誰は、惑ふ-記録・17頁目-
一段目に足を掛けたまま、相手が振り返る。立ち止まった彼の許まで小走りで辿り着いた密は、不思議そうに斜め下から見上げてくる銀眼に困惑の表情を浮かべて見せた。
「剱さん、僕は……」
「おい、剱!」
自由奔放らしい上司に意見するという、やっと手に入れることのできた絶好の機会はしかし、廊下から響いた太い声に奪われた。
当然の如く、剱の銀眼は己を呼んだ声の主へと向けられる。肩を怒らせて大股で近付いてくる長身の男性の様子に、その切れ長の瞳が僅かに瞠られる。
「あらら、珍しい。僕に何か用ですか?秋さん」
「用もないのにお前のことなんか呼ぶかよ」
馬鹿にしてんのか、と。
密の隣に並んだ、師団長の証である徽章を黒の制服の胸元に光らせた彼は、憤然と腕を組んだ。
密も成人男性の平均を超える身長を有しているが、目線の高さに秋と呼ばれた男性の肩がある。長身と超長身の二人に見下ろされる形になっている剱が、元より小柄な姿がより一層小さく見えた。
「いやだなぁ、秋さん。わざわざ僕に会いに来てくれたんでしょう?相変わらずの、ツ・ン・デ・レ」
今まで交わされた一言会話から、どうしてそういった応えが出てくるのか、密にはまるでわからなかった。少なくとも、傍らの彼には剱に対する友愛の念は感じられない。
案の定、元より怒気を立ち昇らせていた彼の体が、息を吸い込むと同時に一回り大きくなったように見えた。けれど唇が開かれることはなく、密が空気の流れを感じた時には全てが終わっている。
「…っと」
密が瞬きをした、その一瞬の出来事だった。
彼が見たのは、突き出される拳の残像ではない。鍛え上げられている秋の手首に絡みつく、細い指だ。