誰そ、彼は-記録・32頁目-
「密君?」
「――剱さん」
訝しげに己を呼ぶ彼を遮るように、密は口を開く。
「僕は――…出来ません」
小首を傾げてこちらを見てくる剱の瞳を、ゆっくりと伏せていた顔を上げた密は正面から受け止めた。
階層階級の掟が骨身に染みているはずの己が拒絶の言葉を紡いでいるこの状況を、冷静に嗤う自分が頭の片隅にいた。
「自分には無理です。霹術も、閃術も。今の僕には、展開出来ません」
明確な意思を示して見せる密に、腕を組んだ剱は視線を彼方へと投じる。唇に指を当て、考える素振りの彼が機嫌を損ねた様子はない。
しばしの沈黙。檻の中にそれは溜まり、やがて澱み、その場に存在する者の心の侵食を始める。
不安。
「でもねぇ、密君」
衣服を通り抜けて、ゆっくりと肌から侵入を始めていた不安という名の感情を、不思議な声が掻き消してしまう。
「君は確かに使えるはずなんだよ。天空の神の力をね。雷を操る霹術。光と熱を操る閃術。火解の応用展開呪式。その構築式を、君は組み立て、制御する事が出来るはずなんだ」
「いえ、自分は……」
「その左眼かな」
耳朶を叩いた一言に、左眼を覆ったのは半ば無意識な行動だった。
「知って……」
「知っているよ。全部ね。だって、僕は道化師だもの」
その微笑みが、一度として消えることはない。