28 家族と
約束は午後だった。結衣がそう指定した。
この時間であれば、華は昼寝の時間。置いていくことはできないが、少なくとも大人の会話が聞こえている状態ではないだろう。
昼食の後、どこにいくのかと不思議そうな華を信長に任せて、結衣は実家の呼び鈴を押す。
「結衣です」
そう告げると、何の返事もなく門が開いた。
歓迎する気は全くないようだ。覚悟を決めて、結衣は一歩踏み出した。
通されたのは、お客さん用の応接間。もう家族じゃない、と現実を突きつけているようで。でも、不思議と嫌じゃなかった。
「何の用だ」
あとから入ってきた父は、相変わらず威圧感がすごい。でも、本物の織田信長を知っている結衣は思う。全然小者だ、と。
「近くに来たので、ご挨拶に。時間は取らせません」
結衣は淡々と答える。もう父の圧に怯えることはなかった。
「お前が悠真をたぶらかしたのだろう」
さすがにタイミングが良すぎるか。
「何のことでしょう」
結衣はにっこり笑った。その顔に、父親の顔が強張る。
「その顔をやめろ。腹が立つ」
「あら、じゃあ鏡を見られませんね。わたしの顔は、どちらかというとお父さんに似ているらしいですよ」
「失敗作だな。私の唯一の汚点だ」
さすがにこの言葉はつらかった。両親からの愛なんて、いらない。そう自分に言い聞かせる。
「おい」
声を上げる信長を、片手で押さえる。
「大丈夫ですから」
彼に笑顔を向けて安心させる。娘は、もう眠っていた。
「わたしを失敗作だと仰るなら、悠真はどうなのでしょうか。ここまでお父さんの指示に従ってきたのですから、成功ですか?」
「……」
この言葉に、父はうろたえた。少し前なら、すぐに頷いていただろう。でも、ここに来て抗い始めた悠真は、自信をもって成功と言えるものではないらしい。
チャンスだ、と結衣は即座に
「悠真を解放してください」
と告げる。
「自由にしてあげてください。あの子はもう、あなたたちの理想ではないのでしょう」
「黙れ!」
大きく、強い言葉。でも、もう怖くない。
「静かにしてください。娘が寝ているんです」
世間体を大事にする両親にとって、子どもの泣き声は外に漏れさせたくないだろう。そのことを、結衣は知っていた。
わずかに目を覚ました華は、信長の手によってまた眠りにつく。
「いいから来なさい!」
その時、部屋の外から母の声が聞こえてきた。すぐに障子が開き、母が悠真の手を握って連れてくる。
「姉ちゃん……」
弟の顔が、つらそうに歪んでいた。
「ほら、お姉ちゃんに言いなさい! 僕は政治家になるんだって! お父さんの後を継ぎますって!」
ヒステリックに叫ぶ母親の意識は、父に向けられている。母にとって、父の機嫌を損ねないことが、最重要だから。
「心にもないことを言わせて、何の意味があるのですか?」
そんな母親に、愛情なんてものはなかった。
「あなたは黙っていなさい! 悠真に言っているのです!」
「だったら、わたしにも言ってください。わたしもあなたの娘ですよ」
「家を捨てた人間が今さら……っ!」
「静かにしないか」
母を挑発したことで、父からストップがかかる。母がすぐに黙った。
「いいか。悠真は私の後を継ぐ。そう決まっているのだ」
「悠真がそれを望んでいなくても、ですか?」
「関係ない。私がそれを望んでいる」
父にとって、子どもの意思なんて二の次。自分の意見を通すことしか考えていない。
どう崩そうか。いい加減、手札がなくなってきた。挑発することはいくらでもできるが、それだと話は進まない。
「……話し合いにもなっておらんな」
その時、信長が口を開いた。
「信長様……」
不安そうな声を出す結衣の頭を、信長は大きな手でポンと撫でて、
「儂の時代であれば、家督を継がぬ者は親不孝とされた。しかし、時代は変わったのであろう」
「なにをバカげたことを」
「今の世に生きる者が、その時代の風に抗えば、己の首を絞めるだけだ」
重く、低い声。それは、確かな圧。
声量だけで圧倒する父とは違う。叫んでいるわけでも、強い言葉を使っているわけでもない。
ただ静かに、相手の戦意を奪う。そんな圧だ。
「そなたは、父としての役目を果たしているつもりでおるのだろう。儂もかつてはそうだった。子の行く末など、父が決めるものだ」
かつて、ひとつの時代を支配しようとした男の圧は、圧倒的だった。
「しかし、時代は変わりゆくもの。過去の価値観を盾に語るそれは、独裁と何が違う?」
時代を変えようとした、時代の波に抗おうとした信長の言葉。
「儂はかつて、国を背負い、戦場に立った。命を賭して戦う者たちの声を、儂は聞いた。力だけで人は従わん。ましてや、心までは繋がぬであろう」
夜遅くまで家臣たちと話し合い、全員の意見を聞いて判断していた、かつての信長を思い返す。そのうえで判断するというのは、彼にとって日常動作のようなものだろう。
「子を信じることは、父としての最後の誇りだ。奪うな。縛るな。未来を自らの手で潰すな」
父は反論しなかった。バカにもしなかった。
それは、彼から「織田信長」を感じたから。名前だけではない、圧倒的な存在感を感じ取ったから。
「……父さん」
静まり返った室内で、悠真が口を開いた。
「父さんと母さんが支えてくれたのは、知ってる。ここまで育ててくれたこと、感謝もしてる。でも……、俺、父さんの背中を見ているだけじゃ、嫌なんだ」
切実な、悠真の願い。それに、全員が耳を澄ませる。
「俺は姉ちゃんみたいに強くないし、姉ちゃんみたいに自信が持てるわけでもない。やれるかもわからない。でも、やりたいことがある」
夢を語る弟の顔は、まぶしくて。結衣と違って、彼はちゃんと話し合って、両親に認めてもらいたいという意思があった。
「父さんが自慢できるくらい、立派な教師になるから。だから、許してください」
畳に手をついて、真っ直ぐに頭を下げて。結衣とは違う。でも、彼は強いと思う。話し合いから逃げない姿勢を、結衣は尊敬していた。
「……わかった」
父が折れた。
「ありがとうございます」
弟がホッとしたように表情を緩める。その顔は、「姉ちゃん、ありがとう」と言った幼い頃と変わっていない。
「じゃあ、家を出てもいい?」
「なんだと?」
「だって、地元じゃ、父さんの影響力が強すぎるよ。俺はいつまでも、市議会議員、真柴智昭の息子だ。色眼鏡で見られないところがいいと思って」
その顔は、あまりにも無邪気で。こんな顔を前に、断れるわけがない。結衣はそう思った。




