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6 未来へ

『結衣ちゃん、今度ご飯にいかない?』


 それは、ママ友からのお誘いの連絡だった。母親学級で知り合い、近所だということもあって出産した後も何かと声をかけてくれる友人、佐伯。


『子どもたちも連れていけるいいお店見つけたの』

『ぜひ』


 結衣の場合、実家にもそうそう頼れない。こういうところでのつながりは、大事にしておきたかった。自分自身のためというよりも、華のために。


「華、今度、直さんたちと遊びにいこうか」

「んー? だぁれ?」

「ママのお友達。ほら、はるとくんとかひなたくんもいるよ。覚えてない?」

「んー?」


 しばらく会ってないせいか、華の記憶にはないようだ。それでも、会ったらいつもみたいに遊ぶのだろう。

 保育園以外にもこうした友人を作ってあげたい。そんな願いは、母親のエゴなのだろうか。




「結衣ちゃん!」

 元気に手を挙げる姿に、結衣も軽く手を挙げて答える。


「久しぶり~! 元気だった?」

「はい。直さんも元気そうでよかったです」

「うんうん、よかったぁ!」


 いつも通りの元気の良さに、思わずホッとする。


「あ、子どもたちのことは、今日は旦那が見てくれるから。2人でお喋りしよ!」

 そう言った彼女の少し離れたところで、2人の男の子たちを連れてこちらに駆け寄ってくる男性。


「結衣さん、お久しぶりです」

「お久しぶりです、陽介さん。はるとくんと、ひなたくんも」

「こんにちは!」

 兄弟の元気な返事に微笑み、娘を見る。こちらは、相変わらず隠れていた。


「華、こんにちは、は?」

「んーん」


 何度も会っているのに、しばらく会わないせいか毎回これだ。少しすればすぐに打ち解けるのだが、それでも最初からこれでは申し訳ない。


「いつもすいません……」

「大丈夫ですよ。華ちゃん、あっちで遊ぼうか」

「あそぼ!」


 佐伯の夫とその息子たちに連れられ、華はキッズスペースへ行った。大人の男性に人見知りするが、歳が近い子に誘われると一緒に遊びたいという気持ちが勝つのだろう。


「ここ、いいでしょ。外で遊べるスペースもあるし。都会にここまでの設備があるカフェって少ないよね」

「近くにこんなところがあるなんて、知らなかったです」


 佐伯と話しながらも、やっぱり視界の端で華の姿を追っていて。落ち着いて話すために佐伯は誘ってくれたのに、と申し訳なくなる。


「育児ってほんと大変だからね。たまには息抜きしないと」

「いつも誘ってくれて助かってます。華と離れることって、仕事以外だとほとんどないから」

「うんうん。うちの旦那でよかったら、いつでも使って。子ども相手なら慣れてるし」


 そう言って、2人揃ってキッズスペースを見る。そこには、もう打ち解けておもちゃで遊ぶ華と佐伯兄弟の姿が。ここまで来れば、少しは安心できる。佐伯陽介が見守ってくれていることに安堵し、紅茶を口にした。


 口に広がるまろやかな甘みに、ホッと息をつく。すっと肩から力が抜けた気がした。

 それを見て、直は察しているかのように微笑む。


「結衣ちゃんは真面目なんだよね。もうちょっと力抜いてもいいのに」

「……華にはわたししかいないから。どうしても、わたしがしっかりしないとって思いますよ」

「そっかぁ」


 結衣の真剣な話も、彼女は真面目な顔をして聞いてくれる。だから、数少ない相談相手でもあった。


「華ちゃんのお父さんって、どんな人だったの?」

「……ぇ……」


 思わず小さな声が漏れた。


「旦那さん? というか、華ちゃんのお父さん? がどんな人か、聞いたことないなって。一緒に暮らせない理由があるんだろうし、軽々しく聞いていいかも迷ってたんだけど」

「え、っと……」


 どう答えればいいだろう。言葉に困る。それでも、彼と特定できるものだけは外して、

「……優しい人でした」

 とだけ答えた。


「そっか」

 彼女は、ただ静かに受け止めてくれた。


「その人は、結衣ちゃんの気持ち、知ってるの?」

 ズキン、と心臓が痛んだ。胸に深く突き刺さる言葉に、思わず涙が溢れる。


「わ、ごめん、ごめん。変なこと聞いたね!」

 直は慌てて布巾を渡す。その布巾で目元を拭った。


「……すみません。こんな……」

「大丈夫だよ。ママだって、泣きたい時あるもんね」

 泣くつもりなんてなかった。もう平気だって、もう彼は過去の人なんだって、わりきれたと思ったのに。


「忘れたいんです」


 ひとこと、紡ぎ出す。 彼女の言葉で泣いておいて何も説明しないわけにはいかない、と思った。


「もう、会えないから。でも……どうしても……」

 忘れられない。家の中には、彼を思い出させるものが多すぎて。そうじゃなくても、華の存在が、彼の忘れ形見のようで。


「そっか」

 直の手が、結衣の頭の上にあった。柔らかい手が、優しく頭を撫でてくれる。それは、幼い頃の母の手を思い出させて。余計に涙を増幅させた。


「ごめんね。ちょっと踏み込みすぎたね」

「いえ……」


 彼のことについては、誰にも言ってない。ママ友にも、昔からの友人にも、両親にさえも。だから、ここで話せたのは、よかったのかもしれない。


「じゃあ、再婚とかも考えられないよね」


 彼女の言いたいことはわかる。華のことで頼れる人を増やせ、ということだろう。

 母親が「子どもには自分しかいない」と思うことで追いつめられる場合がある。その危険性も、母親学級の時に聞いた。


 わかっているのに、やっぱりその気持ちからは逃げられなかった。


「……少し、考えてます」

 だから、彼女は答えた。


「華のために……、そういうことも、考えた方がいいのかなって」


 娘の成長に両親揃っていた方が、という思い込みが強いわけではない。片親だって十分立派に子どもを育てている人がいることを、結衣は知っている。


 それでも、やっぱり娘に、父親という存在を教えてあげたくて。

『父の日の絵、華ちゃんだけ描けなかったんです』

 保育園で教えてもらった状況に、娘の気持ちを思うと、苦しくなった。


「一区切りついたら、でいいんじゃない?」

「……でも、華が」

「ママが辛そうな顔で婚活する方が、華ちゃんも嫌だと思うよ。華ちゃんには、結衣ちゃんの笑顔が一番だもん」


 その言葉が、温かくて。でも、その言葉に甘えてしまいそうになる自分に、少しブレーキをかける。華のため。その言葉が、重く心に響いた。




 再婚という言葉は、意外と軽いと思う。一歩踏み出せば、すぐそこにあるような、そんな感じ。

 子連れの再婚というのが大変だということは知っている。だから、その感覚は現実味がないのだろうと思っていた。どこか遠いものとして考えている証。


 でも、実際は現実的な話でもあって。だって、再婚した方が娘のためになるというのは、はっきりわかっているのだから。


 あとは、結衣の気持ちだけ。そう思っているのに、あと一歩踏み出せない。足を引っ張るその何かは、部屋に飾られた家紋のタペストリーだろうか。それとも、彼が好きそうだと思って買った置き物だろうか。

 わからない。でも、それらすべてを捨てるという決断は、まだできなかった。


「ねぇ、華」

 生まれた頃から変わらない寝顔に、そっと問いかける。


「ママ、どうしたらいいかな」

 なんて、娘に聞くものでもないのに。


 今は、決めたくない。それがきっと本心なのだろう。


 毛布から出た小さな手を毛布の中にしまってあげて。頭を撫でてあげれば、子どもらしい温もりのある頭にふっと笑みがこぼれる。


 不安な顔なんてできない。華が笑顔でいるには、自分も笑顔でいなければ。どんなに不安でも、怖くても、笑っていなければ。それが母親なのだから。


 そう信じて、寝室を出た時。

 スマホがメッセージの着信を知らせて震えた。


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