、と…。自分の体内を廻る力の強大さが、ただただ――…恐ろしい」
声音が震える。言葉にすると同時に膨れ上がった恐怖に呑み込まれまいと、密は己の身体を掻き抱いた。