表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/34

29 弟と夫と

「近くに引っ越してくるなんて、聞いてないよ」

 結衣が口をとがらせる。


「ごめん、ごめん。職場に通いやすいところって、ここが一番でさ」

 弟がそう笑った。


 あれから間もなく、彼は私立高校の社会科教師として採用試験に合格した。教員免許は大学でとっていたらしく、準備は早かった。


 父を説得する前から準備をしていたらしく、その強かな姿勢はやっぱり父に似ていると思った。

 そして採用が決まった数日後には、織田家の近くのアパートに引っ越してきた。


「そう考えると、やっぱこの辺りの立地って最高だよな。姉ちゃんもいいところ選んだな」

「まぁ、華の環境も考えたからね」


 結衣が引っ越す時は、信長と一緒にどこがいいか考えた。2人で意見が一致したのは、華を育てやすい場所。それに合致したのが、ここだったというだけ。


「今日、信長さんは? いないの?」

「昨日から滋賀に行ってるの。仕事で」

「へぇ。滋賀で仕事してるんだ」


「会社があっちにあるの。会社の人にわがまま言ってこっちに引っ越してきたけど、何かあったらすぐに動けるようにはしてるんだよ」


 責任感の強さは彼らしい。だから結衣は応援するだけ。


「それより、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

「ん? んー……まぁ、いろいろ? 連絡取ってるだけ」

 弟はなぜかあいまいにごまかす。


「せっかく近くに来たんだから、叔父としての役目もちゃんと果たすつもりではいるよ。許してもらえれば、だけど」


 そう言って、悠真が振り返る。リビングの隅で、こちらに背を向けて絵本をめくる華。明らかに人見知りしている。


「華、おいで」


 結衣が呼べば、華は嬉しそうに振り返る。そして、わざわざ悠真を避けて遠回りをして、母の元に来た。


「叔父さんにご挨拶は?」

「んー……やー」

「やっぱそう簡単じゃないよな」

 悠真は苦笑した。


「いいよ。これから通うから」

 そう言いながら、手を差し出すと、

「やー」

 華がそれから逃れるように母にしがみつく。叔父と姪の攻防は、しばらく続きそうだった。




「おかえりなさい」

 信長が帰ってきたのは、夜遅くだった。


「うむ。帰ったぞ」

 信長は、どこか満足気で。疲れた顔なんて見せなかった。


「電車、ありましたか?」

「知らん。蘭に送らせた」

「えっ。森本さん、外にいらっしゃるのですか?」

 慌てて確認する。


「もう行ったであろう」

 しかし、信長は興味がなさそうに返した。


「そんな……。この時間から滋賀に戻らせるのですか?」

「儂がそんな非情な人間に見えるのか?」


 どうだろう。織田信長という人物は、時として非情な人間として語られる。でも、それ以外の彼の一面を、結衣は知っている。


「近くに宿を取らせた。明日には帰るであろう」

 その言葉に、結衣はホッとした。


「家に泊まらせてもよかったのに……」


 ふとポツリとこぼした言葉に、

「よくない。結衣と華がおるところに、男が泊まるなどと」

 信長は不機嫌そうに声を尖らせる。


「部屋はありますし、大丈夫ですよ」

「儂がよくないと言っておる」

「はいはい。お風呂、沸かしますね」


 信長の言葉をここまで聞き流せるのなんて、結衣くらいだろう。


「シャワーでよい。結衣も早く休め」

 そう言って、結衣の頭に伸ばされた手に、結衣は絆創膏を見つけた。


「指、怪我されたのですか?」

 その手を取って。人差し指の先。


「う、うむ。ちょいとな」

 信長がわずかに引いたことには気づかず、

「紙で切ったのですか? 気をつけないと。綺麗に洗ってくださいね」

「うむ」


 そして、結衣は寝室に入る。そばのベッドで眠る華の顔を確認して。赤ちゃんの頃から変わらないあどけない寝顔に、ふっと微笑む。


 何も変わらないのに、その寝顔を見ている時は、時間が止まっているようで。


 いくら眺めても飽きない、かわいらしい顔を見つめていると、

「まだ起きておったのか」

 信長が寝室に入ってきた。しっとり湿った髪は、シャワーを浴びた後だとわかる。


「相変わらず、早いですね」

 なんて、結衣は笑った。


「シャワーは便利だからな。湯浴みより楽だ」

 ベッドに座る信長の隣に座って、髪を拭いてあげる。すると、信長は結衣の膝に倒れてくる。


 それは、信長が好きな膝枕。猫のように気持ちよさそうな信長の頭を、結衣がなぞるように撫でる。


「結衣の手は気持ちが良いな」

「信長様の手も、好きですよ」

「知っておる」


 もう夜も更けた。でも、まだ眠くはなくて。愛おしさで胸がいっぱいになる。


「そういえば、信長様」

「なんだ」

「結婚式の服、決めましたよ。和装か洋装か」

「うむ」


 信長は結衣にその選択権をくれた。結衣が決めきれず、しばらく保留にしてもらっていた。


「少しお金はかかりますが、前撮りを和装にして、お式は洋装にしましょう。披露宴もしますし、お色直ししやすい方がいいかと」


「そうか。あいわかった」

 信長は何のためらいもなくそう返事をした。


「いくらかかっても良いから、結衣のいろんな服装を見てみたいものだ。十二単など、どうだ?」

「重いと聞くので、却下です」

「そ、そうか……」

「信長様の衣冠束帯はまた見たいですけどね」


 戦国時代に何度か目にしたその姿は、見惚れるほど綺麗だった。


「儂はいくらでも着るぞ。結衣が十二単を着るならな」

 そんな他愛ない話をしながら、夫婦は穏やかな夜を過ごした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ