誰は、惑ふ-記録・14頁目-
八角形の天楼閣の北東の位置に建つ、通称艮館と呼ばれる六階建ての建物とを結ぶ渡り廊下に響く足音はない。雨を遮る屋根はあれど、吹きさらしのその回廊から逃げた音は蒼穹に溶けて消える。
「あぁ、ごめん、ごめん。僕の聞き方が悪かったね。君は、何の術を一番得意とするの?」
足音を攫って行く風についでに流されてきた、そんな感じの声だった。手を伸ばせば触れられる所にその背はあるのに、空気を介して耳に届くその声が酷く遠いもののように思える。
言い直された問いへ、密は僅かに返答に窮する。
己の呪力の属性は、火。本来ならば火属性の中でも最も得意とする呪術を記すはずの欄は、しかし密のそれに限っては空欄になっているはずだった。
「最も基本的なのが、炎そのものを操る《焔術》だよね。これは呪式展開できる……なんて訊いたら、首席卒業の君には流石に失礼に値するかな」
返した沈黙は僅か数秒だったはずだ。過ぎ去って行った刹那の時間を惜しむかのように、決して歩みを止めない彼が続けて口を開いてくれたことは、正直言って密には有難かった。
丑館に続く観音扉を開けて中に入ると、拡散していた足音が四方を封じる無機質な壁に反射して聴覚を刺激する。
「焔術の応用で爆発を操る《炸術》も……展開可能かな」
「…はい。そこまでは、間違いなく」
必要最低限な応えを返しながら、一段一段上がっていく階段に視線が落ちる。
「そっか。じゃあ、問題はその先だね。火解の特異転換呪式、《霹術》と《閃術》」
足音が止まる。
伏せ気味だった顔を上げると、流れた絳髪が視界の端を掠めていった。
「ねぇ、密君。君、どっちの呪式も展開できるんじゃない?」
疑問型でありながら確信を含んだ問いと、真っ直ぐに見据えてきた銀眼に。
息が、止まった。
「そ…それは……」
酸素を拒絶する肺に、それを生命力とする体が悲鳴を上げる。司令塔である心臓の音が耳障りで、言葉に詰まる密に、けれど彼はすぐに視線を前方に戻してしまった。