誰は、惑ふ-記録・26頁目-
「剱…さん……」
多くの視線が集まったのは一瞬だけだ。他の意識と世界を共有したのはほんの数秒で、既に閉じてしまった空間で、密の耳に届く己の声は掠れていて聞き取りづらかった。
それでも、彼には届いたようだ。驚きを表した表情のまま固まっている鷹秘から動かされた月の中に、呆けた顔をした密が映り込む。
「どうしたの?密君。そんな、幽霊でも見たような顔をして」
「あ…いえ……」
二人からしてみればそんな台詞を笑顔と共に語る彼が幽霊そのものだ。
本当に、彼はいつからその場所に座っていたのだろう。
声が聞こえるまで、その存在に気付けなかった。
「うん?」
言葉に詰まる密の様子にいぶかしむ様に首を傾げるもそれ以上の追求はなく、彼の瞳は再び鷹秘へと戻されてしまった。
「友達思いなのはいいと思うけどねぇ。でも、相手を見極めるのも大切だよ?鷹秘向陽君」
氏名を呼ばれ、鷹秘はようやく失った時間を取り戻し始める。
茶色の瞳を見開くと、童顔がより際立った。
「どうして、俺の名前を……」
十番台の師団に所属する、しかも新米の小僧の名前など知っている者は数える程しかいない。これが、頂点に座す蒼天や、或いは第弐師である月読や第参師である天輪配属ならば他の師員の口に上る回数も増えるだろうが、末席に連なる十四師では、もし話題となるのならばそれは、仕事で命を落とした時くらいだろう。
それを、目の前の彼は知っている。同じ棟で生活する師団の構成員だからか。それでも棟の中でも三階は十三師、四階は十四師、五階は十五師と、それぞれ割り当てられている。
第一、他の師に所属する師員をわざわざ覚えている必要性などないのだ。