誰そ、彼は-記録・31頁目-
微かな耳障りな悲鳴を上げて開いた扉から出た屋上からは、茜色に染まり始めた空が見えた。落下防止用のフェンスで囲まれた屋上は、渡る風すらも四角い囲いの中に閉じ込めてしまう檻のようだ。
閉じ込められ、渦を巻く風と戯れているかのような軽い足取りで硬質な床を進んでいくその背を、密は追うしかなかった。数歩で縮めることの叶う距離を保ちながら、広大な虚空の下に身を晒す。
ここに辿り着くまでの短い道中、彼は一度として口を開かなかった。先程までは流れるように言葉を紡ぎ出していた唇が閉ざされたままという状況は、それが当たり前となる時間を経てきた訳でもないのに、何故か密を不安にさせた。
二人の間に空いた僅かな空白に落ちる沈黙が、重い。
前を歩いていた剱が立ち止まったのは、丁度密が屋上の中心に差し掛かった頃だった。振り返った彼の流した髪も、こちらを見遣るその瞳も、やはり美しいと思った。
「それじゃあ、密君。僕の部屋で言った通り、君の呪式を見せてもらおっか」
開かれた唇から紡ぎ出した声音は軽い響きで、彼が喋った事に安堵する余裕は、密にはなかった。
向けられる、無邪気な子供のような純粋な笑みから、密は逃げるように視線を外す。落とした視界に薄汚れた屋上の床が映り込み、空への帰り方を忘れてしまった水溜りに顔を歪めた己がいた。
いつ、雨など降ったのだろう。