表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/34

26 弟

「こーえん!」

 華が言い出した。


「おそとであそぶ!」

「華……」


 子どもの気分は変わりやすい。とはいえ、これから弟が来るから、家は空けられない。

「儂が連れていこう」


 そこに、信長が名乗り出る。

「姉と弟での話もあるだろう。好きにするが良い」

「じゃあ、お願いします」

 そして、結衣は信長と華を送り出した。




「お邪魔します」

 弟が来たのは、それからしばらくしてからだった。


「迷わなかった? 駅から若干遠いから」

「大丈夫。織田って苗字、珍しいし、表札でわかった」


 周りは似たような家ばかりの住宅街だが、しっかりしている弟には問題なかったようだ。


「旦那さん、いるの?」

「いる予定だったんだけどね。娘が公園に行きたいって言ったから、連れていってくれたの」

「そっか」


 どこかホッとしたような声に、結衣はわかりやすいな、と笑う。


「お茶淹れるから、座ってて。しばらく帰ってこないと思うから」

「あ、うん」


 ダイニングの方の椅子に座り、結衣は冷たい麦茶をいれてあげる。

「いいところに住んでるんだな」

「そうかな。夫と相談して決めたの」


 保育園や小学校からの距離、近隣の公園の有無、生活圏にある店のチェックも。信長が見るところは、意外と現実的だった。


「前の家より家賃高そう」

「こっちは買ったから、家賃というよりローンかな」

「うわ、買ったのか。やば……」


 なんて、ごく自然な、久しぶりに会う姉弟の会話。次第に弟の緊張が緩むのを感じるが、結衣の方からは何も言わなかった。


「この前さ、姉ちゃん、家に電話しただろ?」

「うん」

 挨拶の件だろう。全く取り合ってくれなかったが。


「母さんがさ、『家を捨てたくせに』って言ってて」

「だろうね」


 その言葉に、怒りも悲しみもなかった。そういうものだ、と切り離していた。


「俺、その言葉にムカついてさ」

「悠真が怒ることないじゃない。わたしのことなんだし」

「姉ちゃんだからだろ」


 今も怒っているように、弟は語気を強める。


「それでさ、勢いに任せて、言っちゃったんだ」

「何を?」

「政治家になりたくないって」

「……そっか」


 わかっていた。はっきりと聞いたわけではなかったが。

 父や母が息子に望んでいる道と、悠真が希望する道は、違う。


「俺、高校生の時、なりたい職業あったんだよな」

「当ててもいい?」

「え、わかるの?」


「学校の先生でしょ」

「……うわ、やば」


 図星だったらしい。

「悠真がわかりやすいからね」


 結衣がくすくすと笑う。昔から見ていれば、それくらいはわかるものだ。


「そこまでは言ってないんだけど、政治家になりたくないってだけで、めっちゃ怒ってた」

「だろうね」


 父と母の反応なんて、手に取るようにわかる。姉弟に長年向けられてきたものだから。


「悠真は、どうしたいの?」

 結衣は静かに聞いた。弟の答えを待つように。


「……わかんねぇよ」

 弟は、ぽつりとつぶやいた。


 その時、

「ママぁ!」

 玄関で声が聞こえた。

「華?」


 帰りが早すぎる。何かあったのだろうか。驚いて玄関に行くと、

「おかえり、華。信長様もおかえりなさい」

「うむ」

「早かったですね」

「華が帰りたいと言ったからな」


 いつもは疲れ果てて眠るまで遊んでくるのに。何かあったのだろうか、と額に手を当ててみる。熱があるわけではなさそうだ。その他観察しても、具合が悪そうな様子はない。


「おにんぎょさん!」

 家のおもちゃで遊びたかっただけか。


「華、おてて洗ってからだよ」

 さっそくリビングに走っていく華を、

「華」

 と信長が抱き上げる。


「やー!」

「暴れるな。手を洗うだけだ」


 これなら大丈夫、と結衣はリビングに戻る。驚いた様子の弟に、

「ごめん、帰ってきちゃったみたい。あとで挨拶させるね」


「いや、大丈夫。ってか、俺いてもいい? 旦那さんとか嫌がらない?」

「大丈夫だよ。華が人見知りするかも、ってくらいかな」


 そんなことを話していると、華の声が近づいてくる。

「おにんぎょさんがねぇ」

 そう言いながらリビングに入ってきた華は、悠真を見てふと固まった。


「……」

 しばし、時間が止まる。家の中に知らない人がいる、という状況を飲み込むように。


 そして、状況を理解すると、

「ふぇえ……っ」

 一気に目に涙を溜めた。


「泣かずともよかろう」


 信長が後ろから抱き上げる。華は父の腕の中に隠れるように小さくなって。

「びっくりしただけだよね、華。大丈夫、大丈夫」

 結衣も笑いながら落ち着かせる。


「ごめんね、悠真。人見知りしやすい子なの」

「いや……。こっちこそごめん。急に知らない人いたらビビるよな」


 そうして、悠真の視線は、信長へ向けられる。


 現代の成人男性ほどの身長はないものの、その威圧感は昔から変わらない。きっと弟も圧倒されているはずだ。

「悠真、紹介するね」

 だから、結衣はできるだけ明るく言った。


「夫の信長様です」

「……ん?」


 悠真が反応した。


「え……っと……」

「驚くのはわかるけど、正真正銘、織田信長様だよ」


「……偽名?」

「本名だよ」


「信長役とか」

「本人だよ」


 しばらく理解に時間がかかる弟に、結衣はひとつひとつ、丁寧に返していく。


「姉ちゃん、騙されてない?」

「どうだろうね」


 これには、冗談っぽく笑ってみせて。

「なぜ儂が結衣を騙さねばならんのだ」


「過去の人が現代にいるって、それくらい不思議なことですよ。信長様だって、わたしが令和から来たって言って信じなかったでしょう?」


「儂は信じたぞ。結衣が嘘を吐くとは思っておらんかったからな」


 それは、3年間、結衣が黙っていたからだろう。3年分の関係があるから、信じられたに違いない。


「なんかわかんないけど……」

 悠真がやや理解に苦しみながらも言葉を紡ぎ出す。


「姉がお世話になってます。弟の悠真です。よろしくお願いします」

 社会人らしい丁寧な挨拶。


「うむ。よろしく頼む」

 信長もそれに答えて。


「きょうだいの話を邪魔してすまなかった。結衣、華にお菓子を与えても良いか?」

「そうですね。信長様もよかったら、一緒に話聞きますか?」

「うむ」


 泣き止んだものの機嫌が悪い華をお菓子で落ち着かせて、信長は華を抱いたまま椅子に座る。


「して、何の話だ」

「……織田信長に進路相談って、なんか変な感じなんだけど」

「いつか慣れるよ」


 戸惑う弟に、結衣は笑った。

「簡単に言うと、弟の進路に父が反対してるって話です」


 結衣のざっくりとした説明に、

「家業は父から子へ受け継がれるものだ。父がそうせよと言うのなら、息子は継ぐべきだろう」

 信長が当然のように答える。


「信長様の時代だと、そうかもしれませんね」

「令和は違うのか?」


 家督相続とかいう時代だ。きっと、信長には理解できない感性に違いない。


「今の世の中では、進みたい道に進めるはずなんです。でも、父から子へって考えの人もいます。父と母がそのタイプで」


「そなたは、家督を継ぎたくはないのか?」

「あ、はい」


 信長に聞かれた悠真が、緊張しながら返事をした。


「家督……って言えるほどのものじゃないし、二世政治家なんて、親の七光りとしか見られないじゃないですか。俺は、俺自身を見てくれるところがいいんです」


 親の背中を見て、育ってきた。でも、親のようになりたいわけじゃない。それが、複雑な子ども心というもの。


「よくわからんな。儂は、父から家督を継いだ身だ」


 なんとか理解しようとするも、信長には理解できないもの。それでも、悠真の考えを否定しなかった。


「信長様」

 だから、結衣は、語った。


「たとえば、華が大きくなった時、信長様は華に今の会社を継いでほしいって思いますか?」

「華は女だ。家督を継ぐのは、婿になる者だろう」


「その場合、華は必然的に『社長の妻』という立場になりますよね。その立場を、華が望まないって言ったら、どうしますか?」


「……華が嫌がることは、させたくないな」


 現代にきて数年。信長の思考は、現代のものにアップデートされていく。この時代になじんでいく信長の姿が、結衣は大好きだ。


「わたしも同じです」

 結衣は笑った。


「華が望まない道は、きっと華を苦しめる。そう思うから。華には、自由でいてほしいんです」

「わかる気がする」

 信長もそれに同意した。


「では、悠真は家督を継ぎたくないのだな」


「まぁ、そうですね。家督とかそんな大層なものじゃないですけど。俺は、俺の道を歩きたい。色眼鏡で見てほしくないんです」

「あいわかった」


 そして、信長は頷いた。


「ならば、儂がそなたらの親御に言ってやろう。子の進む道は強制すべきではないとな」


 また話が変わってきた。驚いた結衣は、

「信長様、落ち着いてください」

 となだめる。


「うちの両親は、そんな言葉が通じるほど簡単な人たちじゃないんです。信長様が嫌な思いをするだけに決まっています」


 結衣の両親のことで、彼をわずらわせたくはない。それが結衣の気持ちだった。


「では、どうするのだ?」

 信長が首をかしげる。


「このままでは、何にもならんぞ。悠真が嫌な思いをするのではないか?」

 彼の疑問はもっともだ。そして信長は、それを結衣がよしとしないことも、知っている。


「……わかりました」

 だから、結衣は覚悟した。


「わたしが両親を説得します。悠真も、それでいい?」

「え、でも……。姉ちゃん、大丈夫?」


「勘当されてるわけじゃないし、話くらいは聞いてくれるんじゃないかな。これで縁を切るってことになるなら、わたしは困らないし」


 話を聞いてくれる、なんて。そんな親じゃないのに。

 でも、弟を苦しめるなんて、そんなことを許していいわけがない。


 華の親である結衣だからこそ、結衣と悠真の親である両親に言える言葉がある。そう思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ