31 準備
「華、今日はいい子にしててね」
家族3人で歩きながら、結衣は何度目かわからない言葉を口にする。
「んー? はな、おるすばん」
「うん、お留守番ね」
大きなバッグに、華が好きなおもちゃをたくさん詰めた。退屈することはないだろう。
「パパもおでかけ?」
「うむ。結衣ひとりにはできんからな。華はいい子にできるであろう?」
「はな、いいこだよ」
信長の独特な言葉遣いにも慣れてきた華が、ごく自然なことのように答える。
そして、着いたのは、大きなマンション。ここの一室に、悠真の住居がある。
「はながぴってする!」
ボタンを目にすると、華は即座に反応した。
数字はまだわからないだろうから、部屋番号だけは結衣が押して、呼び出しボタンを華に押してもらう。
「ぴってした!」
「できたね」
それだけでも、華は満足してくれた。
『入ってー』
インターホンから弟の声がして、自動ドアが開いた。
「あれぇ? はながぴってしたから?」
自動ドアが開くというひとつの動きだけでも、華には不思議なことのようだ。
「不思議だね」
結衣はそう同調してあげる。
「結衣、どうなっておるのだ。つくりがわからぬぞ」
対して、信長もやや興奮していた。
「悠真の方で自動ドアが開けられるボタンがあるんです。住人の許しを得た人だけが入れる仕組みですね」
「なるほど。これは良いな。防御に向いておる」
「戦国時代に持ち込むには、少し難しい技術だと思いますけど」
そんな話をしながらエレベーターに乗って、悠真の部屋へ。
部屋の前の呼び鈴も華に押してもらうと、
「はーい」
悠真が出てきた。
「おじちゃん」
「よう、華」
悠真に撫でられるのを、華は嫌がったりしない。
「今日はよろしくな」
「うん」
まだよくわかっていない華が、コクンと頷く。
信長が玄関に下ろすと、華は叔父の方へ行った。
「じゃあ、よろしくね」
「了解。何かあったら連絡するから」
「華、行ってくるね」
「ばいばい」
ごく自然だった。嫌がることも、寂しがることもなかった。保育園で慣れているからだろうか。
「人見知りはもうせぬな」
「悠真に慣れただけだと思いますよ」
華がいなくなると、信長が結衣の手を取る。結衣もまた、彼の手を握った。
今日は、ウェディングドレスを試着する日。華がいるとゆっくり選べないということで、悠真に任せた。
夫婦2人きりで、じっくりと選ぶ。
真っ白なドレスが並ぶ室内に、
「武器庫のようだな」
と信長が言う。きっと圧巻だと言いたいのだろうが、彼らしいたとえに、ふふっと笑って。
「じゃあ、待っててくださいね」
「うむ」
信長を待たせて、結衣は試着室に入った。
肩を出すドレスは、あらかじめ外しておいた。戦国時代の考え方から予想して、信長はそういったものを好まないだろうから。
できるだけ露出は低く、でもかわいらしいものがいい。
シンプルなAラインドレスを身につけ、試着室のカーテンを開ける。
「信長様」
「……ふむ」
それを見て、信長は一瞬固まった。
「良いな。結衣らしい」
と言う。
「美しい。格式にふさわしい気がするな。控えめながら華やかなところが、結衣によく似合うできた装いだ」
意外と真面目な意見が返ってきた。それも、かなり的確な。
「結衣はどう思う?」
「素敵だと思います」
結衣の答えは、たったそれだけ。それでも彼は、満足そうだ。
「じゃあ、次、着てみますね」
カーテンを閉めて、結衣はふっと表情をほころばせた。
「素敵な旦那様ですね」
試着を手伝ってくれるスタッフが、優しい声をかけてくる。
「はい。わたしにはもったいないくらい、素敵な人なんです」
なんて、ちょっとのろけてみたりもした。
続いて、プリンセスラインドレス。華やかな見た目は、結衣の好みでもある。華も喜びそうだ。
「……華の言うお姫様とは、このことか」
それを見た信長は、やっぱり華を思い出したようだ。
「華が憧れる理由がよくわかるな。愛らしいどれすだ」
まっすぐな表現に、結衣の方が照れてしまう。ちょっとくらい意地悪してあげようか、なんて考えてみた。
いろんなデザインのドレスを着続けたが、信長は全く疲れた様子を見せなかった。
ここで嫌がる夫もいると聞くのに。結衣のこれも、何かの雑誌で見た情報だが。
「こちらが最後になりますね」
「お願いします」
そして、最後の一着。これは、挑戦と、そしてちょっとしたいたずらのつもりだった。
「ゆ、結衣……」
カーテンを開けると、信長が困惑した。
「どうですか? 信長様」
結衣は笑ってみせた。
「艶めかしい……。いや、これは嫌だ」
まさかのはっきり拒否された。
でも、わかる。わざわざ顔を逸らしながら、目だけはこちらを見ていること。そして、耳がわずかに赤いこと。
「わかりました」
一応写真にだけ収めて、最後の試着を終えた。
「どれがいいか、決まりましたか?」
着替えを終え、写真を見ていた信長に歩み寄る。そばの椅子に座ると、
「どれも良いと思う。結衣はどれが良いのだ?」
「えー……じゃあ、これですかね」
最後のページを見せると、
「これはダメだ」
と信長が前のページに戻す。おもしろすぎて、遊び心を刺激される。
「信長様、これだけは素敵って言ってくれませんでしたね。似合っていませんでしたか?」
結衣が笑いながら彼の顔を覗き込む。
片手で顔を覆った信長が、指の隙間でキラリと結衣を睨んだ。
結衣がハッと身を引いた瞬間、
「逃げるな」
信長に捕まった。
「の、信長様?」
信長の手で、顔を挟まれて。でも、最後の抵抗でどうにか逃れようと顔を振る。
「結衣が儂で遊ぶなら、儂も結衣で遊ぶぞ」
「ダメです」
結衣が首を振っても、信長の顔が近づいてきた。
ここは、試着ルームのそば。スタッフもいるし、他のカップルもいる。さすがにここでは。
そう思った瞬間。彼は結衣の頬をむにっと指で頬をつねった。
「いひゃい」
「冗談だ」
信長がニヤリと笑う。
「……いじわる」
唇を尖らせる結衣に、信長はいたずらが成功した子どものように笑った。
「ママ!」
華を迎えに行くと、全く寂しがっていなかった。
「ただいま、華。楽しかった?」
「うん! おじちゃんと、おにんぎょさんしたよ」
「そっか、よかったね」
いっぱい遊んでもらって満足気な華を、信長が抱き上げる。
「おかえり。ゆっくりできた?」
「うん。ありがとうね、悠真」
華の荷物を受け取りながら、結衣は弟にお礼を言う。
「これくらいなら、協力させてよ。華とも仲良くなれたみたいだし」
「おじちゃん、またあそぼうね」
「おう。またいつでも来いよ」
華がばいばいと手を振り、結衣たちは弟の家を後にした。




