誰は、惑ふ-記録・27頁目-
「あれー?そんなに可笑しな事だったかなぁ」
驚きと困惑をない交ぜにしたような表情をする鷹秘に対して、ふと剱は、妖艶さを含んだ笑みを浮かべて見せた。
「君は君として、この世界に存在しているじゃないか。だったら、僕が、君という個を示す名前を知っていたとしても何ら不思議なことじゃない」
彼の纏う雰囲気が世界に影響を及ぼすのなら、それは絶大な効力なのだろう。
妖艶な笑み。
甘美でありながら何処か硬質さを合わせ持った声音。
視覚と聴覚の支配は、それは脳を浸食する。彼という存在に、己が呑み込まれる。
「なあんて、ね」
緩い笑み。
軽い口調。
自己と他者の境界線が戻ってくる。
「密君の学生時代の記録を読んでいたら、君の名前と顔写真が出てきたんだ。それで知っていただけ」
彼の部屋のテーブルの上に散らばっていた紙の束を、密は思い出す。
鬼桜学園で過ごした全記録があそこにあるのなら、一時とはいえ背中を任せた彼の情報が載っていたとしても何ら不思議はなかった。
「種も仕掛けもありません。マジックじゃないからねー」
あはは、と軽く笑い声を上げる剱を注視したまま、鷹秘は動けなかった。
捉えどころがない。目の前にいる存在を、理解出来ない。
雲のような存在だ。
自分の配属先の先輩師員達は、口を揃えて彼をそう喩えた。
けれど、違う。
常に傍らにありながら、決して掴めないもの。何処からきて、何処へ去っていくのかわからないもの。
雲ではない。
彼は。