25 お出かけ
「これ、や!」
隣の部屋から華の声が聞こえる。また困らせているのだろう。
急いでメイクを終わらせた結衣が、隣の部屋に入っていくと、
「では、こちらはどうだ。華の好きな色であろう」
「ちがうの!」
信長と華の攻防が続いていた。
「信長様、変わります」
結衣がそう言って、娘の服を入れたクローゼットに入る。
「華はどれがいいのかな。ママに教えてくれる?」
華がお気に入りのものの場所は、しっかり覚えている。断片的な情報でもわかれば、特定できるはずです。
「ぴんくのね、ひらひらの」
なるほど。このキーワードだけでは、候補が多すぎる。その中でも、最近買ったものは……。
「これかな?」
結衣がワンピースを手に取ると、
「これ!」
華が両手を伸ばした。どうやら当たりだったようだ。
「じゃあお着替えしようか」
「うん!」
納得した華を着替えさせていると、
「さすが母親だな」
と信長が感心する。
「信長様も、立派な父親ではありませんか。華に根気よく付き合えるのは、信長様だけですよ」
結衣は効率のいい方法を見つけただけであって、信長のように気長に付き合える人はそうそういない。
「ママ、ばっくも」
「バッグも持っていくの? えっと……。これでいい?」
キラキラのスパンコールがついた黄色いバッグ。これも、華のお気に入り。
肩にかけてあげると、華は満足そうに笑った。
「かみも、おひめさまにして」
「はいはい。じゃあ座って、いい子にしててね」
ただの買い物。それすらも、準備から大変だった。
「これ! これのる!」
「わかったから」
華が指定した子どもが載せられるカートを押しながら、ショッピングモールの中を歩き回る。
「おもちゃやさん!」
「あとでね」
まずは日用品の買い物から。華の相手は信長に任せて、いろんなものをカゴに入れる。
「結衣、それは儂が持つ」
「あ、ありがとうございます」
結衣が重いものを持とうとすると、信長は華と遊びながら気づいてくれた。
「はなもだっこ!」
それを見て、華が手を伸ばして。
「華、わがまま言わないで。ほら、車あるでしょ」
「やー! だっこがいいの!」
「よい。華、じっとしておれよ」
信長もそんなに若くないのに。無理をして痛めてしまわないといいが。
「おもちゃ、まだぁ?」
「しばし待て。良い子にしておれば、良いことがあるぞ」
「はな、いいこだよ!」
「そうだな」
そんな話をそばで聞きながら、結衣は日用品の買い物を終えた。
「じゃあ華、おもちゃ屋さんに行こうか」
「やったぁ!」
父の腕の中で有り余る元気を発散させる華に、
「暴れるな。落ちるぞ」
信長が慌てて支える。
おもちゃ屋さんに入ると、ゲーム機が目に入った。それは、10年前に発売されたゲームの最新型だった。
初任給を握り締めて、地元のおもちゃ屋さんに弟と入った時。
『姉ちゃん、ほんとに大丈夫?』
『うん。今回だけ、特別ね』
ゲーム機なんて、両親は買ってくれなかった。そのせいで仲間に入れてもらえないこともあった。そんな苦しい時を知っているからこそ、初任給の使い道は最初から決めていた。
『ありがとう、姉ちゃん』
ゲーム機を持った弟の顔は、どこか安堵していて。買ってあげてよかった、と思えた。
「結衣?」
信長の声に、ハッと振り返る。
「いかがした?」
「あ……」
そうだ。今は夫と娘がいる。過去を思い出す暇なんてないのだ。
「何でもありません」
結衣はふっと微笑んだ。
「華、何のおもちゃがいいか決まった?」
「おにんぎょさんの、およーふく。かわいいの」
「そっか。じゃあ見に行こうね」
その笑みを、信長がじっと見ていた。
「かわいーね」
好みの洋服が買えた華が、両手で大切そうに持って満足そうに笑う。
「華、おもちゃは置いて、ご飯食べようか」
ショッピングモールの中に併設されたファミレスで、結衣はメニューを広げる。
「お子様ランチ、どれがいい? カレー? ハンバーグ?」
「かれー!」
「じゃあこれね。信長様、決まりましたか?」
向かいの席に座る信長は、神妙な面持ちでメニューを見つめている。
「どれが美味いかわからぬ」
それはそうだ。こうした場所は、はじめてだろうから。
「さば味噌定食はどうですか? 信長様もお好きかと」
「うむ。では、それにしよう」
そうして家族全員分のメニューをまとめて注文する。すると、少しだけ、ホッと息が漏れた。
「結衣、疲れたか?」
「あ、いえ」
信長の声に、慌てて笑顔を作る。しかし、すぐにわかった。信長の目が、真っ直ぐにこちらを見ていたから。
「……少しだけ」
と、弱く訂正する。
「そうだろう。華は儂が見ておくから、しばし休むと良い」
「ありがとうございます」
今日一日、信長は華の面倒をずっと見てくれているのに。さすがに食事中にまで任せることはできない。信長こそ、一息ついてほしいところだ。
そんな時だった。
結衣のスマホが着信を知らせる。画面には、弟の名前が表示されていた。
「結衣?」
思わず固まった結衣に、信長が不思議そうに尋ねる。
「すみません、電話が。華をお願いします」
実家のことは言いたくない。だから、電話とだけ言って、結衣は席を離れた。
ファミレスを出たところで、
「悠真? どうかした?」
電話に出る。
『ごめん。忙しかった?』
弟の声は、どこか元気がなくて。
「ううん、大丈夫。何かあった?」
弟が電話をかけるなんて、よっぽどのことがあったに違いない。もしかすると、父か母が……、なんてことも考えてしまう。
『姉ちゃんさ』
落ち着いている、いや沈んでいるような弟の声に、耳を澄ませる。
『家を出たこと、後悔してる?』
両親の反対を押し切り、半ば家出のようにして上京した。両親の言葉通りにしていれば、家族関係が悪化することはなかっただろう。それでも。
「してないよ」
間違っても、後悔してる、なんて言いたくなかった。それは、信長や華の存在を否定してしまうような気がして。
『だよなぁ……』
弟が溜息とともに吐き出す。
「なに? 悠真も出ようとしてる?」
『やっぱ、姉ちゃんは鋭いなぁ』
苦笑したような弟に、
「わかりやすいから」
と答えた。
「話くらいなら聞くから、一度、こっちにおいで」
『……ん。ありがと』
どこか寂しそうに、弟が電話を切った。
不思議に思いながら席に戻ると、もう料理が来ていた。
「戻ったか」
華に食べさせていた信長が顔を上げる。
「はい」
「誰からだ?」
どうしよう。言ってもいいのだろうか。信長には言わず、結衣だけ会うこともできる。
でも、言いたい、言って楽になりたい、という気持ちがあって。
「弟です」
慎重に、ゆっくりと紡ぐ。
「実家でいろいろあったみたいで。話を聞いてあげたいので、今度、家に呼んでもいいですか?」
「うむ。結衣の家でもあるのだから、好きにすれば良い」
信長の返事に、ホッとした。
「華、ご飯の時は、おもちゃは置いてね」
お子様ランチについてきたおもちゃを手放さない娘に視線を移し、いつも通りの日常に戻る。
しかし、弟への心配が、頭の片隅から離れなかった。




